僕は静かに深呼吸し、それから部屋を二回ノックした。少し間をおいたあと、彼の返事が聞こえた。僕は部屋の中に静かに入った。
 彼は、その部屋の椅子に一人で座っていた。
 僕は、彼の脇にあったもう一つの椅子に腰掛けたあと、静かに口を開いた。
「ちょっと確かめたいことがあってね」と僕は言った。
 彼はしばらく黙っていたが、僕の様子をじっと伺っているようだった。僕は続けるか続けまいか迷ったが、やがて続けた。
「……君が、『スノーウッドの亡霊』だろう?」
 その言葉を聞いたとたん、彼の顔がピクリとゆがんだ。
 彼の体は震え、「どういう意味だ」と彼は尋ね返した。
「言葉どおりの意味さ」と僕は言った。「『スノーウッドの亡霊』の正体は君だよ。……グレン」

「……!」
 グレンはかなり動揺していた。
「ど、どういうことだよ! 僕が犯人だって!? ふざけるのもいい加減にしろ!」
 病院の小児科の病室、306号室。 グレンはぼくに対して怒鳴ったが、ぼくは静かにグレンの言い分を聞いていた。
「別にふざけてなんていないよ」と僕は言った。
「ふざけてるさ! 僕は被害者だぞ? 僕が僕自身を殴ったなんて、そんな、そんなことあるわけないじゃないか」グレンの怒気はどんどん強まっていった。「だいいち、先生に聞いたけど犯人はウィルなんだろ? お前はウィルをかばいたいだけなんだ! それで僕に罪を……」
「ちゃんとした根拠もあるよ。ウィルには犯行は不可能なんだよ」
 それを聞くと、反射的にグレンの表情がゆがむ。
「俺を殴れたのはウィルしかいなかったんだろ」とグレンは言った。「ギャリーから聞いたよ。事件があった前にロビーを通ったのはウィルだけ。そうじゃなかったのかよ」
「……そうだね、確かにそうだ」
 これは賭けだった。グレンがどこまで僕の誘いに乗ってくれるかどうかの賭けだ。しかし、やるしかなかった。
 選択肢のない賭けなんて、ヒモなしバンジージャンプをやっているのと同じことだ。
「でもね、グレン。仮にそうだとしても、ウィルが犯人だという事にはならないんだよ」
「なに?」
「……今日、先生の部屋に空き巣が入った。そして、そこにこれが落ちていたんだ」
僕はそう言って、ポケットから例の紙を取り出した。白いカード。スノーウッドの亡霊だ。
「……なんだそれ?」
「恐らく犯人が残したものだろう。そして、これとまったく同じものが、あの事件直後に君のポケットに入ってたんだ。だから君を殴ったのも、空き巣の犯人も、自動的に同一犯であると推測できる。それは分かるかい?」
「あぁ、分かるけど……けど、それがどうしたっていうんだ。ただウィルがその空き巣もやったってことだろ」
「でもそうすると、やっぱり少し変なんだよね」とぼくは言った。「空き巣が行われたのは、『先生が外出して部屋からいなくなってから、僕たちがそれを発見するまで』の間だ。……だけど、だけどそのときウィルは、僕やトニーと一緒に別の場所にいたんだよ」
「な、な?」グレンは叫んだ。見る見る顔が青ざめていくのが手に取るように分かった。「そ、それじゃあ……」
「そう、それが同一犯の犯行だとするなら、ウィルには犯行は不可能なんだよ」
「……じゃ、じゃあ、ウィルじゃない他のヤツが、俺を?」
「でも、小実験室の前に行くためには、必ずロビーを通らなきゃならない。でもさっきも言ったけど、ロビーを通ったのはウィルだけだ。そうすると、だれが犯行が可能なんだろう? ……答えは一つ。君の自作自演だったってことさ。犯人なんて最初からいなかったんだよ」
「……な、なぁっ!」グレンは怒鳴った。「ばかげてる、とんだ言いがかりだ! そもそも何でそんなことする必要がある!」
「そう、それだ。それが僕を一番悩ませてたところだったんだ。だけど、それも同時に解決したさ」と僕は言って、それと同時にグレンの目を覗き込んだ。「期末テスト、だよ」
 グレンはとんでもないくらいに反応した。
