吹雪はすっかり止んでいたけれども、病院のまわりはどっさりと雪が積もっており、まるで病院が雪の中に埋もれているようだった。
 冬の風は肌寒く、僕とトニーは両手に自分の息を吐きかけながら病院の門を通り抜けた。


 小児科の三階、316号室がグレンの部屋だった。
 グレンは部屋のベッドからすでに起きていて、横にはギャリーがいた。
「殴られた時のこと?」とグレンは尋ねた。
「うん。できるだけ明確に話してくれるとうれしいんだけど」とぼくは答えた。
 グレンはしばらく思案したあと、
「……六時半ぐらいだったかな、ちょうど授業も終わって部屋に戻ったあと、復習始めようかって思ってカバンを開けたんだ。そしたら変な紙が入ってて」
「紙?」
「うん、『八時半に小実験室前で待つ』って」
「差出人の名前とかは?」
「書いてなかったよ」
 グレンは肩をすくめた。
 ……てっきり、『スノーウッドの亡霊』とかなんとか書いてあるかと思ってたけど、拍子抜けしてしまった。まぁいいんだけど。
「それで?」
「うん、それでトイレに行くついでに、ちょっと小実験室に寄ってみたんだ。それでしばらく待ってたんだけど、誰も来なさそうだったから帰ろうとしたら、急に後ろから……」
 なるほど。
 まぁ暗闇だったし、犯人が見えなかったのは仕方がないか。
「ギャリーの方は何してたの?」
「僕は……ずっと部屋にいたよ」
「その証拠、とかある?」と僕は聞いた。
「な、なんだよそれ!」
 突然。
 ギャリーは僕に向かって怒鳴った。
「じゃあなに? 僕が兄さんを殴ったっての?」
「いや、そんなことじゃなくて」
「じゃあなんだよ!」
 ギャリーは明らかに怒っていた。そんなつもりではなかったのに。
「……ジェフ、ちょっと席をはずしてくれないか」グレンが言った。「こいつはあとで俺がなだめておくから」
「ごめん」僕は素直に謝った。
「いや、こっちのほうこそ。ほら、お前も少しは頭冷やせっつーの」
 グレンは、ギャリーの頭をパコンとたたいた。ギャリーは僕をしばらく睨んでいたが、それきり黙りこんだ。
「……んじゃ帰るよ」と僕は言って、そのまま席を立った。
「じゃあな、また来てくれよ」
 グレンは手を振って僕たちを見送った。


「……あぁ、寒かったぁ」
 スノーウッド寄宿舎に戻り、僕らは自分たちの部屋に飛び込んだ。
 部屋の中は暖かかった。どうやらストーブが点けっぱなしだったようだ。だが、むしろ僕らには好都合だった。暖房が神にも思える。
「ねぇジェフ、次はどうするの?」
 ストーブに両の手のひらを当てながら、トニーが聞いた。
「そうだなぁ」と僕は頷いて言った。そのままデスクの椅子に寄りかかる。「とりあえず、あとはウィルとボビーと、それから……、ジョージにも話を聞かないとね。そのあとは現場検証だ」
「ゲンバケンショウ、かぁ……!」
 トニーはいかにもわくわくした表情を浮かべた。その刑事ドラマのような響きに酔いしれているようだった。
「とにかく、証拠が足りなすぎるんだ。みんなのアリバイをきちんと調べたりして、ウィルが犯人じゃないっていうことが証明できるようなのをなんとしても探し出さなきゃ」
「……ジェフって探偵みたいだね」
 何を言うかと思えば。
「それまがいのことをやってるんだからね。まぁ当然といえば当然だけど……。あ、ほら無駄話はともかく早いとこ行こう。急がないと日が暮れちゃうよ」
「えっ! 待ってよぉ、まだ寒いのに……」
「おいてくぞ」
「あぁ、待ってってば!」
 トニーはしぶしぶと言った様子で、僕のあとに続いて部屋を出た。


