気が付くと、周りの道はしだいに険しくなりはじめた。前方にはごつごつした岩の転がる急斜面が続いており、そのすき間を縫うようにして、うねうねと曲がりくねった山道が頂上のほうまで伸びている。ここを登りきれば峠も越えられるだろうし、そうしたらいよいよ火山が目前に控えているはずだ。
 そう思って、ぼくが後ろを振り向くと、アニキがうつむきながらその場で立ち止まっていた。
「アニキさん?」
「た、旅人さんよぉ、ほ、ホントに行くのかい?」
 あはは、とアニキさんは、乾いた笑い声を上げた。
「やっぱさ、やめといた方がいいと思うんだよ……」とアニキさんは続けた。「この辺りさぁ、ホントに誰も近づきたがらない場所なんだよね。あんた、最初見た時からなんだか思いつめた顔してたからさ、だからこう、一回どんなもんだか見ちまえば気も晴れるだろうと思ってさ、オレ、今までこうして案内してきたわけなんだよ。だけど、その……」
「……」
「あっ、言っとくけど、その、オレはすっごく行きたいんだぜ!? だけどよー、なんていうか、その、オレ……いやその、なんてったって、ボスだからさ! だから、オレが途中でいきなり村からいなくなっちゃったら、困るわけよ、みんなさ。それから……、そ、そう、病気! オレ実は病気でさー! この辺りに来ると、きゅうに腹の虫が……イテテテ」
「……」
 そうか、
 そうなのだ。
 やはりこの先は、ぼくだけで行かなくちゃいけないのだ。
「ほ、ほら、子分のお前もさ! そう思うだろ、な!」
 アニキさんがそう呼びかけたので、子分くんはびくりとして手を繋いでいたアニキさんの顔を見た。それから、そのつぶらな瞳をぼくの方へと向ける。彼は不安そうな表情をしながら、ぼくのことを見ていた。
「分かりました。それじゃここからは、ぼく一人で行きます」
 ぼくはアニキさんにそう告げることにした。
「……え、ホント?」
「はい。道はさっき教えてもらったので、それで大体分かると思います」
「……」
 アニキさんは、しばらく絶句していた。
「そ、そっか……」ようやっと、といった感じで、うわごとを呟くようにアニキさんは続けた。「ホントに、戻る気ないの?」
「ぼく、行かなきゃいけないんです。時間がなくって」
 あいかわらずアニキさんは呆然としたままだった。が、それから一瞬ほど、ちょっとだけ安堵したような、驚いてはいるがふと寂しそうな表情を浮かべて、言った。
「そっかぁ。それじゃ、オレらも、もう行きますわ」
 頭をかき、アニキさんは一礼すると、子分くんの手を引いて、そそくさと道を戻り始めた。子分くんが手をひかれながら、こちらを振り向いて、ぴょんぴょんと跳ねながら、懸命にぼくに何か訴えかけようとしていた。ぼくは、どんな顔をしていいか困ったが、とりあえず、笑って送ってあげようと思い、手を振った。
「ここまで、どうも有り難うございました!」とぼくは叫んだ。「さよなら!」
 ぼくが呼びかけるころには、二人の姿は、もうすでに小さくなっていた。
 彼らをひとしきり見送ってしまったあとで、もう大丈夫だ、とぼくはようやく安心した。そして、また前方に向き直ると、再び山道を登り始めた。が、そこで今度はまた後ろから呼びかける声がした。
「旅人さーん!」
 ぼくは振り向いた。そのはるか向こうには、手をつないだ凸凹のグミ族が二人、立っていた。
「達者でなー! 気が変わったらさー、帰ってこいよなー!」
 その小さな二つの影に、ぼくは、また手を振って答えた。そしてまた山道を歩き始める。彼らはぼくが再び坂道を登りはじめて、やがてすっかり見えなくなってしまうまで、こちらに向かってずっと手を振り続けてくれているみたいだった。
「達者でなぁー! どうかー、達者でなぁー!! ……」




