その塔はパッと見、土を固めてできた円柱かなにかのように見えた。馬鹿でかい円柱が、砂漠の真ん中に立っているのだ。高さは5階建てのビルくらい、さらによく見るとそれは厳密には円柱ではなく、頂上へ行くにしたがってその直径は小さくなり、一番上は、底面の半分くらいの大きさしかなくて、平たくなっていた。そこには雑草たちがしぶとく生い茂っており、どうやら壁土は砂漠よりも栄養があるらしい。上のほうには更に、さっきも見えた埴輪の顔のような3つの縦長楕円の空洞があって、頂上の雑草はさながら髪の毛といったところだった。
 また妙なピラミッドの一種だろうか、スカラビっていっても広いもんなぁ、とぼくは思い、土の壁の中に場違いのように付いている鉄製のドアをがちゃりと開けて、その中を覗きこんでみた。
 そのまま中へ足を踏み入れると、同じく土が固められて出来たような、薄暗い一本道が、奥に向かってまっすぐ伸びていた。壁にはライトが一定感覚で取り付けられているので、先が見えないわけではない。なんだか外から見た時よりも、心なしか中が広いような気もするのだが、きっと空間認識能力か何かがずれてきているのかもしれない。
 さっきはピラミッドか何かか、とも思ったのだが、壁にヒエログリフなどもどこにも刻まれていないようだったし、それになにより、入り口を入ってすぐ横に立っていた大きな看板が、ぼくの考えを真っ向から否定したのだった。


『ようこそ、あるいはウエルカム。ここは私の体の中。 ――ブリック・ロード』


「……」
「なんかまーた変なのが出てきたぞ」と隣のネスは言い、ぼくの横をすり抜けて看板に近づいていった。前にしゃがみこんで、しげしげと文面を眺める。「……ブリック・ロード? 誰だこれ」
 ぼくは、ネスの後ろで頭が痛くなり、深いため息をつく。ネスがぼくのほうを振り返って、
「何? どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
「そのジェフの『なんでもない』ってのさ、絶対なんかあるんだよね」
 ぼくは内心ぎくりとしたが、ネスはそれ以上とくには追求せず、立ち上がるとさらに奥へとずんずん進んでいこうとする。ポーラがネスに、「ねぇ、ここって休める場所なんてあると思う?」と尋ねたが、「進んでみなくちゃわかんないだろ」とすっぱり返され、あきらめてしまったようだった。
 一本道の通路を進むと、やがてT字路にぶつかった。交差点のちょうど真ん中にさっきと同じような立て札があって、そこには、


『私の統計によれば、約70パーセントの人は、まず右を選ぶ。 ――ブリック・ロード』


「だから、何なんだよこれ」
「なにかの格言かしら?」
 ネスとポーラがふたりで看板とにらめっこしている間に、ぼくは気をどんどん重くしていった。いやまさかそんな、でもさっきの看板には、私の体の中、とか書いてあったし、いやでもそんな無茶な、あの人は一体なんて言ってたっけ、そう、ぼくと会って最後に交わした言葉、そう、博士の技術を借りて何になるって?
「なぁジェフ、結局どっち行く?」
 顔を上げ、声をかけてきたネスの顔を見る。
「……どっちでもいいんじゃないかな」
「じゃあ左いってみるか」とネス。
 T字路を左に折れ、まっすぐに進んでいくと、やがて扉のついた行き止まりにぶつかる。その上には赤い十字のマークの看板が掲げられていた。扉の前には、観葉植物と、公衆電話と、病院の待合室にありそうな長椅子が取り付けられていた。扉の前、それから長椅子の横には、それぞれまたしても看板があり、


