次の日からは普段どおりに授業があり、ぼくも朝から出席した。
 昨日とはうって変わって、その日は朝から霧雨のような粉雪が降りしきっており、窓の外の景色はふたたび真っ白く染まっていた。ぼくが教室の席に着くと、また何人かの生徒がぼくに話しかけてきたりもしたが、授業が始まるとすぐに生徒たちは授業のほうに集中したし、先生も、ぼくの事について特に何も言及しなかった。ぼくもまた皆の中に慣れ、元通りにとけこんでいった。何ヶ月も休んでいたのだから、授業ついていくのが難しかったのは仕方のないことではあったが、それでも次第に手探りで、ほんのわずかな実感として本来の調子を取り戻していった。
 授業が終わってから、トニーとウィルが連れだってぼくの所にやってきたので、ぼくは席を立つと、二人と一緒に次の教室へ歩き出した。
「ジェフ、久しぶりの学校はどう?」とウィルが訊く。
「なかなか大変だよ……」
「ぼくさー、今日外来語の授業中ずっと眠くて仕方なくてさあ」
 さっきまで寝ていたのだろう、隣のトニーが目をこすりながら言った。
「あぁ、嫌いな教科って眠くなるよね」
「教科っていうより、何ていうか、勉強そのものが嫌い……」
「そ、それってもしかしてすごく駄目なんじゃ……?」
 もしかしなくても駄目だろ、とぼくは思いつつも、こうした何気ない会話もまた懐かしく思い、この様子なら意外と早く元の生活へと戻ることができるのかもしれない、と思った。そんな自分に安堵すると同時に、また驚きもしていた。
 こんなにも早く、彼らとの旅から、離れられるものなのだろうか。
 もうはるか昔の出来事のように思える。


 ぼくらが寄宿舎に帰って食堂で夕食をとり、部屋に戻ってから更に夜もふけたころ、ぼくとトニーの部屋の扉を叩くものがあった。ぼくがドアを開けてやると、扉の前にいたのは双子の片割れ、ギャリーだった。
「ギャリー?」ぼくは意外な訪問客に驚いて、「どうしたんだよこんな夜遅くに」
「ガウス先輩が呼んでるよ」ギャリーが言った。「今すぐトニーと一緒に部屋まで来てくれって」
 先輩が?
 ぼくが後ろを振り返ると、既にトニーが傍までやって来ていた。
「と、とにかく俺は伝えたから」とギャリーは言うと、頭をかき、まぁそんなわけだから、早く来てくれよな、それじゃ、と言い残して廊下をすたすたと歩いていってしまった。「変なの」とトニーがつぶやいた。
 ぼくは嫌な予感がした。かつての真夜中の出来事が再び脳裏をかすめる。今日のような、雪の降りしきる悪夢のような夜だ。
「ジェフ?」
 後ろでトニーが尋ねた。どうやらぼんやりしていたらしい。ぼくは頷くと、とりあえずガウス先輩の部屋へと急ぐことにする。
 鍵をかけてから部屋を出た。廊下は静かで、さっきから誰ともすれ違う気配がなかったし、絨毯敷きの床はぼくらの足音を柔らかく吸いとってくれて、その静寂に一役買っていた。廊下の途中の窓を覗き込むと、外には大粒の雪がしんしんと振り続いているのが見える。「静かだね」とトニーが囁いて言った。ぼくは本当にその通りだと思った。
 廊下から階段を下り、ぼくらは一階のガウス先輩の部屋の前にやってきた。
 ぼくは扉の前で腕をくんで、部屋の中にそっと耳をすましてみた。中からはひそひそと静かな話し声が聞こえた。いったい誰と誰が話しているのだろう。
「入らないの?」隣のトニーが訊いた。
「トニー、ぼくさ。……なんだか嫌な予感がするんだ」
「嫌な予感?」
「思い出さないかな、あの夜のこと。あの時も、確かギャリーがぼくらを部屋まで呼びに来たんだったよね。それでぼくと君は、こんな雪のふる静かな夜に、廊下を歩いて……」
「まっさかぁ」トニーはちょっと嫌そうな顔になった。「か、考えすぎだよ」
「それにさ、おかしいと思わないか」
「何が?」
「よく考えてみろよ。ガウス先輩は、どうしてぼくらをわざわざ部屋にまで呼び出したりするんだ。ギャリーを使いによこしてまで。それなら、自分の足で来て要件を伝えてくれればいいだけの話じゃないか。なんでわざわざ、『ガウス先輩の部屋に』ぼくらを呼びだす必要があるんだ?」
