「おはよう、アンナ」
 ぼくはまたアンナの所へ行った。
「おはよう」アンナはぼくに笑いかけた。「……昨日は、ごめんなさい。私もしかしたら、あなたにひどいことを言ってしまったかもしれない。でもねジョニー、私、」
「ううん、いいんだ。忘れて」
 ぼくは何事もなかったかのように笑って首を振った。
「それよりさ、アンナ、あの……」
「何?」
「その、……。お願いが、あるんだけど」
「ええ。何かしら?」
「また、遊びに来てもいい?」
 アンナはぼくの言葉に、目をしばたたかせていたが、やがてにっこりと頷き、
「いいわ。喜んで」
「そっか、よかった」
 ぼくは心の底からほっとした。本当にほっとしたのだ。



 ぼくが目を覚ますと、ベッドの横に男が立っていた。それが、あのヨクバだと気付くまでにしばらくかかった。不健康によく太った男で、鼻の下には豊かなひげを生やし、ぼくを見下ろしていた。あわてて身を起こしたぼくに向かって、ヨクバはミハエルが着ていたのと同じデザインの軍服と、銀色のごつごつしたヘルメットを投げてよこした。
「それを着ろ。今日から実地訓練だ」
「実地訓練?」
「そうだ。今日からお前は『イカヅチの塔』担当の副指揮官となった。せいぜい頑張って働くんだな」
「で、でも」ぼくは言った。「ぼく、そんなのやったことありません。何をどうすればいいのか、」
「そんなものはとっくにお前の中にインプットされとる!」
 ヨクバはぼくにそう言い放った。ぼくは背筋がぞっと寒くなるのを覚えた。
「今日は、それがうまく機能するかどうかの実験なのだ」ヨクバは続けた。「心配するな、陰でちゃんと俺も見守っててやる。ヌヘヘヘヘヘ……、分かったらさっさと着替えろ!」
 ぼくはヨクバに応じ、ベッドから這い出た。そうだ、とぼくは思い出す。ぼくはキマイラなのだ、ただの死にぞこないなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 ぼくはヨクバや数人のブタマスクたちに連れられ、スカイ・ウォーカーに乗り、そのイカヅチの塔という所へと飛び立った。塔は、ぼくたちのいた研究所から、長いハイウェイを越えた向こうにあり、ぼくは飛行中、コックピットに乗るブタマスクたちの運転の様子をずっと注視していた。
 やがてスカイウォーカーが、塔の裏にある広い駐車スペースに着陸した。ぼくたちが艇から下りてくると、そこに大勢のブタマスクたちが整列して、ぼくたちを待っていた。やがて一番前にいた、指揮官とおぼしき色違いのブタマスクが前に歩み出て、ヨクバに向かってわずかに敬礼をした。
「ヌヘッ」ヨクバが笑った。「任務いつもごくろう。いま、副指揮官どのをそちらに引き渡す。中へ案内してやれ」
「はい」
 色違いブタマスクはうなづき、それからヨクバの脇にいたぼくの手をとった。
「行こう」
「……あ、はい」
 ぼくは手を引かれ、それから、もう一度敬礼した後で、中へ歩き出したブタマスクに連れられ、塔の内部へと足を踏み入れた。内部は大規模な工場のようになっていて、ベルトコンベアが動き、人型をした泥のかたまりのようなものがいくつもいくつも運ばれていた。ぼくは隣を歩く背の高いブタマスクの顔を見上げ、それから言った。
「ミハエルなの?」
「そうだよ」彼はうなずいた。「よく気が付いたな。いつもはここで、俺は全体の指揮を取り仕切ってるんだ。後ろを歩いているのがテクノだよ」
 ぼくが後ろを振り向くと、そこには、同じくブタマスクがぼくらと連れだって歩いていて、ぼくに向かって静かに手を振っていた。
「いやぁ、でも」テクノが口を開いた。「こうして並んで歩いていると、まるで親子のようですね」
「ハハハ。確かにな」
 隣のミハエルが小さく笑った。ぼくは、繋いでいた手を強くにぎった。そして再びミハエルのマスクを見て、その中にあるはずの表情を眺めていた。



「ねえアンナ」ぼくは聞く。「アンナには家族っている?」
「いるわよ」
「どんな人?」
「そうね……、まず、年のはなれた弟がいて。それから父と母と。二人とももう年だけど」
「ペットは?」
「犬がいたわ」アンナは言った。「一匹。今はもう天国にいるわ」
「そう」
 ぼくは、うなずいた。それから会話が途絶えた。ぼくは話すことがなくなってしまって、下を向いた。何か話していたかったのだが、何を話したらいいのか分からなかった。
「ジョニーは、」アンナが、ふと助け舟を出すようにぼくに聞いた。「そういう、好きな人とか、家族とかいう言葉は、一体どこから仕入れてくるの?」
「えっ? ……いや、その、別に、元からそんな言葉を知らないわけじゃないよ。知ってるよ、それくらいの事。でも、言われるまで気づかないっていうか、ミハエルと話しているうちに、自然と思い出したりするんだ。名前のことだって俺、言われるまで分からなかったんだ」
「――今、『おれ』って言った?」
 アンナに言われて、ぼくは自分の言ったことにはじめて気が付いた。
「あ。えっと」ぼくは恥ずかしくなった。「変だよね」
「えっ? そんなことないわ。カッコいいわよ」
 アンナはからかうようにして言った。ぼくは照れと恥ずかしさに、頬がゆるくなっているのを感じていた。

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