「元気だったか」
 博士は、その場に佇んでいるぼくに向かって、それだけ言った。
「まぁ、なんとかね」とぼくは答える。
「ならいい」博士は、やわらかく微笑んだような気がした。「ギーグの正体は、つかめたのか?」
「うん」ぼくはうなずく。「ギーグは……ギーグは、うまく言えないけど、かなしい奴だった。自分で自分のための箱庭を作って、中に入って遊んでいるうちに、戻り方を忘れてしまった、みたいな」
 戻り方を忘れてしまった。
 そうだ、そもそもこの「ぼく」という人格も、きっとギーグが作ったものなのだ。だから、厳密にはぼくはギーグそのものではない。それゆえにまだ分かっていないこともある。ギーグを倒したら、この世界は一体どうなるのか。そしてぼくは一体どうなるのか。スペーストンネルを使ってギーグの元へたどり着けば、もしかしたら何かわかるかもしれない、と信じていたが、考えてみればそんな保証はどこにもないのだ。
「……なるほど。それは、ともすれば確かに、哀しいことかもしれないな」
 博士はそれだけ答えて、静かになった。ぼくも、博士も、お互いに何もしゃべりだそうとしなかった。時々ちらりと相手のほうをうかがっては、視線を落としていた。何も話したらいいのか分からないのだ。でもそれは、きっと、ぼくと博士が対面するときには必ずそうなることだというのも、うすうす気づいていた。
「……父さん」
 おもむろにぼくは呟く。
「ぼく、悩んでたんだ。自分はここにいちゃいけないんじゃないかって、ずっとそう思い続けてきた。でも、それなら他にどこへ行けばいいのか、それも結局、わからなかった」
 博士は黙っている。
「母さんが、最期に言ってたこと、思いだしたんだ。ぼくは母さんみたいになっちゃいけないって、自分を責めることはない、ぼくは、生きててもいいんだって、そう言ってくれた。……でも、でもさ、そう簡単にはできないよ。自分の分まで生きてくれ……って、呪いだよ。本当。だって、生きてるかぎり、ずっと、母さんに捕らわれつづけるから。それを乗り越えろって言われたって、そう簡単には無理だよ」
「……」
「でも、みんな、優しくしてくれた。みんな、ここにいてもいいって言ってくれたし、それに、ぼくも、ぼくもここにいたいって思ったんだ。父さん、ぼくさ、最期に全部が片付いたら、またここに戻ってきたい。この世界に戻ってきたい。それで、みんなとまた笑い合っていたい。ダメかな」
 別に許しが欲しかったのではなかった。
 でも、この人には聞いてみたかったのだ。ぼくをどう思っているのか。本当は、ぼくをどう思っているのだろうかと。
「……やっと、父さんと、呼んでくれたな」
 やがて博士がぽつりと口を開いた。
「え?」
「呼び名だよ」静かに父さんは答える。「今まで、ずっと、博士、としか呼ばなかったろう」
「……そうだったかな」
「そうとも」
 父さんは言ってこっくりと頷いた。
「ジェフ」父さんは優しく話し始める。「……私も、本当のことを言おう。私はな、逃げていた。……真正面に向き合うことから、逃げつづけていたんだ。私は、怖かった。母さんを助けてやれなかった。私はあのとき、母さんのことを、大事にしてやれなかった」
「父さん?」
 ぼくはなにか呼び掛けようとした。父さんは続けた。
「……母さんは、私が殺したも同然だ。だから、怖かった。……私は、お前が私を怨んでいるのだろうと、ずっと思ってきた。母さんを殺したのは私だと、そう怒りの矛先が向けられるのも、無理ないことだと思った。だが、更にその事実からさえも目をそらして、自分の研究に、逃げ続けていたんだ」
 父さんはぼくの手を取った。そのしわだらけの手は、かすかに震えていた。
「私は……」かすれた声だった。父さんは頭を垂れ、視線を落とした。「私は……」
「父さん。誰も悪くなかったんだ」ぼくは自分にも語り掛けるように、やさしい口調で言った。「父さんが殺したんでも、ぼくが刺したわけでもなかった。ただ、たまたま、すべてが悪い方にいくようになってただけだ。……それだけだったんだよ」
 父さんは、ゆっくり顔を上げる。久しぶりに見る父さんの姿は、背が少し曲がっていて、心なしか、以前よりも小さく見えるようだった。父さんは小さく息をつき、それから、何かに納得したかのように、穏やかな顔になった。
「人間は、自分をいたわることができて、初めて他人にも優しさを与えられる、か」
「え?」
「古い言葉だ」父さんは小さくうなずく。「背が伸びたか?」
「……どうだろう」
「いつか来るとは思っていた……が、なんだか、名残惜しくも誇らしい気分だ」
 やさしい表情を作り、父さんはその手をゆっくりと解いた。そして、大きくなったな、とだけ言った。そうすると、ぼくの胸になにやら熱いものがこみあげてくるようになって、ぼくは、言葉にならない声を拾い上げ、なんとか形にしようとした。
「父さん。父さん、ぼくさ……」




 しかしその直後、広場の方で巨大な爆発音がしたので、ぼくの言葉はさえぎられた。
 一瞬なにが起こったのか分からなかった。
 振りかえると、さっき見たスペーストンネルの置いてあった場所から黒い煙が上がっていた。
「……は、はぁっ?」
「しまった」
 全然しまってはいないような口調で、父さんが呟いた。
「しまったって、何が?」
「あれはまだ、最後の調整が上手くいっていなかったんだ。言うのを忘れていた」
 忘れてたで済むか!!
