『おい、いつまで寝てるんだ! この能なしが!!』
 ヨクバの声だった。地面にうつ伏せに倒れていたぼくは、床に血ではりついていた頬をペリペリとはがし、腕の力でなんとか立ち上がった。目の前には、今さっき体当たりを食らわされたばかりの相手のウマンチュラがいて、いぶかしげにぼくを睨んでいた。ぼくはその場で立ち上がると、一気に3mほど飛び上がり、後ろに後退してゆきながら想像の中の『見えざる手』で奴をひと薙ぎにした。その瞬間突風が吹き荒れ、衝撃波の渦がウマンチュラを襲ったが、奴はそれも耐えしのぐと、ぼくの着地した地点に向かってその足で猛ダッシュしてき、そのままぼくは後ろに突き飛ばされた。またさっきと同じだ。ぼくはごろごろごろと転がっていき、やがて大の字になって倒れると、絶え絶えになって息をしていた。
『まったく、動きを読まれとるんだよ! ワンパターンな奴め。いつまでもその戦法が通用すると思っていたのか! 敵が十体いたら十通りの倒し方を試さねばならん、もっと電撃を有効に扱え!』
「はい」
『今日はここまでだ! 明日までに対策を考えておけ!』
 ライフアップをする気力もなくしていた。ぼくは荒い呼吸を整えながら、目をつぶって少し眠ろうとした。
『起きろ、この死にぞこないが!! 誰のおかげでそうやって息ができると思ってるんだ!!』
「……はい」
 ぼくはぐったりとしながら、ゆっくり起き上がった。



