雪山の洞窟をぬけ、ストーンヘンジを越えて、やっとアンドーナッツ博士の研究所の前に辿りついたとき、ぼくはその建物の持つ、以前には無かったある種の「異様さ」に気が付いていた。普段ならテンキーでロックされているはずの玄関のドアが半開きになっていて、何者かに侵入されたような形跡があったのだ。
 扉をこじ開けて、電灯も点いていない、真っ暗な玄関の中に足を踏み入れる。どうやら建物のシステム電源そのものが落ちているらしかった。しかたなく荷物の中から懐中電灯を取り出し、その明かりを頼りに、壁を伝いながら進む。おそるおそる歩みを進め、ぼくらは広いホールへとやってくる。
 以前やってきた時にはこうこうとした蛍光灯の束で照らされていた部屋の中は、まったくの暗闇だった。懐中電灯の明かりの届く範囲より先は、ほとんど見通しがきかないほどに暗い。ぼくらが途方に暮れていると、ふと足元でかすかに、か細い、ネズミかなにかの鳴き声がした。
「うわっ!?」
 ぼくが慌てて飛び退くと、他の3人も何事かとぼくの足元を覗き込んだ。そこにいたのは確かにネズミだった。が、そのネズミも、もちろん只のネズミであるはずが無かった。
「あんた方を待っていたんだ」
 人語を解し始めたのだ。

「……。わがはいの主人のアップルキッドが、この」と言って、ネズミはその傍に転がっている、集積回路のような物を指差した。「『こけし消しマシン』を完成させて、あんた方に電話してるとき、!!
!!!
……という具合に、誘拐されてしまった。我輩は見ていたが、何をすることもできなかった」
「誘拐!?」ぼくは、嫌な予感が現実になりつつあることを知る。「誘拐って誰に?」
「わからない。銀色の、宇宙人のような連中だった」
 ぼくは眉をひそめ、それからやがてネスの方に振り返る。
「ネス、心当たりない?」
「ある」ネスは即答する。「スターマンだ。ギーグの手先だよ。おれがオネットで一番最初に出会った敵だ。未来からやってきた異星人だって言ってた」
 またギーグだ。結局、また奴らの仕業ということなのだろうか。ぼくは嘆息する。
「……あんた方をアップルキッドの友人と見込んで頼みたい」足元のネズミが言う。「お願いだ。どうか、わがはいの主人を連れ戻してくれ。やつらがあれからどこへ行ったのかもとんと見当がつかぬ。頼めるのはあんた方だけなんだ」
「分かったよ」ぼくは頷く。「必ず探し出す。約束だ」
「だがジェフ、当てはあるのか?」
 プーが隣から口をはさんだ。
「ないよ。ないけど、探すしかないだろ」ぼくは答える。「アップルキッドだけじゃない、博士や、トニーや他の人たちなんかも一緒に行方不明になってるんだ。きっとこの近くに、拠点みたいなものがあるに違いないよ」
「しかし闇雲に探してたんじゃあ、足踏みしているも同じだ。何かないか、この近くに、何人もの人間を収容できる拠点のような場所が」
「そんなものあったらとっくに……」
 ぼくは言いかけて、それから、ハッとする。
 馬鹿な。まさかそんなことが。しかし、可能性がないわけじゃない。
「……ふがいなくてスマン。とにかく、この『こけし消しマシン』を持っていってくれ。きっと必ず役に立つ」
 ネズミがぼくらに、足もとの集積回路を指し示す。ぼくはそれを拾い上げてポケットに入れる。


