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歩きながら、廊下の窓をちらりと覗き込んだ。雪はさっきよりもさらに激しくふぶいている。
天気予報ではまだ雪は降らないと言ってたたのに、と思いつつ、部屋に戻るために二階に上がった。すると、そこで意外な人物とすれ違った。
ジョージだ。
「あれ、ジェフ君にトニー君じゃないか」ジョージは言った。「ロビーで何かあったのかい? さっき双子が飛んで逃げてくのが見えたけど」
ジョージ。ウィルよりも頭がよくて、そしてスポーツだって料理だってディベートだって、もちろんビジュアルだって誰にも負けない、ウルトラサイエンスクラブのスーパー・スター。女子の寮のほうではなんとファンクラブが密かにできているらしい。さすがに大げさなのでは? とは思うけれども、僕ですらちょっとは憧れてしまうんだから仕方がない。それに性格も優しい。ウィルと比べると、どちらかといえば大人っぽい優しさだ。
「……いろいろと、ね」とぼくは答える。
「まぁ、たいてい予想は付くけど」ジョージはそう言って苦笑する。「じゃあ、おやすみ」
そう言うと、ジョージは僕たちとは入れ違いにロビーのほうに歩いていく。
「あれ、どこ行くの?」
「ちょっと、ロビーのほうにね。勉強にも身が入らなくてさ、気分転換ってことで。じゃ」
流れるような長い金髪が、気のせいか輝いて見えた。
さすがジョージ、去り際も華麗だ。
「……夜風にでも当たってくるのかな?」
去って行くジョージを見つめつつ、トニーが呟いた。
「でも今は雪だぞ?」
「あ、そっか。変なの、どうしたんだろう」
僕は、何か嫌な予感がした。何かが起こると、直感がそう告げていた。気のせいだろうか? しかし、こういうときに限って僕の勘はよく当たるのだ。
そしてそれから何十分か後、それはみごとに的中することになったのである。
更に夜もふけて、九時ごろ。
僕たちの部屋をノックする者がいた。トニーは僕のレポートを写すのに必死だったので、僕が代わりにドアを開けた。
そこには双子のうちの一人が立っていた。弟のギャリーのほうだ。
「なぁ、兄ちゃんそっちに来てないか?」とギャリー。
「……グレン? いや来てないけど。さっき会ってからはずっと見てないな」
「トイレに行ったきり、二十分も帰ってこないんだ。どこ探してもいないし」
……それは確かに不自然だ。いくら寄宿舎とはいえ、この棟の広さはたかが知れている。
「他の部屋は行ってみた?」
「うん。ここが最後だよ。トイレも一応行ってみたんだけど、そこにもいなくて」
「トイレにもいなかったの?」
「なになになに、どうしたんだよ」
僕とギャリーの会話が気になったのか、トニーが間に割り込んできた。
「……兄ちゃんがいなくなったんだ」
「えっ、マジ? そりゃ探しに行かないと! ジェフ手伝ってあげようよ」
いかにも興味しんしんといった様子のトニー。
……お前はレポートを仕上げなきゃいけないんじゃなかったのか?
「ねぇ、いいだろ?」
トニーは僕の顔を覗き込みながら言った。
個人的には、先輩とか先生に見つかるとやたらと面倒なんだけどなぁ……。
ま、どうせここはそんなに広くもないし、すぐ見つかるだろう。
「そうだね、それじゃ早めに探しに行こうか」
「よし、行こっ!」
僕が言葉を聞き終わらないうちに、トニーは僕とギャリーの手を引っ張ってロビーの方に駆け出して行く。
……僕ってさっきから流されっぱなしだなぁ。まぁ、僕の人生なんてそんなもんだけど。
そんな自分にちょっとだけ同情しつつ。
ロビーに続くろうかを、ひたひたと歩く。
このスノーウッド寄宿舎は、一階の「ロビー」から全ての部屋へと繋がっている仕組みになっている。つまり、僕たちの部屋から別の実験室に行くのも、先生の部屋に行くのも、先輩の部屋に行くのも、トイレに移動するのも、すべて一階のロビーを通っていかなければならないのだ。少年たちに門限を破らせないためにはなかなかの仕組みだと言うわけだ。
一行の先頭は、謎なテンションではしゃいでいるトニー。その横に双子の弟ギャリー、そして後ろに僕がいた。さしずめ、どこぞのRPGと言ったところだろうか。
廊下の窓からは、雪がさっきよりも激しく吹雪いているのが見えた。少なくとも、明日の朝までにはやみそうになさそうだった。……全く。
「あ、あれジョージじゃないかな?」
トニーが呟いた。そう言われて僕たちがロビーの方に視線を向けると、言葉どおりジョージが守衛のおじさんたち二人と楽しそうに世間話をしていた。(話が合うのだろうか?)