「……。それは、きっと何か事情があって」
「それにトニー、考えてもみてくれ。こんな、」
 と言って、ぼくは意味ありげに窓の外を見た。
「こんな雪の降る夜にだぜ? 何かあると思わないか?」
「な、何かって?」
「落ちついて考えれば分かることさ。何か思い当たるフシがあるだろ」
「……。ま、まさか、なにか企んでるってこと!?」

 いや別に、まったく何もないと思うんだけど。

「そうさ。君の言う通りだ」
「でも一体なにを……? ま、まさか! 先週ガウス先輩の夜食を、僕が間違って食べちゃったこと? それをずっと根にもってて、それで僕たちに、し、仕返しをしようと……」
「そうさ」
「で、でも、たかが食べ物のことで、僕たちを、どうにかしようなんて!?」
「分からないぜ。食べ物の恨みは恐ろしいって言うし」
「そ、そっかあ」トニーは両頬に手をあてて、深刻に考えこむようにした。「確かに僕も、もし自分の夜食かなにかを、間違ってジェフに食べられでもしたら、最低でも一ヶ月以上は恨むかも……で、でも、ほんのそれだけのことで、僕たちを、こ、こ、殺すなんて……!」
 相変わらず、トニーの想像力はすごいな。
「に、逃げよう! 今からでも僕たち二人だけで、どこかへ!!」
「無駄だよ。ガウス先輩のことだ、その気になればすぐにぼくたちを見つけに来るよ」
「そんなぁ……じゃあ一体どうしたら……」
「それを今ぼくも考えてたんだ」ぼくは腕を組みながら、真剣な口調で答える。「クソッ、一体どうしたらいいんだ。せめてこの場だけでもなんとか足止めできたら……!」
「ジェフ……」
 トニーは、何か考え込むように黙りこんだが、やがて顔を上げ、
「ぼ、僕が何とかする! ここでガウス先輩の足止めをするよ!」
 なんだってー!
 ぼくは心の中でガッツポーズする。あとはここで一歩退いて、
「何を言うんだトニー、それじゃ君の身に危険が……!」
「かまうもんか! 僕はジェフのためにこの身をささげる覚悟だってあるんだ!」
 それは逆に色々まずくないか。
「でもトニー、君はいいのかい?」
「うん! この場はぼくに任せて、君は早く逃げるんだ! 早く!」
 ぼくは言葉をなくし、トニーの目を見つめた。彼の瞳の奥には決意の炎がめらめらと燃え揺らいでいるのが見えた。ぼくはやがて頷くと、
「分かった。それじゃ、ぼくの背中は君に任せるよ」
「うん。じゃあ、きっとまた会おうぜ。どれだけ離れても、僕らずっと親友だよ」
「もちろんさ」
 なんだかさっきから申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「よし!」トニーはすうっと息を吸い込み、それから目の前にある扉のノブに手をかけた。
 あ、開けちゃった。
「ガウス先輩っ! お話が、」
「「「ジェフ、寄宿舎にお帰りなさぁ――い!!!」」」
 パンパンパン、と、トニーが扉を勢い良く開けたと同時にクラッカーの大きな破裂音がして、その次の瞬間には、クラッカーの細い紙テープや紙吹雪を一身にあびて、あまりに突然のことに呆然自失となっているトニーと、同じく、入ってきたのがぼくだと思ってクラッカーを鳴らしたら別人であった……というベタベタなネタをやられてすっかり驚いている、ガウス先輩以下ぼくの僚友たちが、お互いに向き合う形になっているのだった。
 あーあ。
 ぼくはトニーの横から部屋の中へひょっこりと顔を出してみた。中は、ガウス先輩の部屋らしく相変わらず物やガラクタであふれかえっていて、しかしその中でも辛うじてなにか飲み食いできるだけのスペースが急ごしらえといった感じで作られていた。先輩たちは、「なんだよトニーかよ!」「びっくりさせるなよなー」とざわついていたが、ぼくの顔を見るとさらに驚愕の叫び声を上げた。
「……ども」
「どうもじゃねーよ!」すっかり呆れたようにボビーが言った。「ジェフてめえ、謀りやがったな!」
