アイザックは何の反応も示さなかった。
 もっと、そんな馬鹿な、とか、意味がわからない、という感じになると思っていたのだが。
「……ぼくが母さんの死を目の当たりにした時、」とぼくは続けた。「ぼくはあまりのショックに、その現実を事実だと受け止めることができなかった。そしてその瞬間に、心の中に、2つのあるものを作りだしたんだ。……1つは、君だ。アイザック。ぼくが母さんの死に対する無力感と罪悪感にうちひしがれた時、その結果として心の中にもう一人の『悪い』自分を作り出した。そうすることで、そいつが全て悪かったんだという記憶を頭の中にねつ造して、その小さい心で抱えきれない感情の負担を軽くした。しかしそれ以来、ぼくは小さいころの記憶を失くしてしまったし、ぼくがこの事件のことを忘れてしまうまで、君はずっとぼくのそばに幻覚として存在し続けた。……ここまではいい。そしてもう1つ、ぼくが現実から目をそらすために作り出したもの、それが、このぼくが今いるこの世界――このマジカントじゃなく、まさにぼくが今いる、この世界だった」
 そう言うとぼくは、ふところから板を取り出す。さっきぼくの部屋を出るとき、誰にも見つからないようにしてそっとくすねてきたそれは――ゲームのカセットだった。
「ちょうどその時、ぼくはTVゲームをやってたんだ。『MOTHER2』っていう名前のRPGだ。
……ファンタジーではなく現代世界を舞台にした、ちょっと変わったゲームで、そしてぼくは、そのゲームが大好きだったんだ。主人公は4人の少年少女たちで、彼らは選ばれしものとなり、ギーグという悪の親玉を倒すために、そして未来を救うために立ち上がる、という話……、そう、これはまさしくぼくの辿ってきた道筋そのものだ。ぼくは、この『MOTHER2』というゲームに憧れて、自分が閉じこもるための世界をそのゲームの世界観になぞらえ、心の中に設定して作り出した。その世界の中では、ぼくは主人公の中のひとり――力は弱く、目は強度の近視、怖がりで無鉄砲な、ジェフという名のメガネの少年だった」
 アイザックはあいかわらず何も言わない。なんだか不気味なほどだ。
 でもそれは、ぼくの話が間違っているからじゃない。むしろぼくの話がすべて真実だからこそ、彼は黙っているのだ。ぼくにはそれが分かる。話せば話すほど、ぼくにはそれが確信できてくる。
「つまり、本当の世界でのぼくは、おそらくジェフなんて名前の少年じゃない。もっと別の、きっと人種も年齢も違うような人間だ。……でも、ぼくはそうやって、もともと住んでいた世界と、自分で作り出した心の世界――すなわち『マジカント』の、この二つを同化させて、ジェフという少年になりきって暮らし始めたんだ。まるで『マニマニの悪魔』の効果のように」
「……」
「この世界を作ってしまったのは、間違いなくぼくだ。そしてまた、普通では考えられないような現象を生み出し、こんな世界を作り上げてきたのは他でもないギーグでもある。つまり、ぼくとギーグは、同一人物だった。そういうことだ。……そうやって、ぼくは空想の世界の中でずっと生きていくはずだった。ジェフという名の少年になって、寄宿舎という閉鎖的な学園で、存在しない僚友たちに囲まれ、いつまでもここにいるはずだった。終わりのない夢、永遠に続く夢を見るように……、とにかくぼくは、ずっとあの場所にいるはずだったんだ。君もそれが望みだったはずだ。しかし、何故かある日突然、その歯車が狂いはじめた」
「……」
「物語が進み出してしまったんだ。寄宿舎のベッドでぼくが寝ていると、ある真夜中、突然ぼくの頭の中に少女の声が鳴り響いてくる。そして、ぼくは世界を救う旅を始めてしまったんだ。ストーリーが始まってしまったということは、もちろん最後には終わりがやってくる。君にとっては、あまりに予想外で不都合な出来事だったはずだ。君もぼくも、ここでずっと生きていくことを望んだはずだからね。
……だから、間もなく君はぼくの前に現れた。君の真の目的は、ぼくをただ単に精神的にいたぶることじゃない。ぼくを、この世界から現実の世界へ戻さないようにすることだった。だから、意図の見えない妙な揺さぶりを、事あるごとにぼくにし続けた」
「……」
「そして一番肝心なのはここからだ。すなわち、『ぼくがギーグを倒す』とは一体どういうことなのか? ぼく自身がすなわちギーグである以上、ぼくがギーグを倒し、世界を救うということは、すなわち――」
「分かったよ。もういい」
 アイザックが、ぼくの言葉をさえぎって口火を切る。語気は荒かった。
「え……」
「もうこれ以上君に話をさせる必要もない。そこまで分かってしまったんなら、あとはこの急ごしらえの『マジカント』も時間の問題だ。その前に、君をここで『殺して』しまうことにする。君がここで死ねば、どちらにしろ永遠にこの世界から出ることはなくなるんだ。ここから出るやつがいなくなるわけだからね。――ここがどこだか、君は分かるかい?」
 アイザックは両腕を開いて、このただっ広いまっさらな空間を示した。
「ここは『エデンの海』。君の心の奥の奥、いちばん底のいちばん深い場所さ。そしてここで君は死ぬ」
 彼はそのまま一歩一歩、ぼくに向かって近づいてくる。ぼくは思わず後ずさりしてしまう。
「……あんまり僕を見くびらない方がいいよ。なぜなら、私ハ、オ前ノ心ノ中ノ邪悪」彼の表情が陰り、みるみる形が変わっていく。「倒スコトハデキマイ。オ前ガ育テタ、私ナノダカラ……!
