すべり下りた先は、サソリの罠でもヘビの海でもなく、上の部屋とちょうど同じくらいの大きさの広間だった。先ほどの穴は、この部屋の壁のひとつに開いた穴とつながっていて、そこから、火のともった蝋燭の両側に並んでいる道が、部屋の中央へと続いていた。
 中央には一段高く祭壇があり、一体の石像が祭られていたが、今まで見てきた石像たちの様子とは一線を画していた。身体は人間だが、頭は鳥で、頭上に筒状の王冠をかぶり、手に短めの杖を握っている。神の像なのかもしれない、とぼくは思った。
『よくぞここまでたどり着いた』
 声がした。部屋全体からはね返り響いてくるような、わんわんと広がってつかみ所のない、しかし重く、荘厳さに満ちた声だった
『盗人か? 勇者か? ただの通りすがりの者か? いずれの者かは、おのずからわかる。で、どうするのだ?』
「ジェフ」プーが後ろから言った。「お前が行くんだ」
「なに? 行くってどこに」
「『鷹の目』を取るんだよ」
 ぼくは、台座の上の像にまた目をやる。その左の瞳が、妖しく銀色に輝いていた。
 鷹の、目だ
「さ、行け」
「でもどうしてぼくが」
「いいから行くんだ」
 何なのか分からず、釈然としないまま、しぶしぶ像へと近寄っていく。段を上がり、像の前に立って向き合うと、背伸びして瞳へと手をのばした。掴むと『鷹の目』は意外と簡単に外れた。野球のボールくらいの大きさの、銀の玉のように見えたが、実際は完全な球体でなく、上方が手でつままれて引き伸ばされたように出っ張っていて、見ようによっては涙のしずくか何かのようにも見えた。表面には、目の模様のヒエログリフが紋章として刻まれていた。
 ぼくはプーの方を振り返る。プーは、ぼくに向かって、静かに微笑み返しただけだった。
***
『あのあと、授業が終わってから、ガウス先輩の部屋に行って、キツネってどんなもの食べるか知ってますか、って訊いてみたんだ。先輩は訝しがってたみたいだったけど、ちょっと考えて、「まぁ、肉食だし、ハムスターとかあげれば食いそうだよな」とか言ってさ、思わずぎょっとしちゃったよ。だって、ハムスターだよ!? 「いや、言い方が悪かったな、例えばの話だよ」ってガウス先輩は笑ったけど、でもやっぱりちょっとショッキングだよね……。
 あ、でも、やっぱり、へんに人間の食べ物とか与えても、体に合わないから良くないんだって、スナック菓子とか、味ついてるものとか。体力落ちちゃったり下痢しちゃったりするって。うーん、難しいよね、やっぱり野生動物にはむやみにエサなんて与えちゃいけないって事なのかなぁ……。
 ……えっ?
 あ、ちょ、ちょっと待ってて。

(どうしたの? ジョージ。
 えっ? 授業? あ、そっか。もうそんな時間か。えっ? う、うん、行くよ、すぐ。うん。先行ってて。ちょっと電話してるから。終わったら、行くよ。うん。じゃね)

