その後、ぼくらは先輩からコートを4つ貸してもらうと、別れを告げて、再び寄宿舎の門をよじ登り乗り越えた。寒さは幾分かマシになったようで、雪の勢いも気のせいか弱まってきているように感じた。ぼくらはこれ幸いと、切れ間から日が差し込みはじめた曇り空の下、周りを林に囲まれた、雪の坂道を下りはじめた。
「そういえばさ」ぼくは訊いた。「あれからバルーンモンキーはどうしてたの?」
「(ん?)」バルーンモンキーはいつの間にか、クッチャクッチャとガムを噛んでいた。「(あぁ、タッシーで湖を越えたあとのことか。確か、かわいコちゃんがいたからナンパしてた)」
「……」
 聞くだけ無駄だったようだ。
「……あ、あとさ、最近ぼくの友達が何人か行方知れずなんだけど、そういう噂聞いたことないかな」
「(あぁ、それなら知ってる)」バルーンモンキーはうなずいた。「(山のふもとの町の、住民も何人かいなくなっているらしい。タス湖の岸のすぐ近くに、タッシー・ウォッチング隊とかいう奴らが未だにキャンプを張ってるんだが、そいつらの一人も確かいなくなってるとか聞いた)」
 タッシー・ウォッチング隊。懐かしい、と思う。あの時ぼくはちょっとの間だけ身分を偽って、シチューか何かをごちそうしてもらったのだった。
 しかし、なぜ。何故こうもいきなり人が行方不明になったりするのだろう。やはりガウス先輩のいう通り、皆なにか大きな事件に巻き込まれてしまっているのだろうか。誰のせいで、一体なにが目的で?
「ギーグの仕業なのかしら?」と、ポーラが後ろで口を開いた。
「まぁ、そりゃ、全部ギーグのやったことにすれば説明はつくけど……」
「うーん。でもそんなこと言ったって、今までもずっとそうだったしなぁ」ネスも言う。「オネットでも、ツーソンでも、スリークでもフォーサイドでも、全部おれたちを邪魔するため、世界を恐怖のどん底に突き落とすため、だったし」
 そうだ。そうなのだ。そこも解せないのだった。
 確かに今までもギーグは、ぼくたちの行く手行く手で様々な騒動を引き起こしてはきたが、それもネスの言う通り「ぼくたちを邪魔するため」、「世界を混乱させるため」といったような、漠然とした意図によるものにすぎなかった。これも、いつか思いついてそのまま保留にしていた疑問のひとつだ。ギーグは、なぜ世界を恐怖のどん底に叩き落とそうとしているのか? ギーグがこの世界を破滅させたい、その理由とは何なのか? 大体、「マニマニの悪魔」を使うとかだったらまだしも、この辺鄙なウィンターズ地方の人間を何人か連れ去って、ギーグは一体、何をしようとしているのか?
 坂道を脇にそれて、山道へと入っていく。この林の中の道をずっと歩いて行けば、ぼくが初めてあのタッシーに遭遇した、例のタス湖の岸に辿りつくはずだった。
 ぼくは、思い出していた。寄宿舎を出て、トニーと別れた時のことを。あれからもう何ヶ月経っただろう。あれから、ぼくは何か変われたのだろうか。トニーと離れ離れになって、何か得たものはあっただろうか。
 ガウス先輩は、トニーが行方不明になってからもう3日経ったと言った。3日といえば、もう単なる外出とは言えない。結構な期間だ。なにかあったという事だけは間違いない。彼はきっと、ぼくにあの最後の電話をかけた直後に失踪したのだ。そう考えるのが一番自然だろう。トニーにもしもの事があったら、ぼくはどうすればいいんだろう。結局ぼくは、トニーに一言もかけてやることができなかったのだ。ぼくはトニーと、なにも話すことができなかったのだ。もしこれでトニーが死んだら、ぼくは……トニーが、トニーが死んだら?
 いや。
 そんなことはない。トニーが死ぬなんてことはない。ぼくがさせない。
 トニー。
 生きていてくれ、トニー!