 ぼくは思わず心の中で父さんに突っ込んでしまったが、実際そんなことをしてる場合ではなかった。ぼくは仕方なく身を翻すと、爆発したスペーストンネルの方に慌てて走っていった。まったく、何もかも台無しじゃないか。……いや、別に台無しになったからといって、どうというわけでもなかった。むしろ助かったほどだ。
 確かに父さんと和解したかったのは確かだが、別にいつまでもあんな空気でいかったわけじゃない。それに、何となくだが、きっかけは既にもう掴めてきたように思う。焦らなくてもいいのだ。
 どせいさん型の銀色のスペーストンネルは、鼻の部分が見事に吹っ飛んで、なんというかブタの蚊取り線香っぽい形状になっており、それはそれでほほえましい姿だと思えた。その煙の上がったスペーストンネルの前で、アップルキッドが数匹のどせいさんに囲まれながら腰を抜かしていたので、ぼくがそちらへ駆け寄っていくと、やがてスペーストンネルの中から、すすで真っ黒になったネスとポーラとプーがぞろぞろと出てきた。
 ネスは、嫌そうに真っ黒くなった服を手で払っており、ポーラは時折むせるように咳をしている。プーはしかめ面をして、腕を組んで何もいわなかった。ぼくは、一瞬なんと声をかけていいか分からず、とりあえず「大丈夫?」と話しかけてみた。3人は無反応だった。
「うーむ。やっぱりだめか」
 後ろから声がして振りむくと、いつの間にか父さんが追い付いてきていて、頭をかいていた。
 やっぱりと申したかこの人は!?
「材料がひとつ足りなかった」体を起こすアップルキッドに手を貸してやりながら、博士は言った。「しかし、それは地球上の物質ではないんだ。あれは私がまだ若い頃……落ちてきた隕石から採取したものなんだ。最近、どこかで隕石を見なかったかね?」
 隕石?
「あ、はい」ネスがうなずく。黒く汚れたままだ。「隕石ならオネットにありますよ。この間うちの近所の裏山に落ちてきて、ニュースにもなったんです」
「それだ!」博士は歓喜して叫ぶ。「その隕石のかけらでもあれば、物質XYZを合成できるぞ。……しかし、君達がオネットに隕石のかけらを取りに行くことを、ギーグとかいう敵が簡単に許すとは思えない。注意の上にも注意を重ねて、これからオネットに向かってくれ」
「なんだ。もう最後の戦いになるかと思ってたけど、まだまだ仕事が残ってたのね」うんざりといった調子でポーラがつぶやく。「じゃあ、全員で行ってパパッと済ませちゃいましょうよ」
「ちょ、ちょっと待って!」
 ぼくはそこでみんなに声をかけた。
 3人が、何があるのかとぼくの方に視線を向ける。
「いや、そのさ。ぼくも別に話の腰を折りたいわけじゃないんだけど……」
「どうした?」とプーが問いかける。
「いや……」ぼくはすこし口ごもるが、かまわず続ける。「さっき、ポーラが言ったけど、もうそろそろ最後の決戦になると思うんだ。だからその前に、ちょっとお願いしたい事があって」
「はぁ」ネスが、きょとんとした顔でぼくを見ている。
「今はさ、これからオネットに行くわけだから、この仕事が済んだあとでいいんだけど……」ぼくは言葉をにごしながら言う。「ぼく、ちょっと寄りたいところがあるんだ。こんなタイミングで何言ってるんだって思うかもしれないけど、でも、最後に行くって、約束しちゃったんだよね。……ぼく一人だけで、済む用事なんだ、だから、その、いいかな」

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