 足場の悪い山道を一人で黙々と歩いていると、自分の荒い息の音だけが、耳の中に大きくなって聞こえてくるのが分かる。大股で一歩一歩大きな岩を乗り越えて、砂利道を踏みしめ、道の途中でふと顔を上げると、その先の行き止まりになった高い岩崖に、ぽっかりと洞窟が開いているのを見つけた。
 洞穴の入り口の前に立つと、リュックを下ろして中から懐中電灯を探り出し、点けて中を照らしてみた。入り口は狭いものの、人が入っていけるくらいの道が洞窟の奥まで続いているようだった。ぼくは意を決し、中へまた進みだす。
 心許ない明かりを頼りに、しばらく暗い道を進んでいくと、なんだかこころなしか、周囲の気温が上がってきたような気がした。……さっきからまるで蒸し風呂のように妙に暑苦しいのだ。ぼくは思わずネクタイをゆるめ、シャツの中に風を送り込むようにして、なおも歩いていった。やがて、曲がりくねった道の先に、ほの明るい場所へと繋がる出口らしき穴を見つけた。ぼくはそちらへ駆けていくと、そこから、ひょいと中に顔を出してみた。
 その瞬間、むわっと熱い気がぼくの顔を襲った。ぼくは慌てて頭をひっこめる。驚きながらも、またおそるおそる視線をその先に、というより、足下よりもはるか下へと向ける。
 道は、いまぼくが立っている場所で断崖になって終わっていた。というのも、そこから先は大きな大きな穴が空いていて、先には進めないのだった。はるか下には真っ赤に発光してゆれる海のようなものが見える。――溶岩だ、溶岩の海があるのだ。おそらくあそこから発せられる熱が、この暑さの原因となっているようだ。
 ぼくは思わずゴクリと息を飲んだ。暑さで、頬から首筋にかけて汗が垂れ、ぽたりと落ちる。
 足下から目線を外し、今度は上のほうを眺め見てみる。空洞は天井まで吹き抜けになってつながっていて、その外壁に沿うようにして、人が一人やっと歩いていけそうなほどの細い通路が、らせん状に続いている。そしてその先、はるか頂点には、なにやら足場が出来ていた。
 あれはいったい何だろう。
 もしかして、あの先にあるのが『ファイアスプリング』なのだろうか?
 ぼくは下に見えるマグマの海に再度目を向けながら、そのらせん通路を登って行くことに決めた。登りながら見てみても下からの熱が顔にあたるほど、溶岩の勢いも凄まじく、それがなんとも恐ろしかった。ここから落ちればまず命はないと思って間違いないだろう。そう思うと、自然と身ぶるいが出た。
 
 
 熱さにやられながら勾配を登ってゆき、汗がだらだらと流れていくのを感じていた。が、果てしなく続くかと思われた螺旋の道にもやがて終わりが見えた。
 長く険しい道の頂上には、宙に浮かぶ広場につながっていた。下からは、マグマの海から発せられる赤い、熱を帯びた光が、その薄暗い空間をおぼろげに浮かび上がらせている。そして、その広間の真ん中に、同じく溶岩がこんこんとわき出る丘があった。
 特に熱さは感じなかった。その目前にあるこんもりとした丘はミニチュアの火山を思わせ、確かに『ファイアスプリング』という名にぴったりだった。ぼくは、ズボンのポケットの中に忍ばせていた音の石にそっと触れてみる。石はパワースポットを前に、まるで興奮するかのように微かに熱を帯びていた。
 ぼくは、その最後のパワースポットに、そっと近づいていった。寸前まで行って足を止めると、ぼくは溶岩の流れているその小山の頂上に向けて、音の石をポケットから取り出し、いつもネスがしていたようにそれをかざした。
 思えば、長かった。ぼくは今まで巡り歩いてきたパワースポットのことを思い浮かべた。そして、今まで出会い、そして別れてきたたくさんの人々のことを。


「――強く生きるのよ、ジェフ」
 誰かの声がした。
 母さんだ。
 母さんの、声だ。
 今の今までずっと忘れていたのに、と、石を掲げながらぼくは思った。なぜこんな時に、母さんの声なんて思い出すんだ。そんなに重要な言葉だっただろうか?
「今は分からなくていいの、ジェフ。いつか分かるときが来るわ。それまで、どうか覚えていて。強く、強く生きるのよ、ジェフ」
 その言葉が頭の中に響いてくる。
 そうだ、そういえば確かに、母さんの言葉はそう続いていたが、それがどうして今? ――と、思っていると、次第にその声に、耳鳴りのような甲高い音が混じってくる。音の石だ。音の石が『ファイアスプリング』に共鳴し、今まで灯っていた7つの光の点滅と合わせて、ぶるぶると震えながら騒々しい耳障りな音を立てはじめたのだ。
 突然、音の石から突風のような衝撃波がぶわんと飛び、ぼくはその場から吹き飛ばされそうになった。なんとか体勢を立て直しながら、ぼくは目を開ける。周囲には巨大な風の流れが起きていて、今にも嵐に体が切り裂かれてしまいそうだった。耳の中でも風の鳴る音がする。なんだ。いきなり、どうしたんだ、これは、と思い、そしてぼくは見た。手の中にあった音の石の表面に、最後の、赤い光が宿るのを。音の石が8つの光をランダムに明滅させながら、ゆっくりと、メロディを奏ではじめる。しかしその音程は懐かしい旋律にどこか似ているようで、どこかが歪んでいた。一つの流れを作っているようでいて、その実なにかが決定的に乱れて、不協和音を作り出していたのだ。
 どういうことだ。何が起こってるんだ。
 メロディはさらに騒がしくなっていき、今や耳をふさいでも聞こえるほどだった。拍子はすっかり乱れ、頭が痛くなるくらいに滅茶苦茶なリズムで、やかましくざわめいている。目の中にちらちらと星が飛び散った。気分が悪くなる。目眩がして、周囲の視界が急にぐにゃりと歪んだような気配がする。
「ど、どうなってるんだ! や、やめろ、止まれー!」
 ぼくは目をつぶった。
 すると暗闇が訪れたかわりに、ぱたりと、音も止んでしまった。
 ぼくは、呼吸を荒げながら、ゆっくりと目を開ける。すると、なんと目の前の景色も、すっかり変っていたのだった。そこは火山ではなかった。何故かぼくが立っていたのは、ぼくがウィンターズ寄宿舎にやってくる前、母さんと二人で暮らしていた、一軒家の2階のぼくの部屋だったのだ。

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