 雪は、なおも降り続いていた。ぼくらがやっとのことで湖岸へとたどり着くと、バルーンモンキーはぼくらの中から一歩前に出て、ずっと音を立てて噛んでいたチューインガムをぷくうっと膨らませた。そしてそのまま、そのガムの風船をまるで気球のように、昔ぼくがタッシーと初めて遭遇した時と同じようにして、浮かび上がった。みんなは思わず目を丸くしているようだったが、ぼくはただ苦笑いするしかなかった。
 北風が、強くなってきていていた。湖の奥から何か大きな、蛇のような黒い影が、すうっとこちらの湖岸を目指して近づいてきたかと思うと、それが水しぶきを立てながらあっという間に水上に姿を現した。
 深い紫色の鱗。数人が楽々乗れそうなほどの、水面から出た胴体と、そこから伸びる長い首、そして大きな頭、大きな口と、それとは対照的に小さい、黒真珠のような2つの瞳。
「きょ、恐竜だ!」ネスが叫ぶ。
「いや、厳密にいえば首長竜は恐竜じゃないんだけど……」ぼくは、本来的には何か違うところに突っ込みを入れつつ、タッシーの平たい背の上にひょいと飛び乗った。「ほら、早く乗って。研究所に行くのに一刻を争うんだろ」
 みんなはそれに慌てて頷いた。それもなんだかぼくには可笑しかった。


 まるで、ぼくが初めて寄宿舎を出てから辿った道のりを、もう一度辿り直しているようだった。ぼくらがタッシーに乗ってタス湖を越え、研究所へ続く湖畔にようやく着くと、タッシーの頭の上にちょこんと腰かけていたバルーンモンキーは「(またな)」と言ってこちらにさっそうと手を振り、タッシーと共に、もと来た道を戻って行った。ぼくらは、気を取り直した。
「……あぁ、そうだ」ぼくは歩き出しながら、ふとあることを思い出した。「この先には、確かタコがあったんだった」
「タコ?」ポーラが訊いた。
「うん。もうちょっと行くと、何故だか知らないけど大きなタコの形をした鉄の塊が置いてあって、そこから先に進めないんだ。誰が置いたんだか知らないけど、一体ぜんたい意味が分からないよ」
「……」
「それって……」とネスが言う。
 一方を崖に囲まれた、湖岸の雪野原を4人で歩いていく。しばらくすると懐かしい銀色のタコが見えてきた。ぼくらはそれに近づく。よけて行こうとしても、なにやら目に見えない壁のようなものができていて、そこから先に進むことができないのも相変わらずだった。
「これってさぁ」ネスが急に背負っていたリュックを下ろし、その中身をごそごそと物色して、それからなにか長い棒のようなものを取り出した。先っぽには可愛いタコのマスコットフィギュアらしきものが付いている。
「何それ」
「タコけしマシン」
「……は?」
「アップルキッドがさ、前に開発してくれたんだよ」ネスが言う。「ずっと前、ツーソンにいた時さ。ポーラを助けに行くのに、道の途中にこれとほぼ同じような物が置いてあってさ。先に進めなかったんだけど、そうしたらちょうどアップルキッドが、こんなもの発明してくれたんだよ」
 ネスはその棒の先についているタコの人形を、それより何倍もでかい鉄のタコに当て、それから手元のスイッチを入れた。と、次の瞬間、ぼくがあれほど押したり引いたりしてもビクともしなかった重い鉄の塊が、一瞬にして砂になって消えた。
「!?!」
「ほら」
 ぼくはただ呆れるばかりだった。そんな解決方法、いいのか……、タコけしって……。
「雪、止まないな」
 後ろのプーが、ふと空を見上げて言った。
 流れていくと思われていたぶ厚い雲は、今だ空に留まって真っ白な粉雪を降らしつづけていた。風はさっきよりもやや収まっていたが、それでもまだ強いほうだった。
 ここを越えれば、父さんの研究所はもうすぐだ。

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