寄宿舎棟の玄関から、みんなの待つ正門までぼくが走ってくると、みんなはやや不安そうな顔でぼくのことを待っていた。ぼくは息を弾ませて、みんなの元までやってきた。
「もういいの? 本当に大丈夫なの?」
 と、走ってきたぼくに向ってポーラが訊いた。ぼくは振り返り、闇夜に浮かび上がるぼくの寄宿舎をもう一度見た。玄関では、ポーチにいたトニーが建物の中に入り、ちょうど両開きの大きな扉が閉められたところだった。ぼくは、それを確認すると視線を戻し、みんなに向き直った。
「うん、きっともう大丈夫だ」
「本当?」ポーラはまだ不安そうな顔をしていた。「ならいいんだけど……」
「それよりさ、ぼくがいない間に、今まで起こった出来事について詳しく知りたいんだけど。ぼくがストーンヘンジの地下要塞からスノーウッドに住んでる人たちを助け出したあと、いったいどういう事になっていたんだ? それがさっぱり思い出せないんだ……」
「分かった。じゃあ移動しながら話そう」
 プーがそう言い、歩み寄ってきてぼくの手を取る。ネスとポーラも、それに呼応するようにして手を取り合い、全員はそっと目をつむった。ぼくも目を閉じ、意識を研ぎ澄ます。
 耳の中で風の鳴る音が聞こえ、それがどんどん大きくなってきたかと思うと、ふっと、いきなり地面の感覚がなくなった。どこか高い場所から吹き抜けを急に落ちていくような感じに、ぼくは掴んでいた誰かの手のひらをさらにぎゅっと握って、その恐怖が過ぎ去るのを待った。これは幻覚だ。テレポートによる錯覚なんだ――。
「目を開けていいぞ」
 その言葉に従ってすっと目を開けると、そこは蒸し暑い南国の樹海の真っただ中だった。


「スターマンの基地で助け出した人たちの中に、アップルキッドがいたの覚えてるだろ?」
 暗い洞窟の中、先頭を歩いているネスが言う。ここは、かつて魔境に突然現れたゲップーやゾンビ、ヒエログリフの群れに追われて逃げ込んだ、グミ族の集落へと続く一本道の洞窟だ。
「あいつがさ、持ってたんだよね。無口をなおす本をさ」
「何だって?」
「無口をなおす本」
 へえ。そりゃ凄そうな本だ……。
 足音の響く暗い洞窟を抜けて、ぼくたちがグミ族の村の大広場にようやくたどり着くと、そこは騒然としていた。おそらく集落じゅうの全ての住民が集結したのかと思われるほどの、すごい数のグミ族の人々がそこにいて、彼らはその背の低い緑色をした体をひしめき合わせていた。
 なんと彼らは、以前とは見違えたようにガヤガヤと隣同士でやまかしく喋りあっては、うんうんとうなずき返し、それからまた別のグループに入っては色んなことをまくしたてたりしているのだった。ぼくは思わず呆然とした。あの、無口で恥ずかしがり屋のグミ族たちが? ぼくたちの腰の下限定の、そんな小さな集会の中心には、例のヒゲの生えたグミ族の長老が、手にグレーの表紙がついた分厚い本をたずさえながら中央の円テーブルの上に立っていて、他の人々に向かって何事か演説しているところだった。
「……。……お、おお、おおお!」
 人々に語りかけていた長老は、ぼくたちのことに気がつくと、驚いた様子で歓声を上げた。それから石の円卓を降りて、他のグミ族たちの間をかき分けてぼくらの方にいそいで歩み寄ってくると、ぼくらに握手を求めてくる。ひとまずネスがそれに応じた。
「ああネスさんがた! ありがとう、うれしい、どうも、私たち! 皆むくちなおった! おしゃべりペラペラ。」村長はネスの手を取ってムリヤリ振りまわすように握手をした。僕らはただ苦笑いするしかなかった。「この本すごい。今みなにがんばって読んで聞かせている。ああそう、ぜひともお礼したいでございますからグミドリアンやる。」村長はどこか慌てたようにまくしたてながら、懐からなにか取り出して、握手をしていたぼくらの手にそれを震える腕で持たせた――なにやらこぶし大の、トゲのついた果物だ。「グミドリアンはグミ族のだれもが大好きなすばらしい果物でございます。ものすごくくさいがグミ族はみな大好き。いや、それにしても私たち、とてもうれしい、感激、爆発。たのしい。無口なおったお礼にドラゴンパウダーやる。もらえ。」
 ネスは、今度はドラゴンパウダーという名の粉の入った瓶を手渡された。長老はまだ話し足りないようで、なんだか喋っても喋っても言葉が口の中から湧きあがってくるらしく、片時も黙ることがなかった。ぼくらは、思わず顔を見合せて、これなら黙っていた時の方が幾分ましだったのでは……、とお互いに目で語り合った。
 ぼくらの周りは、いつの間にかグミ族の人々によってすっかり取り囲まれており、みなそれぞれに勝手に思いついたことから順にぼくらに向かって喋りたてて、押し合いへしあいの大騒ぎになっていた。それらのことを取りまとめて、なんとなくおおざっぱに解釈すると、なにはともあれぼくらのことについては感謝しているような感じだった。村長は、ぼくらの様子にかまうこともなく、相変わらずひたすらに喋りつづけていたが、さっきのようにまた重要な何かを思い出した風で「おお、おおお!」とおたけびをあげた。それからネスの手を引き、人波をかき分けて歩きはじめた。
「あ、あの、どこへ向かわれてるんですか?」とぼくは村長さんに聞いた。
「あなたがた探している、パワースポット。だからわしがぜひ案内する」
 がやがやとした人ごみを離れ、ぼくらが連れてこられたのは、大広場の先の奥まった場所だった。そこは確か、かつておしゃべりなグミ族と、もう一人岩を守る無口なグミ族がいるはずだ。ぼくらが村長さんに連れてこられてやってくると、確かにその二人は既にそこでぼくらを待っていた。が、以前と少し違うところは、おしゃべりだったグミ族が何やら居心地悪そうに揉み手をしているのと、それとはうってかわって岩を守っていたグミ族が、岩から降りて飛んだり跳ねたりポージングをしていたりするところだった。
「いやー、これはこれは旅人さんがた……」
 おしゃべりなほうのグミ族が、やがてぼくらに話しかけてきた。
「あ、どうも。あなたはあまり変わらないんですね?」
「まあ、そう言われればそうでございますね……。というか最近、みんながおしゃべりになって、私の独自性が薄れちゃったんでございますよ」
 それは気の毒なことだ、とぼくは思った。
 村長は、岩を守っているグミ族と面を向かいあわせ、小声で何事か話をしていたところだった。が、やがて岩を守っている方が大きくうなずくと、それから大きくうなり声をあげた。
「力持ち、私、だから、したい、自慢。ぬおーーーっぷ!
 何事かとぼくらは思わず目をみはった。そのグミ族は、自分の体の十倍以上はありそうな背後の岩を、短い両腕でがっぷり捕えると、そのままゆっくりと上に持ち上げたのだった。岩は、地中からごっそりと抜け、下には穴が開いて縄ばしごが続いていた。どうやらそこに長い間通路が封じられていたようだ。
 石を脇にどけて、それからそのグミ族は満足したように言った。
「私の力、印象深い」
 ぼくらは思いがけず、全員で拍手をした。そのグミ族はニコニコしながらそれに応じ、やがてぼくらの脇を通り過ぎて人ごみの中に帰って行った。
「……で、この下に私たちのパワースポットがあるってこと?」と、ポーラが村長さんに聞いた。
「そう」
「じゃあ、行くかあ」
 ネスがあっさりと言う。こんな離れわざで道が開くことなんて、果たしてあっていいのだろうか、とぼくは思ったが、思い返せばぼくらが壁に突き当たった時には、ほとんどそうした離れわざで解決してきたことを思い出した。今更どうこう言うようなことでもないのだろう、と、ぼくはあきらめて思うことにした。何にしろ今回の件については、急がば回れと言うか、結局のところ結果オーライと言う形になったのは事実だ。
「じゃあ、ぼくら行きます。ありがとう村長さん」
「さらばじゃ。アイセイグッバイじゃ」
 村長さんは、優しげな微笑みを浮かべながらぼくらのことを見送っていた。ぼくらはうなずき合うと、その穴の縄ばしごを降り、ここからさらに地中の奥深くへと潜っていくことにした。