 ウィルは部屋にはいなかった。
 代わりに、同じ部屋に住んでいるボビーが迎えてくれた。
「ウィルなら、今先生に呼ばれてるよ」ボビーはそう言って、僕たちにテーブルの椅子をすすめた。「なんか飲むか? コーヒーならあるけど」
「いつもそんなの飲んでるの?」とトニーが質問した。
「いや、ウィルがいっつも飲むからさ。インスタントだけど」
 ボビーは奥のキッチンからコーヒーカップをみっつ持ってきて、それにポットのコーヒーを注いだ。僕たちの前にそれを置くと、ボビーは僕たちのテーブルを挟んだ向かい側に座った。
「……あの夜は、別になにもなかった気がするけどな」とボビーは言った。「適当に風呂から上がって帰ってくる途中に、ロビーでウィルが絡まれてたからそれを追い払って、その後部屋に戻って……。ジョージの言った通り、勉強してる途中でウィルがトイレに行ったけど、普通に五分ぐらいで戻ってきたし、部屋出るときは何も持ってなかったよ。ましてや人を殴るようなものなんて」
「それ、いつぐらいだったか分かる?」
 僕が聞くと、ボビーは首を横に振った。
「さぁ、そこまでは分からないな。でも、やっぱりそもそもトイレに何か持ってくぐらいだったら俺が気付くよ。怪しすぎる」
「……証明できる? それ」
「できねーけどよ……」とボビーは言った。「だけどアイツは犯人じゃない。そんなタマじゃないのは俺が一番よく分かってる!」
 ボビーは椅子から勢いよく立ち上がってテーブルを思い切りたたいた。言葉に怒気が混じっている。
 僕とトニーは思わず身をすくませた。
 しばらく静寂が続いたあと、ボビーは頭をぼりぼりと掻いて、そのまま椅子にどっかと座り直した。
「あいつさ、天才なんかじゃないんだ」とボビーは呟き、ほうづえを付いた。「人が見てないところで、これでもかこれでもかってくらい頑張って、人から努力を認められたいとか、そういうことなしに頑張って……」
「……」
 僕とトニーは、黙ってボビーの言うことを聞いていた。
「それに比べたらおれなんて、成績もいいとは言えないし、いつもがんばるぐらいの根気もないし、……自分の親友の代わりにコーヒーを作ってやるぐらいしか出来なくて」
 そこまで言って、ボビーは黙った。
 窓の外はどんよりと曇りだし、その寒々とした空は、また雪が降り始めるんじゃないかと思わず感じさせた。
 ストーブの火は赤々と燃え続けていた。僕たちの目の前に置かれたコーヒーカップは熱い湯気を立てていた。僕はそれを静かにすすった。苦かった。
「ジェフ、それにトニー」
 しばらくしてボビーが言った。僕とトニーはそろって顔を上げる。
「ウィルは、犯人じゃないよ。そう思うだろ?」
 僕はうなずいた。
「ボビーみたいなヤツに信頼してもらえて、ウィルは幸せ者だよ」
「よせよ、変なこといわれると照れる」とボビーは苦笑した。「それに、俺はただ世話焼きなだけだよ。ウィルが本当に好きなのは……お前だよ。トニー」
 ボビーはトニーの方に目線を移した。
「えっ!」トニーは目を丸くした。「ちょっ……、どういうことそれ?」
「ウィルはお前にあこがれてるんだよ」
「なんで?」
「おれに聞かれても困るよ」ボビーはそう言って笑う。「でも、やっぱりおれじゃダメなんだよ」
 トニーは何も言わずに黙っていた。僕は、そのままコーヒーを飲み干した。
「頼みがあるんだ」ボビーがしばらくしてまた言った。「いま、ウィルが先生のところに呼ばれてて、多分精神的にもまいってると思うんだよ。だからお前に迎えに行ってほしいんだ、トニー」
 トニーは複雑な表情をした。
「自分で行こうとは思うんだけどさ、やっぱりこういうときは、そのー……やっぱり、お前に迎えに来て欲しいんじゃないかと思うんだよ、ウィルは」
「……」
「身勝手だってのは分かってるんだ。だけど……」
「わかった」
 ボビーの言葉をさえぎるように、トニーは言った。
「先生の話が終わってたら、ウィルに会いに行くよ。約束する」
 そう言ったトニーの顔は、なぜか浮かなかった。
「ごめんな、変なこと言っちまって」
 ボビーはそう言ったが、トニーは黙って首を振った。
「……じゃ、行こうジェフ」
「あ、うん」
 僕が頷くと、トニーはコーヒーをグイッと飲み干し、そのまま部屋のドアから出て行った。
 僕もそのあとを追った。

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