「……一週間後に、僕たちの期末テストがある。僕も事件があったその日に、そのテストの点に関係するって言われてたレポートを、トニーとウィルと3人で仕上げてた。君も覚えてただろう? 君たちの真の目的はまさにそれだったのさ」
 グレンは黙っていた。僕はかまわず続けた。
「話の筋書きはこうだ。君はまず最初に、先生の部屋から期末テストの答案を盗もうと計画したんだ。でもそのためには『先生が部屋にいない時』を狙わなくちゃいけないし、ロビーには事務室があるから、自分たちの行動が監視されてしまう。だから、なんとかそれをかいくぐる必要があったんだ。そしてそのために『陽動作戦』が行われた」
 グレンは黙っていた。
「君はまず夜中にロビーを通って、自分の姿を目撃させる。そのあと誰も行かないような小実験室の前で、自分で自分を凶器でおもいきり殴ったんだ。そして気絶している『フリ』をした。20分もすれば心配になってギャリーが探しに来てくれると計算に入れて。……いや、違うな。もしかしたらはじめからギャリーとはグルだったんじゃないかな?」
 グレンは黙っていた。
「あとは簡単だ。君は病院に連れていかれ、誰がグレンを殴ったのだと僕らの中に不信感が募る……って言うのもアレだけど、まぁ誰かが疑われたりはするだろうね。寄宿舎内は確実に混乱する。そして、先生はかならずこちらにお見舞いに来るだろう。そこが狙いだ。そこでギャリーの方が先生の部屋に忍び込んで、テストの答案を盗み出す。もちろん何を盗んだか分からないようにする。……とまぁ、こんなところだろう。今回はガウス先輩のほうもたまたまいなかったし、それも狙いのうちに入ってたのかもしれないけど」
 グレンは黙っていた。
 彼の目線は足元の方を向いていた。明らかに動揺していた。自分で言うのもなんだけど、論理の組み立てと精神的追い込みにかけては、僕は慣れているほうなのだ。一回トニーに「君弁護士になれるんじゃない?」といわれたこともあった気もするけど、僕にはそんなものになる気はさらさらなかった。
「……し、証拠は」
 グレンの口からひねり出されるように、声が聞こえた。
「証拠はどこにあるんだ。今までのを聞いてると、君のは全て推論だらけじゃないか。明確な証拠を見せろよ、証拠を」
「証拠、ねぇ」と僕は嘲り笑うように言った。「それだったら僕にも訊きたいことがあるよ」
「なに?」
「僕ははじめ、こう言ったよね。『君がスノーウッドの亡霊だ』と。しかし、君はこう答えた。『おれが犯人だって? ふざけるな』。……さて、ここで質問だ。君はどうして『スノーウッドの亡霊という名前のヤツが、君を殴った犯人だ』という事を知っていたんだい?」
「……な、」とグレンは口ごもった。「そ、それは……ギャリーに聞いたに決まってるだろ」
「それはおかしいねぇ」と僕は言った。「確かにあの夜、君のポケットの中にはこのカードが入っていた。この『我が名はスノーウッドの亡霊』とかかれたカードがね。だけど君は大きな勘違いをしているよ」
 僕はここまで言って大きくため息をついて、それから言った。「あの夜にこのカードが君のポケットに入っている、ということを知ってるのは、僕一人しかいないんだよ」
「――はぁっ?」
「君のポケットからカードを見つけたときは、トニーとギャリーはちょうど先生を呼びに行ってていなかった。周りには誰もいなかったんだ。そして、僕はこの事をまだ誰にも、親友のトニーにさえ、ましてやギャリーになんて喋ったりなんかしてないんだよ。忘れてたからね……さて、もう一度訊こう」と言って、僕は椅子を座りなおした。「なぜ君は、僕しか知らない犯人の情報を知っているんだ?」
「……う、ぐ、ぐぐ……」
「それは君が、君自身が『スノーウッドの亡霊』だからなんじゃないのか? 君が自作自演をして作り上げた犯人だからこそ、君はその犯人の名前も判っていたんじゃないのか? 答えてくれ。君はどうして、このことを知っていたんだ?」
「……おれは、おれは……」


