辺りをよく見まわしてみると、そこはどうやら見覚えのある場所のようだった。目の前には大きな鉄格子の門があり、その両側に赤レンガの塀がずっと続いている。
 寄宿舎だ。ぼくが、住んでいた。
 門のむこうの前庭には、寮生たちのものだろう、いくつもの雪の上の足跡が、寄宿舎の入口のポーチまで続いていた。それさえも穏やかな風と降る雪によって消え去りつつある。塀と同じく赤レンガ壁の建物は、3階建ての堅牢な造りになっていて、静かに降る雪によって心なしか霞んで見えた。ぼくは、自分の部屋はどこだっただろうかとおおよその見当をつけながら、寄宿舎の窓をひとつひとつ見ていった。部屋の明かりは、点いていなかった。トニーはどうしているのだろう。もう寝てしまっただろうか。
「……ここ、どこなの、ウィンターズなの?」と、後ろでポーラが言った。「さ、寒いわ!!」
 確かに寒かった。あの洞窟からいきなりこんな雪の降る山奥にまでやってきたのだから当然だ。もっとしっかり準備をしてから移動するべきだったのかもしれない。以前スカイウォーカーでやってきた時とは勝手が違うのだ。
「ああ、間違いないよ。ウィンターズだ」ぼくは振り返って、寒さよりも微かな懐かしさに心を弾ませながら言った。「それも、ぼくの昔住んでた寄宿舎の前だよ! ……どうしてこんな所に出たんだ? ネスはぼくの寄宿舎なんて来たことなかったはずだろ?」
「うん、そのはずなんだけど……」と、ネスも呆気にとられている。息が白い。
「ふぅむ」プーが唸る。「手を、繋いでいたせいじゃないか。それでジェフの意識が、いつの間にか腕を通してネスの意識とリンクした、というのは、考えられなくもない……いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。まずはこの寒さをどうにかするべきだな」
「そうよ、このままじゃヤバいわよ。凍え死んじゃうわ」ポーラも言う。震えながら体を縮こまらせ、必死に暖を取っている。「研究所って、ここからだと一体どれくらいかかるの?」
 その時、寄宿舎のほうから、窓がガラリと開く音がした。ぼくが振り返ると、寄宿舎の一階の窓から、誰かが顔を出していた。
 ガウス先輩だった。
 なんだかあまり似合ってはいない、プラスチックのダテ眼鏡をかけていて、懐かしい、いつもの白衣姿だった。先輩は「お、おい! 何してるんだ!」とこっちに向って呼びかけた。それからぼくらに待つよう合図すると、すぐに窓の中に引っ込み、しばらくしてから、白い息を吐きながらコートを着込んで、玄関から飛び出してきた。
「ジェフ! ジェフか!?」先輩は息を弾ませながら、こっちにやってきた。鉄格子の前まで来ると先輩は、ぼくの頭をわしわしと撫でた。「懐かしいじゃないか、どうしたんだ、いきなり帰ってきて。しかもそんな恰好で……」
「さっきまでは暑かったんですよ……」ぼくは言った。「そうだ、ちょうど良かった先輩、できれば何か着る物を」
「いや、そんな問題じゃないだろ」ガウス先輩は困ったような顔をする。それから着ているコートを脱ぐと、鉄格子ごしにこちらに手渡した。「まぁいいや、これ、とりあえずそっちのお嬢さんにでも渡してやれ。――にしても、何なんだ一体。とにかく今は俺の部屋に来いよ、門を登って。こんな天気じゃ下手すりゃ風邪ひくぞ」


 門を越え、中庭を横切って、寄宿舎の窓からガウス先輩の部屋の中に入ってくると、暖かさで頬に血がまわってくるのを感じた。先輩は、ぼくらが全員部屋の中に入ってしまうと、窓を閉め、それからぼくらに椅子をすすめてくれた。ストーブの前でぼくらは、先輩のあてがってくれた毛布にくるまり、凍えた体を温めた。
「紅茶でいいか? ティーバッグのしかないけど……」と、キッチンに向かいながら先輩が訊いた。ぼくがその背中に向かって、「先輩ってコーヒー派じゃありませんでしたっけ?」と訊くと、先輩は笑って、
「はっはっは、知らないのか? コーヒーよりもお茶の方が含有カフェイン量は多いんだぞ」
 それだけの理由で嗜好を変えてしまうのも、先輩らしいと言えばらしいと思う。
「ま、人の好みなんて、時と共に移りゆくのが当たり前だしな」先輩は水の入ったポットを火にかけると、棚からカップを出し始める。「お前がここを留守にしてからしばらくたったし。……ジェフ、少し背が伸びたかな?」
 先輩がふとぼくのほうを振り向き、そう言った。
「そうですか?」
「ああ」うなずく先輩。「しばらく見ない間に成長したんだな……おっと、そうだ、それどころじゃないんだ。聞いてくれよ、トニーのやつが行方不明なんだよ」
 ぼくは、
 息が止まった。
 どういうことだ。いきなり。
「君と一緒だと思ってたんだが……」先輩は、お茶の用意を済ませてしまうと、かけていたダテ眼鏡を白衣の胸ポケットにしまい、こっちにやってきた。ぼくらの傍にあった回転椅子を手で引き寄せて座り、ポケットに両手を突っ込む。「その様子だと、やっぱり会っていなかったみたいだな。急にいなくなっちまってさ、几帳面なやつだったから、メモくらいは残して出かけるはずなのに……。俺や他のみんなも、気が気じゃないんだ。お前がいなくなった後だったのもあるし。もう3日になる」
 3日……。
 それはまだ、ぼくらがちょうどブリック・ロードさんのダンジョンの中にいた時だ。トニーがかけ続けてくれていた電話が、途絶えたのも確かその頃だった。もしかしたら、アップルキッドの時と同様、何者かに襲われ、ただごとではない出来事に巻き込まれてしまったのだろうか。いや、あるいは……?