『いつかぼくがまた寄宿舎に帰ってきたら、今まで言えなかったことを君に言うよ』
 ぼくはどうして別れ際になって、トニーにあんなことを口走ったのだろう?
 寄宿舎をふたたび飛び出した今となっては、よく分からなかった。あの時はいろいろなことが頭をよぎりすぎて、無我夢中だったのだ。でもきっと、まだ整理のしきれていないぼくの本心がそうさせたのだろう。トニーがぼくにああいった重大な告白をしてくれたのだから、ぼくもトニーの気持ちに少しでも答えてやらなければいけないのだと、ぼくはそう思ったのだ。あれが、本当に「トニーの気持に報いる」ことになっているのかどうかは、よく分からないのだけれど。
『でも結局きみは、それを拒まざるをえなかったんじゃないか』
 ぼくの心の中のアイザックが言う。
『結局、生理的な部分で君は分かりあえなかったんじゃないか。それと同じことだってどうして分からない? 君だって同じ末路をたどるだろうってことが?』
 そんなことはない。
 たとえ、その生理的な壁というのが果たしてあったとしても、「共感」することができなかったとしても、せめて「理解」しあうためには、どうしたらいいかということをぼくはずっと考えているのだ。どうしたらトニーに対して、ぼくは「答えた」ことになるのか、それをずっとぼくは考えているのだ。
 それに、トニーがぼくのことを信じてくれる前に、まずぼくが、彼を信じてあげなくてどうすると、ぼくはそう思うから。
『じゃあ君が信じれば、相手は必ず信じてくれるのか?』
 そんなことは、とぼくは口ごもる。彼はそれを見るとぼくを鼻で笑い、それからくるりときびすを返すと、闇の中へ靴音を鳴らしながら消えていく。ぼくはそれを見送らずに、ただ前方のはるか彼方だけをじっと見つめている。そうすることしかできないでいた。

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