 そうだ、こいつは、ぼくの心の中の悪魔。
 ジェフの悪魔だ。




 その瞬間、アイザックの背後で、急に爆発が起きた。
 ぼくも彼も、そちらをあわてて振り返っていた。黒煙があがっており、白い空間に真っ黒な裂け目ができていた。なにかが原因で、この世界に亀裂が生じたのだ。……と、ぼくらが気を取られていると、その亀裂から突然大きな光の玉が飛んできて、アイザックめがけて横から衝突した。彼はいきなりの追突に体制を整えきれずに、はるか上空に吹き飛ばされる。彼が、黒い竜巻に変わってふわりと真下に着地すると、大きな光の玉も彼に向かって同時に突っ込んで、その瞬間、姿が人間の形に戻った。
 赤い帽子、青縞のシャツ。背中の黄色いリュック。
 彼はこちらを見て、にやりと微笑んだ。
 ――ネスだ!
 ネスはとっさにアイザックの背後に回り込んで、その体に後ろから組みついて動けないようにした。
「ね、ネスっ!!」
 ぼくは驚きのあまり、叫んだ。
「へへっ! いい所をひとりじめしようったってそうはいかないぜ、ジェフ!」ネスはアイザックに組みつきながらぼくに言う。「こらっ、動くなこのヤロ!」
「そうよ。ジェフってば相変わらず水くさいんだから」
 背後からいたずらっぽく声がかかる。見ると、ぼくの横に、いつの間にかポーラが立っていた。照れたようにウィンクしながら、ちょっとだけ舌を出す。
「ポーラ、なんでここに……」
「おれも居るぞ」
 ぼくの反対側から声がする。振り向くと、プーもそこにいた。どうしてこの3人がここに?
「サマーズで、お前のマジカントに入りこんだことがあっただろう?」プーは相変わらず、その顔に穏やかな笑みを浮かべている。「あれと同じ方法を使ったんだよ。今回はちょっとばかり大仕事だったけどな」
「プー……」ぼくは感激のあまり、声がかすれそうになる。「ポーラ、ネス。みんな……」
「ジェフ、一人で抱え込まないで?」ポーラが言う。「私たちはそれを伝えに来たんだから」
「そーだぞジェフ! オレたちがいること、忘れてもらっちゃ困るぜ!」
 アイザックは、ぼくらに囲まれて、終始苦しい顔をし続けていた。いらだたしげに鋭い目つきで、ぼくの事を睨みつけている。
 ぼくは、彼を振りかえると、そちらに歩み寄って行きながら、持っていたカセットをふところにしまい、かわりに今度はホルスターから一丁の銃を抜き取った。荷物を失くしても、これだけは肌身離さず持っていた。寄宿舎を出るときからずっとぼくを助けてきた改造銃だ。
 ぼくは、彼の目の前に銃口を突き付ける。
「残念だったな、アイザック。本当に相手を見くびっていたのは君の方だったみたいだ」
「ふん、無駄だよ」彼はぼくを鼻で笑う。「……ここで君が僕を殺したところで、僕が消えるわけじゃない。そう簡単に僕が消えるものか。僕は、君が生きている限りずっと君のそばをまとわり続けるんだ。君は一生そこから逃れられないんだよ! 心の闇ってのはそういうことさ」
 ぼくは、それについて何も答えなかった。きっと彼の言うことは本当だろうからだ。ぼくも、そしてアイザックも、お互いに無言になった。
「……アイザック、君には感謝してる」ぼくはやがて口を開いた。「思えば、君はずっと一貫して、ぼくを君なりのやり方で悲しみから救おうとしていたわけだから」
「ようやく分かったのかい」彼は、からかうように言う。「言ったろ、僕と君は昔からの親友だって」
「さよなら」
 彼は笑った。「またね」
 ぼくは引き金を引いた。BANGバーン

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