「ごめんごめん、わざとじゃなかったんだけどさ」
「んなワケあるか! 見ればわかるわ!」
 そりゃそうか。
 トニーはまだ自分の身に何が起こったか分からないようすで、ぼくに向かって、訴えかけるような目を向けた。
「じぇ、ジェフ? 一体どういうこと? ギャリーは、ガウス先輩は……」
 ぼくは両手をあげ、久しぶりに次の台詞を吐くことにした。
「冗談、です」
「……」
「……」
「……。……!?」
 トニーは一瞬なにを言われたのかピンと来ていないようだったが、やがてようやくすべてを理解したのか、
「……ジェーフーぅ!? ぼくの友情を踏みにじったなぁー!!」
 と言って、ぼくに向かってポカポカと殴りかかってきた。それを腕で受けながら、ぼくは、久しぶりに、声をあげて笑った。
***
 窓の外は真っ暗闇で、部屋の暖かさですっかり曇ったガラスを手でぬぐってやると、外には依然として雪が静かに降り続けているのが見える。風はないようだが、止む気配もまったくない。
 ずっと窓の傍に居ると寒いので、ぼくは騒がしい部屋の中へ意識を戻した。部屋には、別棟からでもやってきたのか、さっきよりも人がかなり増え、そこかしこで大声で騒いでいる者、飲み食いしながらまったりと駄弁っている者、備え付けのテレビで対戦ゲームをしている者、一人だけで黙々と何か食べている者など様々で、ガウス先輩はどこからか持ち出してきた缶ビールを片手に下級生を説教しているし、流石に深夜なので部屋の床で居眠りしていたりする者もいるし、だいいち、人の入れ替わりがとにかく激しい。
「どうしたの?」
 そう声をかけられて振り向くと、目の前にトニーがいつの間にかいて、両手で自分の紙コップを大事そうに持ちながら首をかしげていた。
「ん? ……いや、雪、やまないかなと思って」
「ああ。昨日はあんなに晴れてたのにねぇ」
「そうだね」
 ぼくたちは話しながら、近くにあった椅子に腰かける。その辺の新しい紙コップを取ってコーラを注ぐと、トニーも欲しがっていたので一緒に注いでやり、ぼくらはそれで喉をうるおしつつ、周りのうるさい風景を眺めた。
「カオスだな」
「だねえ」
「……もう帰ろうかな。疲れたし、眠いし」
「だめだよジェフ、主役じゃん」
「忘れてた」
「ま、みんな騒げれば何でもいいんだろうけど」
「……。なんか、暑くないか?」
「暑いねー。耳とかさ、特に」
「あぁ、あるある」
 ちびり、とコーラに口をつける。
「ジェフさぁ」
「ん?」
「僕さぁ」トニーは呟くように、「僕さぁ、あのときは無我夢中で言っちゃってたけどさ、本当は」
「え? 何の話?」
「――おーいジェフ! ちょっと来て! 早く!」
 不意に、誰かから呼びが掛かる。スタンの声だ。ぼくは立ち上がると、「何ー?」と大声で返事した。
「トニー、それで?」
 ぼくの言葉に、トニーは目をぱちくりとさせて、
「う、ううん。後で言う」
「……。あ、そう」
 ぼくは少し気になっていたが、スタンが持ち前の短気ぶりを発揮して「早く!」と再び叫んだので、ハイハイと頷きながらぼくはスタンの所まで急いで走っていった。
 スタンは、他の三人の友達と一緒にゲームキューブをやっていた。
「で、何?」
「ちょっとヘンリーと代わってくれよー。こいつ弱くてさー話になんないよ、ジェフは出来るだろ?」
「しょうがないじゃんー」と、ヘンリーがのほほんとした口調で言う。ぼくは、スタンのサムスが強すぎるんだろ……と呟きながら、ヘンリーから渡されたコントローラーを手に取り、キャラクター選択画面でマルスを選ぶ。
「ジェフって強いの?」と他の誰かが聞く。
「まあ人並みかな」
「そんじゃハンデは一緒な」と言ってスタンが人のハンディを無理やり上げ始める。おいおい勘弁してくれよ。
 ふと後ろを振り向くと、さっきの場所に、トニーの姿はもういなくなっていた。
 そんな風にして、夜は更けていった。

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