 ウィンターズ、銀色の宇宙人、拠点基地、そして、この誘拐事件。一見関係ないように思えるこれらのキーワードを結びつける場所がひとつだけある。ぼくらがこのウィンターズを訪れた中で、何度も通った場所。盲点とも言うべき地点。
 ストーンヘンジだ。
 あの遺跡は実はただの遺跡でなく、実は、宇宙人の地下基地の入り口になっていて、そこにはキャトルミューティレーションで捕まえた家畜や人間達がカプセルに保管されて、ずらりと並んでいるのだ……と、そんな噂がこの辺りでは最近までまことしやかに流れていたのだ。普通の人なら、そんなものは笑って相手にしないだろうが、もしそれがただの都市伝説でなく、事実だとしたら? ――もしかしたらトニーは、みんなは、そこに捕えられているんじゃないか?
 博士の研究所内で使えそうな装備をいくつか物色したあと、ぼくらは、白い息を弾ませながら、降りしきる雪の中を進み、北にあるストーンヘンジまでやってくる。その何かの遺跡らしき場所はすっかり雪に埋もれ、冷たい石の柱が静かに沈黙を守っているばかりだった。ぼくは中心まで歩いて行くと、そこに立つ。その白い地面の上にはちょうど、真円型の切れ込みがキレイに入っていた。プーも後からぼくの元にやってきた。彼は、同じくその真下の軌跡を確認すると、ぼくの顔を見て頷き、それから下に向かって手のひらを向けた。
「PKファイヤー・α!」
 ボン、という音がして、その途端にワッと白い蒸気がその場にあふれる。見ると、その真円の部分だけがきれいに蒸発して無くなっていて、地面がのぞいていた。
 扉だ。鉄製の丸い扉。
 ぼくは表面のハンドルをこわごわと握り、それから反時計回りにまわす。少し回転させるとそれは自動で動きはじめ、それから、扉がゆっくりと二つに割れて開いた。人がひとり通れるくらいの、暗い穴がそこにあった。梯子が付いていて下に降りられそうだ。
「行くのか?」と隣のプーが聞く。
「ああ」ぼくは頷いた。「事態は一刻を争うんだ。急ごう!」


 暗闇の中、長い梯子を下りていって、やがて地面に辿りつく。上から他の3人も梯子を下りて来ている。梯子を下りたぼくはその場で前方に向き直り、そしてそれを見た。それは、先への細い通路を塞ぐ“銀色の巨大なこけし”だった。
「なっ、なんだこれ!?」
 ぼくは叫ぶ。人ひとり入り込む隙間もなかった。やがて背後の梯子から、みんなも下りてくる。
「ジェフ、『こけし消しマシン』だ!」と、駆け寄ってきながらネスが言う。ぼくはハッとして、それから気を取り直すと、ネズミから貰った集積回路をポケットから取り出し、その銀色こけしに近づいて行ってそれを取り付けた。するとこけしは、バチンと震えたかと思うとその次の瞬間には砂となり、消えてなくなった。
 すぐにぼくらは進み始める。知らないうちに、ぼくは走り出していた。幅も狭く、天井も低い洞穴のような道を、懐から取り出したハンドガンを握りしめながら、全力で駆け抜けていく。この向こうに、本当にアップルキッドはいるのだろうか。それから、父さんも、そしてトニーも? ……トニー。トニー! ごめん、本当に、ごめんよ。ぼくがせめてあの時、電話に出てやれていたら、トニーを心配させないでいたら。そうしたら彼はぼくの元へなんか向かおうとしなかったかも知れないし、そうしたら、こんな事には、こんな事にはならなかったかも知れないのに!
 曲がりくねった狭い道を、奥へ奥へしばらく走っていると、やがて前方に明かりが見えてきた。ぼくは構わず、その向こうに飛び込んで行こうとする。
「――ダメだ! 伏せろ!!」
 後ろからの声。
 誰かに背中から地面に押し倒されるとほぼ同時に、頭のすぐ上を、まばゆい熱線が通り抜けていった。ぼくは地面に滑り込んでしまう。すり傷に痛がりながらも急いで起き上がると、ぼくの背中の上に覆いかぶさっていたのはプーだったのだが、その上空に、ふわふわと浮かぶ何かの影があった。