「その、トニーって誰のこと?」とネスが口を開く。
「ぼくの僚友さ」ぼくは答える。「この寄宿舎ではルームメイトだったんだ。ちょっと前までお互いに連絡はとり続けてたんだけど、最近になって急に電話がなくなって」
「電話なんてしてたっけ?」
 うっ、とぼくは言葉に詰まる。
「と、とにかく、連絡してたのは本当だよ」
「……あぁ、トニーが毎晩のように、俺んとこの電話を貸してくれるように頼むと思ったら、やっぱりお前にかけてたのか」
 ガウス先輩が納得したようにうなずく。……何故だ。というか、「お互いに」「連絡してた」というのも語弊に語弊を重ねまくっていて、幾分後ろめたくはあるのだが、もうこの際仕方がない。これから電話でも何でも、話し合えばいいのだ。ぼくはもう決心したんだから。
 キッチンのやかんが、シュンシュンと音を立てる。ガウス先輩は立ち上がって火を止めに行き、それからしばらくして、5つのカップをお盆に乗せて戻ってきた。ぼくらはそれをいただく。
「……しかし、こうなると」紅茶をひとくち飲んだ後、ガウス先輩が言う。「なにか事件の可能性もあるなぁ。早いとこ警察に連絡しといた方がいいか」
「そうだ」プーが口をはさむ。「その前に、電話を借りて研究所に連絡をさせてもらったらどうだ。アップルキッドの消息も気になる」
「なに、研究所に行くつもりだったのか?お前ら。今からか?」
「あ、はい。ぼくらの友人がそこにいるはずなんです。でもそいつも実は最近行方不明らしくて」
「……」先輩は、しばらく押し黙る。「うーむ……わかった、ちょっと待ってろ」
 先輩は立ち上がり、向こうにある書類などが重なってぐちゃぐちゃした机の中から、旧式の黒電話を電話線ごと引っ張ってきて、ぼくに手渡した。ぼくは慣れない手つきでもたつきながらも、なんとかダイヤルを回して研究所に電話をかけた。ぼくは、しばらく受話器に耳を澄ます。
「……出ないな。博士もいないんだろうか」
「でもあの人、いつも研究所に篭もりっきりのはずだろ?」先輩が言う。「一体どこに行くって言うんだ」
「ですよね……」
「それに、この天気じゃフェリーはきっと運休だと思うがなあ。駅にも行けないんじゃあ、今日のところはもう無理なんじゃないか?」
 ガウス先輩の言葉に、ぼくは呻く。そうだった、父さんの研究所に行くには、ここからだとタス湖を越えなければたどり着けないのだ。やはりサマーズでスカイウォーカーを失うべきではなかったのかもしれない。窓を見ると、外の雪はさらにその降る勢いを増しているような気がする。……と、その時、窓の下から不意に、何者かが顔を出した。
 サルだ。
「……ま、まさか!?」
 ぼくは慌てて立ちあがった。みんなは呆然とした顔でぼくの事を眺めている。ちくしょう、なんだってこんな懐かしい人たちが、こうもいきなり連続で現れるんだ。
 窓の前に立って、ぼくが窓を押し上げてやると、そのサルは軽々とそれを乗り越え、部屋の中へ入ってきた。他のみんなも後ろからぼくの元に駆け寄ってくる。
「(いよう。久しぶりだな)」
「バルーンモンキー!?」ぼくは思わず目を見張った。「ど、どうしてここに……」
「(虫の知らせでな。ここにいると思ったんだよ)」バルーンモンキーはケタケタと笑う。「(しばらく見ない間にずいぶん変わったな。タス湖を渡りたいんだろ?)」
「渡れるの?」横からポーラが尋ねる。
「(あぁ。タッシーがなんとかしてくれるはずだ。お前が昔にそうしたようにな)」
「お、おいジェフ! 俺の部屋の中に動物をかってに入れないでくれよ!」ガウス先輩が困ったように声を上げる。「……っていうか、なんだお前たち、そのサルに向かって話でもしてるつもりか?」
 ぼくらは一斉にガウス先輩の方を振り向いて、なにを当たり前のことを言っているのかと怪訝な顔をする。面喰ったのは今度は先輩の方だった。先輩はため息をつくと、ただ一言、
「……どうでもいいけどさ、ジェフ。友達ってのは、もうちょっと選んだほうがいいと思うぞ……」

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