『医者と看護婦を雇うのは、ダンジョン持ち主の義務である。 ――ブリック・ロード』

『このベンチをチェックすることは、ホテルにチェックインすることに似ている。
――ブリック・ロード』


 今度は、さすがに三人で考え込んでしまった。
 どうしようか、とネスが言い、とりあえず話し合った結果、まずはドアの中に入ってみることにした。ドアノブなどに仕掛けがないかどうか注意しながら、恐る恐る扉を開けると、そこは清潔感あふれる白い病院の待合室らしきホールが広がっている。
「……」
 既視感を覚えながら、とりあえず待合室の向こうに受付があったので、そちらに行ってみる。受付には看護婦さんが控えていた。
「あの……」
「あら、こんにちは」看護婦さんはにこやかに挨拶した。「わたしも暇だから、病院のシステムでも説明しましょうか?」
「いや、あの、どこか休める場所を探しているんですけど……」
「はあ。まぁ、この辺りにはホテルもないし、なんだったら、ここで休んでいってもかまいませんよ」
 やはり、眉をひそめながら三人で顔を見合わせる。
 とりあえず待合室に並んでいるソファーに座って、どうするか本格的に思案することにした。
「ここ、何かあぶないよな」ネスが呟く。「なんていうか、よく分かんないけど」
「やっぱり引き返す?」ポーラも言う。
「あのさ」
 ぼくの言葉に、二人が振り向いた。
「……ぼくの勘違いかもしれないんだけど、その、ブリック・ロードって人、ぼくの知り合いかもしれないんだよね。ひょっとしたら」
「何それ」とネス。
「いや、何それって言われても困るんだけどさ……。でも、悪い人じゃないし、そこまで警戒しなくても、大丈夫だと思うな。きっと楽しんでやってるだけだし、あの人。ここってさ、ダンジョンなんだよ。あの人、こういう迷路みたいなの作るのが好きな人らしくてさ、これもその一環っていう気がするんだ」
「ダンジョンの中に、病院があるわけ?」
「ほら、でもそういうのってあるじゃないか。洞窟の中に回復の泉があったり、塔を登ってる途中でなぜか突然宿屋があったり、教会があったり」
「そういうもんなのか……」
「そうだと思わなきゃ、やっていけないよ。今までだってそうだっただろ?」

 ぼくらは休むことにする。そしてぼくは苦笑しながらも、ふたたび携帯に耳を当てるのだ。声に耳を傾け続けるのだ。
***
『ジェフ。
 あのさ、その、ジェフはさ、……僕には、まだ何だかよく分からないけど、その、たぶんだけど、僕になにか言えないような事が、あるんだろ、きっと。
 その、そりゃあ、普通の人でも、必ずどこかにはそういうのがあるのかも知れないけどさ。でもジェフの場合には、特に、もっと誰にも言いたくないようなことが、さ……。でも、誰にも言いたくないんだけど、誰かに言いたくて、誰かにそのことを知ってもらいたくて、たまらないんじゃないか、違うかもしれないけど……。ぼくも分かるよ、そういうこと、なんとなくさ。でも、もしそんな事聞いちゃったら、僕きっと卒倒しちゃうかもしれないよね。僕、ばかだからさ……頭わるいし……、ジェフみたいに、大人じゃないし……。だからさ、僕、どっちでもいいと思うんだ。言っても、言わなくても。どっちの選択肢もぜんぜんありだと思うし……。
 でも、でもさ。
 ひとつだけ言えるのは、その、……もしそんな秘密があったとしてもさ、それによって、ジェフの存在じたいが否定されてしまうなんて、そんなこと無いと思うんだよ。ジェフは、もっと自分に自信を持っていいと思うんだよ。自分に誇りを持って生きてもいいんだよ。ねぇ、きっとそうだよ。
 ジェフ、僕さ、思うんだけど、神さまってやっぱりいると思うんだよ。ぼく、君がいなくなってから、神様なんていないんじゃないかって、何度も思ったものだけど、だけど、やっぱり神様っていると思うんだよ。だって、僕、ジェフと出会えて本当に良かったもの。ジェフと出会えて、本当に幸せだった。本当だよ。

 あのキツネの子は、あれ以来姿を見せません。きっと、お母さんギツネのところに戻れたんだよね。元気でいるといいなぁ。
 今夜は雪です。君にもこの景色を見せられたらと思うよ。それじゃ……』

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