 銀色の全身スーツに身を包んだ、正体不明の人物だった。ちょうど目の部分には黒色の覗き窓があり、胸に勲章かボタンのような飾りが付いている他は、至極のっぺりとした外観だった。そいつは手にしていた銀の光線銃を再び構えると、今度は地面に伏せているぼくらの方へ向けた。
「やめろーっ!!」
 横から、光をまとったネスが残像の見えるバットを振りかざし、銀スーツにぶつかっていった。耳をつんざくような音とともに、まばゆい火花が散る。その間に、背中の上のプーがやがて立ち上がり、それからぼくの腕をつかむと、体を引き起こしてくれた。それから、彼はすでに臨戦態勢に入っている二人に呼びかける。
「ネス、ポーラ! 俺たちは先に行く、ここはお前たちに任せたぞ!」
「えっ!?」
 ぼくは驚く。が、そのまま手を引かれて、ふたりで走り出した。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」ぼくは走りながらプーに叫ぶ。「二人は置いてくの!?」
「大丈夫だ、彼らならきっと何とかしてくれる。駆け抜けるぞ!」
 通路の壁が、洞穴から、その下にあったむき出しの鋼鉄に変わってくる。やはりここは単なる遺跡なんかではなく、ギーグの手下たちのいる拠点だったのだ。とすると、ネスの言っていたスターマンとかいう異星人とやらは、きっと今のやつだったに違いない。ぼくらの足音が、土を踏む音から金属を蹴る無機質な音に変わっていく。やがて、天井が開けた。
 ぼくらが見たのは、道の終わりだった。まるで渡り廊下が途中で消え失せたかのような通路が、天井の見えない、真っ暗な広い空間の中へ投げ出されていた。ぼくらは、その突き当たりまで駆け寄っていく。脇にある細い手すりにつかまって下をのぞき込むと、はるか彼方まで続くかと思われる深い暗闇の底へ向かって、ぼくの足元から下へ伸びている梯子が、ぼんやりと浮かび上がっているのが見えた。
「また梯子か……」
「ジェフ」
 プーがぼくに呼びかける。振り返ると、彼はぼくの顔を、真剣な目で凝視していた。
「ジェフ、ここからは、一人で行くんだ」
「……え?」
「俺はここで追っ手を絶つ」プーはぼくの目を見つめている。「ネスたちのことも気にかかる。だからここからはお前ひとりで行け」
「ど、どうして!?」ぼくは声を上げる。「この先にもまだ敵がいないとも限らないんだぜ。ぼく一人の力だけじゃ、あんなヤツらとても太刀打ちできないよ。残るんだったらぼくが残る。……プー、どうしたんだよ、さっきから変なことばっかり」
「ジェフ。俺は、これは一つのチャンスだと思ってるんだ」
 プーはぼくの言葉に耳を貸さない。
「チャンス?」
「そうだ。お前の、」と言って、いったん言葉を切るプー。「……お前の、背後にさっきから見える、黒い影を、断ち切るチャンス」
 ぼくはドキリとする。
 プーは、そうだ、プーは、ぼくの目を見ているんじゃない。ぼくの背後に潜んでいる、ぼくではない“別の誰かの影”を見ているのだ、今。ぼくは、後ろを振り向くことができない。
「……おそらく、これはきっと『千里眼』の力を持つ俺にしか見えていないんだと思う。他の二人には見えていないはずだ。俺が初めて、ジェフ、おまえに会ったときから、ずっと俺は、お前の背後にいるその“影”が見えていたんだ。今まで黙っていて悪かった。……その影は、お前が自分自身を抑えようと、お前が他人と関わるのを避けようとすればするほど、薄れていく。しかし、かと思うと、ごく普通にしている時にも不意に、突然その影がどっと濃くなって、お前の姿をすっかり包み込んでしまったりもする。俺は何度かその影を引き剥がそうと試みてみたりもしたが、結局うまくはいかなかった。だからその影を引き剥がすには、サマーズでお前が自分自身にやったように、お前自身の内なる力が必要なのだ、おそらく。ジェフ、おまえは今までに何度も困難に直面し、悩み、闘い、そして打ち克ってきた。だから今この時でさえも、きっとチャンスなんだ。今お前が挑むことのできるチャンス」
 ぼくはごくりと唾を飲み込む。プーの美しく真摯な眼差しが、ぼくに突き刺さる。
「ジェフ。俺は、お前のことを信じているんだ。これまでも、そしてこれからもな。疑ったりなどしない。だからジェフ、お前も俺を信じてほしい。そして、お前自身を信じてほしい。……大丈夫、みんなそばにいる。影を恐れるな。お前ならできる、お前にはその力が備わっている」
 プーはぼくの手を取り、握る。
 ぼくは、じっと黙りこんでいたが、やがて頷いた。

BACK MENU NEXT