「名前が分かったよ」
 傷を回復しながらベッドで休んでいるぼくの横で、ミハエルが言った。
「え?」
「お前の名前だよ。調べておくって言ったろ」
 ぼくは、しばらく言葉を失っていた。そんなこと言ったかどうか覚えていなかった。
「クラウス、というらしい。お前の生前の記録をあさって見つけてきたんだ。……だけど誰にも言うなよ。こいつは極秘中の極秘の書類で、こんなの調べたと分かったら即刻クビをはねられる。でも、これだけでも十分だろう。いいか、俺たち以外の前では決して口に出すんじゃないぞ、分かったか『クラウス』」
 ミハエルはそう言ったが、ぼくは、何も答えなかった。ただ何をどう考えていいのか分からずに、ぼんやりとしていた。
「おい、聞いてるのか?」
「家族は、」
「え?」
「家族は、どんな風だったの」
 ミハエルは、言葉に詰まったようだった。
「……そこまでは分からなかった」
「嘘だ」ぼくは言った。「ミハエル、今ぼくの『生前の記録』って言ったじゃないか。きっとその中に全部書いてあったはずだよ」
「冗談じゃない。俺が見つけられのはお前の名前だけだ。それ以外は消されていた」
「ねぇ、ぼくに年のはなれた弟はいた? お父さんやお母さんは? ペットの犬は? ねぇ、どうなの?」
「おい」ミハエルが、ぼくを諌めるように言う。「クラウス、」
「何で、何でぼくだけ、自分の家族がどんなだったか分からないの? アンナや、ミハエルやテクノにもちゃんと家族はいるのに、何でぼくにだけ家族がいないの? そんなわけないじゃないか」
「クラウス」
「ねぇ、本当はあったんでしょ? ぼくの家族のことが。ぼくの名前以外にも。ねぇ、ほんとの事を教えてよ。ぼくにもこんなことになる前は家族がいたんでしょ? ねぇ、どうして教えてくれないの。どうしてみんな、ぼくのことをそんな子供だと思って、人じゃないものだと思って、人として扱ってくれないんだ。ぼくだって好きなものは好きだし、嫌なものは嫌だし、痛いものは痛いんだ。どうしてみんなそれが分かんないんだ」
「お前、いい加減にしろ」
「ミハエルと、ミハエルとテクノだけは分かってるって信じてたのに、そうじゃなかった、全然そうじゃなかったんだ」ぼくは怒鳴る。「大体なんなんだよ、そのクラウスって名前は。ぜんぜん実感もないよ、そんな名前いらない。それだったらジョニーのほうがまだましだ。どうして、どうしてぼくだけこんな目にあわなくちゃいけないの? どうしてぼくだけこんな、こんなひどい目にあわなくちゃいけないんだよ。……どうして、どうしてぼくだけ……」
 ぼくの心に、怒りと、悲しみの混じりあったような感情がたまっていく。
「……ぼくは、ぼくは、好きで生き返りたかったわけじゃない。こんなことならぼくは、ぼくはずっと死んだままのほうが良かった……」
「……」
「ミハエルやテクノには分からないんだ、ぼくの苦しみが。ミハエルやテクノは死んだことがないから、死んで、生き返って、何もかも全部なくなって一人ぼっちになったことがないから、だから分からないんだ、分かられてたまるもんか。ミハエルやテクノには一生分からない。ぼくだけだ、ぼくだけがこんな……、」ぼくは、涙であふれた自分の目をぬぐった。半分涙声だった。「ぼくは、ぼくは死にぞこないだから、だからこんなひどい目にあうんだ、ぼくは、ぼくは、そんなことなら、ぼくは死んだままのほうが良かった……」
 ぼくは泣いていた。こんなに悲しかったのは初めてだった。ミハエルも、その後ろにいたテクノも、何も言わなかった。ぼくは悔しくて、悲しくて、どこにも怒りをぶつけられなくて、ただ泣いていた。
「……。クラウス、」ミハエルが、やがて言った。「俺は、何も好きで隠していたわけじゃないんだ。ただ、これを言っても、決してお前のためにはならないと思って黙ってたんだよ」
「……」
「クラウス、よく聞け。お前はな、この研究所から出ることは一生許されないんだ。お前が生き返らされたのは、もともと、お前の身体にあったPSI能力を利用するため、生物兵器『キマイラ』として利用するためだったんだ。もし、お前が、お前の家族に会いたいと思ったとしても……、いや、お前が何をしようと思ってるかは知らんが、……その人たちと、対面できることは多分、もうないんだよ」
「……」
「それに、もしお前があの村に、――タツマイリ村に帰れたとしても、あの村に果たしてお前の居場所があるかどうか分からない。いいか、お前が死んで、それから生き返るまでに、世間ではもう3年の月日が流れてるんだよ。大体お前がこうして、生き返ってここにいること自体が、奇跡みたいなもんなんだ。だからそれぐらいの時間が経っていても、俺たちには、むしろ短すぎるくらいなんだ。……そう、お前は、目を覚ましてから、驚異的な速度で回復していった。驚くべき早さなんだ。3年なんて。でも……、それでも三年だ。合計で三年かかった。今じゃお前の住んでたあの村も、すっかり様変わりしてしまったし、お前も、もうとっくに死んだということになってるだろう。もしお前のその身体が、キマイラだってことが分かったら、村の人間たちの中にも何か言うやつが出てくるかもしれないし……、いや、そういう問題じゃない、お前が、もしお前があの村に帰って、お前の家族や、お前の村の変わり果てた姿を見たら、お前が何と言うか……、俺には、分からないよ」



 ぼくは、もはや何も語るべき言葉をもたなかった。ただ、呆然としていた。ぼくのすっかり気力を失った状態を見て、ミハエルはやりきれないような表情になり、それから静かに立ち上がると、
「今日は、もう終わりにしよう。次はまた三日後だ」
 と言った。
 彼はそれからテクノを引きつれ、部屋から出て行こうとした。
「ミハエル、」
 ぼくはミハエルの名を呼んだ。
「ん?」
「最後に聞かせて。ぼくの家族のこと、ほんとに何もなかったの?」
「……」
 ミハエルはしばらく黙り、やがて、厳格な顔つきになって、
「無かったよ。すべて消されてた」
 と言って、部屋を出て行った。
 ぼくは、その部屋にひとり残され、下を向いていた。ふと、ぼくの胸の奥に、言いようのない、深い悲しみと絶望のようなものが沸きあがってきて、それはみるみるうちに、ぼくの心の中ぜんたいにあふれていった。ぼくは、それ以上なにも言えなくなって、ただ首を振り、どうすることもできずに、うずくまった。ただただ悲しすぎて、体じゅうにまるで電流が走ったように、胸や手足の芯がみしみしと痛んだ。涙は出なかった。本当に悲しいときは、ひとはただただ悲しくて、ただただ痛いのだと、ぼくは初めて、何も考えられない頭の中で、思った。

BACK MENU NEXT