 ……もしもし?
 あ、じゃあ、今日はこの辺にしとくよ。あんまり長くなるとあれだし。じゃあまたね。また明日。
 じゃあね。

 またね。
 バーイ』
***
 長い長い階段を登り、ようやく外に出た。砂漠は、まっさらな空から照りつける太陽の光を受け、そのギラギラとした眩しさをさらに映えさせているように見えた。遠くに揺らめく蜃気楼を目にして、思わず目を細める。そのまま目蓋が重くなるほどに地上は蒸し暑く、ピラミッドの中のひやりとした温度と比べると、その気温差にうんざりした。また気分が悪くなる。むこうに見える三日月型の巨大な砂丘のほうから、やわらかな風が吹き込んできて、細かい砂が目に入ってくるので、まばたきをしながらそれらを遮った。
 気がつくと、出口に立つぼくらの目の前に、誰かが立っていた。ずいぶん年老いた男で、一枚のぼろに身を包み、アゴから腰下にまで伸びる白く長いひげを生やしていた。仙人のようなその男の、目は細く、黒く、また、とても深淵なものに見えた。
「よくぞここまでたどり着いた!」やがて、その男が口を開いた。「とうとう会えたのう。プー王子」
 ぼくは眉をひそめ、プーの方を振り向く。
「誰? 知ってる人?」
「……まぼろし老人」
 プーは、その年老いた男から目をそらさずに呟く。
「星の位置が、お前に出会う事を伝えておったが……、」まぼろし老人と呼ばれた男は、ぼくらのとまどいを気に留めることなく続けた。「やはり。今こそ『星を落とす方法』を伝授する時。しばらくは仲間と離れて、わしと共に暮らさねばならぬが、よいな?」
「……な!?」
 ぼくは目を疑い、その老人とプーの顔を、交互に見やった。
「ど、ど、どういうことだよ。なんの話?」
「返事はひとつ。無理にでも引き止めねばならぬ」まぼろし老人は、ぼくの様子など目に入っていないかのように言った。「『星を落とす方法』を習得するため、しばし、ここに留まるのだ。よいな!!」
「……ジェフ。この方はな、」隣にいたプーが、ぼくに話しかける。「この方は、俺が以前『無の修行』をしていたときに、師となってくれていた人なんだ」
「そ、」
 プーの言葉を、ぼくは、混乱した頭の中で、ひとつひとつ噛みしめるように反芻する。
「それで?」
「おそらく、我々にとってその『星を落とす方法』とは重要なものなのだろう。俺は、それを覚えて、お前たちを追いかける。信じて待っていてくれ」
「そんな、そんな。突然そんなこと言われても」
「大丈夫。多分そう長く時間はかからないはずだ。少しの間だけの辛抱だよ」
「待ってくれよ。ぼくの話を聞いてくれ!」
 プーは、言いかけていた言葉を途切れさせ、ぼくを見た。他の二人も目を丸くしている。
 ぼくは、言葉にできない焦りをなんとか表現しようとして、言葉に詰まる。一体全体なぜ、ぼくはこんなに焦っているんだろう?
「……ぼくは、その、なんていうか。君がいなくなってしまうと、ダメになっちゃう気がするんだよ。その、よく分からないけど、そんな気がするんだ。だってさ、その、あのサマーズで、ぼくがすっかり落ち込んでた時に、君がいなかったら、どうなっていたことか……! だから、君がいなくなってしまったら、ぼくは再びダメになっちゃう気がするんだよ。分かるかな、だってそうだろう、君が仲間に加わってから、『あいつ』の姿なんてほとんど見かけなくなったんだ。昔の記憶だってそうだ。フォーサイドを出た直後のころに比べたら、だいぶやっと落ち着いてきたくらいなんだ。だから、その、ぼくは……」
「言ったろう。それは、お前の力なんだって」プーは静かに微笑んで言う。「俺がいたからじゃない。お前の力だけで、おまえ自身の力が、そうさせたんだ。他の何でもない。俺は間接的な『きっかけ』くらいにはなったかもしれないが、それでも、お前は今の今まで、他でもない自分自身の力で、ここまでやってきたんだよ。それは判っておけ。ここまでは、お前自身がなんとかあがき続けて、努力を重ねてきた結果だ」
「でも、それじゃあ!」ぼくはプーを問い詰めるように言う。「これからぼくはどうやって行けばいいんだ。分からないよ。今までぼくがどうやってきたかなんて、分からないよ。どうすればいいんだよ」
「じゃあ、お前はこれから先、ずっと『俺と一緒』にやっていくつもりか?」
 プーの言葉が、のどに刺さる刃のように、ぼくに突きつけられたような気がした。
「どういうこと?」
「これから先のことだよ。『ギーグを倒した、その後のこと』だよ。大事なことは、お前の戦いは、最後の敵を倒したあともずっと続いていくということなんだ。俺の言っていることが分かるか?」
 分からない。
「今は分からなくてもいい。いずれ分かる。お前はただ、……いま何も思いつかないのなら、そのまま、とりあえず成り行きに任せていればいい。でもその間に、考え続けるんだ。お前はいま何をするべきか。お前はこれから、何をするべきか」
「……」
「それに、お前はもう真実を見極める『鷹の目』を手に入れた。それで本当の道にたどり着くことができるだろう。周りを見ろ」
 プーの言葉に促され、ぼくは顔を上げて、周囲を見渡した。後ろにいたネスたちと視線が合う。ネスたちは、ぼくの異常なうろたえようを見て、少なからず戸惑っていた。ぼくは急に恥ずかしくなった。妙な失態を、やらかしてしまったような気がした。
「それでいい」プーは優しく続ける。「まずは冷静になることだ。そこから全てが始まる」
 そう言うと、プーはぼくから一歩離れ、それからまぼろし老人のほうを振り返ると、そばに近寄っていった。ぼくは何か言いかけたが、やがてその言葉を、ゆっくりと静かに飲み込むことにした。ふと、ずっと前、冒険の最初のころに、ちょうどトニーと別れたときのことを思い出した。プーには、今さっきのぼくの様子は、あのときのトニーの姿のように見えていたのかもしれない。そうすると、ぼくがこれからしなければいけないことは、一体何なのだろうか。
「プーの努力次第では、はやくお前たちの元に戻ることができる。信じてその時を待て!」
 むこうのまぼろし老人が、ぼくたちに呼びかけた。それからプーの肩に手を置くと、もう一方のこぶしを天に掲げる。するとその瞬間、二人の姿は竜巻となり、地面の砂を巻き上げながら、あっという間に消え去って行ってしまった。

BACK MENU NEXT