「あれ、みんなどうしたんだい。揃いも揃って」
「グレン兄さんがいないんだ」ギャリーは言った。「ジョージ、見てない?」
ジョージはそれを聞くと、ちょっと考え込んだ。おそらく思い当たることがあったのだろう。守衛のおじさんとひそひそと会話を交わしたあと、
「うん、さっき二十分ぐらい前に、小実験室のほうに行ったのを見たけど……って、もうこんな時間か。そろそろ帰らないとなぁ。立ち話にしては長すぎたかな」
小実験室? トイレに行ったんじゃなかったのか。
ギャリーのほうに視線を向けるが、ギャリーは「知らないよ」とばかりに首を振る。
「と、とりあえず行ってみようよ。小実験室」
トニーがそう提案した。まぁ、他に探すアテもなかったし、行くとしよう。
ジョージと二人の守衛さんに礼を言うと、僕たちは小実験室のほうに向かって歩き出した。そもそもトイレとはまったく逆の方向だ。
僕たちがやってきたのとは別の階段を上がると、まっすぐ伸びた廊下があった。その突き当たりに小実験室が見える。廊下の途中には別に部屋も何もありはしないので、グレンはやはり忘れ物でもしたのだろうか? しかし、それにしては帰るのが遅すぎるし……。
僕らの足音だけが、静かに階段に響き渡っていた。ここら辺のあかりはもうすでに消えた後で、非常灯だけが緑色に怪しく光っていた。
「……寒くない?」
トニーが言った。そういえば、ロビーと比べると格段に寒い。気のせいか、雪のふぶく音も聞こえるような気もする。
「どこかの窓が開いてるんじゃないか?」
「窓って、廊下の? あ、あの窓だよきっと」
トニーに言われてそちらを見ると、誰が開けたのか、廊下の一つの窓が半開きにされていた。
そして、その異変に最初に気付いたのはギャリーだった。
「……あれ」
「ん、どした?」
ギャリーは、開いている窓の下を、黙って指差した。見ると、開いた窓の下になにかが転がっている様な気がする。暗いせいで何かはよく見えない。
嫌な予感がした。
僕らがだんだん近づいて行くと、その輪郭はじょじょにはっきりとしてきた。それは、まるで誰かがうつ伏せになって、僕らのほうに頭を向けて倒れているような、そんな形に見えた。
倒れている?
嫌な予感がした。
ギャリーの歩みが思わず止まる。
僕とトニーも足を止め、それを凝視した。
グレンだった。
グレンが廊下にうつ伏せに倒れ、死んだようにぴくりとも動かなかった。
「……兄ちゃん!」
ギャリーが叫んだ。
ギャリーは兄のほうに急いで駆け寄った。抱き寄せてゆさゆさと肩を揺さぶるが、返事はない。
僕たちは、パニック状態になっているギャリーをグレンから急いで引き離すと、倒れているグレンの腕を取って、脈を確かめた。
脈はあった。
「気絶してるみたいだ」僕は行った。「どうしたんだろう……」
「兄さんは? 兄さん死んじゃうの? 兄さん、兄さん!」
「ギャリー!」
僕は叫んだ。ギャリーはびくりとし、そのまま固まる。
「……いいかい。落ち着いて、今からトニーと一緒に戻って先生を呼んでくるんだ。冷静になって的確に事を伝えるんだ。このままだと下手をするとグレンの身も危ないかもしれない。分かるね?」
ギャリーは頷いた。僕が目配せすると、トニーも頷いた。
「……さ、行こうギャリー」
トニーは真っ青になりながらも、ギャリーの手を引っ張ってロビーのほうに階段を下りて行った。それを見送ったあと、僕は深く深呼吸して呼吸を整えた。
よし、オーケイ。
一番冷静にならなきゃいけないのはお前なんだと、僕は自分自身に言い聞かせる。
まずグレンを仰向けにする。安静にしたあと、開いていた窓を閉めた。まずはこれで一安心。
ふと、グレンが倒れていた場所の近くに投げ捨てられるようにして、皮の袋が落ちているのに気付いた。そちらの方に行って拾ってみると、それはずっしりと重かった。中を見ると、ぎっしりと砂や小石が詰まっている。
……グレンはこれで殴られたのか?
グレンの頭を探ってみると、確かに大き目のたんこぶができている。これは危ない。ひとまず砂袋はそのままにしておくことにする。グレンの体も元の安静な状態に戻して、
そのとき、僕はグレンの懐に何かが入っているのが見えた。
白い、カード。
僕はそれをグレンの胸ポケットから取り出す。そのカードの中央には、小さな文字でこう書かれていた。
――我が名は、スノーウッドの亡霊
ちょうどそのとき、「こっちこっち!」という声とともに、トニーとギャリーが階段を上がってくるのが聞こえた。どうやら無事に先生を連れてきたらしい。僕は、手に持っていたカードを自分のポケットに素早くねじ込んだ。
これが、スノーウッド寄宿舎の事件の始まりだった。