「そこまでだ、ジェフ」


 突然背後から声がした。僕が振り向くと、そこにはもう一人グレンが立っていた。
「……いや違うな。ギャリーか」
「それも違うね、正確には『僕こそが』グレンだよ、ジェフ」とそいつは言った。「君がお見舞いに来たときがあっただろう? あのあとに僕たちは『入れ替わった』んだよ。弟じゃ頼りなかったからね」
 なるほど、入れ替えか。
「……正直、ジェフがそこまで頭が回るとは思わなかったよ。しかしお前は一つ重大なミスを犯した」とグレンは言った。「それは、お前がまだこの事実を誰にも話していないってことだ。つまり、僕たちが今ここでお前を黙らせてしまえば――全ては一件落着だ」
 グレンはそう言うと、背後から皮袋のようなものを取り出した。中には砂や石がどっさり詰まっている。グレンが使ったのと同じ凶器だ。
「……でも、それも計算どおりだ」と僕は言った。「今ごろ、君たちの部屋にはトニーと先生が捜索を行ってるはずだ。テストの答案のコピーなんかが見つかればこっちのものだよ」
「うるせぇ!」とグレンは叫んだ。その次の瞬間、グレンが僕のほうに向かって走りこんできた。
 僕は反射的にそれを避けようと、椅子から立ち上がろうとする。しかし、それと同時に僕の前に座っていたグレン、もといギャリーが、僕の体をガッシリとふん捕まえた。
 逃げられなかった。
 グレンが僕の頭に砂袋を振り下ろした。
 ズガッ! 僕の頭に瞬間的に激しい衝撃がきて、僕はその衝撃で床に叩きつけられた。メガネがそこら辺に飛んでいった。しかしメガネを拾うまもなくもう一撃が来た。
「……フン、簡単なことだ」とグレンは優しい口調で言った。いやギャリーかもしれなかったが、そんなことはどうでもよかった。「君がさっきここで言った事を、他のヤツに一切口外しないと誓えば、許してあげよう。もし喋ったりしたら、これよりもっとひどい『お仕置き』が待ってると思うんだね。……分かったか?」
 僕は黙っていた。
「分かったかって聞いてんだよ! ボケが!」
 グレンはまた僕の頭を砂袋で殴りつけた。もう一発、さらにもう一発。
 頭は、もう血が出ているかもしれなかった。でも僕は黙っていた。
「……分かったよ、あくまで返事をしないつもりなら、返事をするまで殴り続けてやるよ。あとで後悔しても知らねぇからな」
 また頭に鋭い衝撃がきた。もう痛みは感じなくなっていたが、それはおそらく感覚がマヒしてきたためだろう。僕は地獄を想像した。このままぼくはいつまで殴られ続ければいいんだろう? ひょっとして僕はこのまま死んでいしまうのではないかと僕は思った。
 ……ふと、僕の頭の中にトニーの顔が浮かんだ。
 笑っているトニー、泣いているとトニー、怒っているトニー、そしてまた笑っているトニー。これが走馬灯ってやつなのかと僕は思った。
 やっぱり、トニーは僕のなかでいちばんの親友だったのだ、と僕は思った。やっぱり僕はトニーから離れることはできないのだ。だって、トニーは今までで一番の親友だったから。


 しかし、やがて僕の意識は暗い闇の底へと落ちようとしていた。

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