意識は断続的ですらある。
 昔の記憶を、またひとつ思い出した。母さんの記憶だ。


「お母さんねえ、大きくなったら、お花屋さんになりたかったんだ」
 ソファーの上で、ぼくの体をうしろから抱きかかえながら、母さんが呟く。
「でも、無理だった」
 悲しげに言う。
「何にもなれなかったなぁ」
 そんな言葉を聞くたびに、ぼくはやりきれなくなって、母さんのために何かをしてあげたくて堪らなくなるのだ。
 ぼくは、母さんに、何かしてやれただろうか?
 分からない。
「ねえジェフ、もし、母さんが死ぬって言ったら、一緒に死んでくれる?」
 そんなこと言わないでくれ、母さん。頼むから。
 母さん、ぼくを生んで幸せだった?
あんたなんて生まれてこなければよかったのよ!
 ……。
***
『トニーです。また電話しちゃって、ごめんなさい』
 彼から来る留守電は、まだ続いていた。
『あのさ、その、僕さ……。その、ジェフは、その。
 ……。
 いや、そうだな、もうこんな留守電なんて、いちいち聞いてくれてなんかない、かも、知れないもんね、そうだよね。ごめんね……』
「……」
『こっちは、特に、何も変わりありません。君がいなくなったこと以外は。あのあと、君がここを1人で出ていった後、大変だったんだよ? 本当に、もうみんな、ジェフがいなくなったって大騒ぎでさ。あの夜最後にジェフと会ったのが、僕とガウス先輩だけだったからさ、みんなにしつこく訊かれたよ。ジェフはどこに行ったんだって。そんなの、僕も知らないのにさ。……今は、サマーズのあたりにいるんだっけ。それとももう、違うところに移動しちゃったのかな。よく分かんないけど……でも、でも、いつか、帰ってきてね。待ってるから。約束だぜ。僕ら親友だろ、永遠に引き裂かれる理由なんてないよ』
「……」
『ときどき、アルバムなんかを引っ張り出して、君の写真を眺めたりしてるよ。そうでもしないと、僕、怖いんだよ、いつか僕は、君の顔を忘れちゃうんじゃないかって……。そりゃあ、写真なんかを見れば当然、あぁ、これはジェフだ、って分かるけどさ。でも、そうじゃなくて、ジェフが他にどんな顔して笑ってたかとか、どんな顔して怒ってたとか、そういうのがさ、写真に写ってる顔以外の、普段の表情なんかがさ、思い出せなくなってきてる気がするんだ。怖いよ。ジェフがいなくなる前は、そんなことぜんぜん無かったのにさ。……なんで、どうして人ってさ、色んなものを忘れていっちゃうんだろう。いやだよ。そんなことなら、もっとジェフの顔、目に焼き付けておけばよかったよ。写真だってもっと撮っておけばよかった。ジェフは、写真とかそういうの嫌いだから、いやがったかもしれないけどさ。
 僕ってばかだなぁ。
 じゃ、また……。
 あ、また電話してもいいですか。話すことも、あんまりないけど。じゃあね、バーイ……』
 電話が切れる。
「……」


「ジェフ、聞いてるか」
「え?」
「足元。階段があるから気をつけろ」
 プーの声に促されるまま、足元を照らすと、暗闇の中、懐中電灯の光の中に浮かび上がったのは、上へあがる階段の1段目だった。すっかり朽ち果てて、角もほとんどぼろぼろになった石の段だ。それからライトの光をまっすぐ上に持っていくと、階段ははるか先までずっと続いているように見えた。
「また登るのぉ〜?」と、後ろのポーラが文句を言う。ぼくもため息をつく。
「それだけに着実に、目的の場所に近づいているってことだろう」と、プーが言った。
「どこに?」
「おそらく心臓部だな。『鷹の目』もそこにある」
 暗い、遺跡の内部を歩いているのだった。通路はせまく、分かれ道もなくただ一直線に、黄土レンガの壁が向こうまで続いている。天井も低く、階段を登るたびにぼくらは身をかがめて、姿勢を低くして、頭をぶつけないように冷や冷やしながら進まなければならなかった。
 やがて、何度目かの長い階段を登り終えたところで、広い部屋に出た(暗闇なので、おぼろげに見えるだけだ)。また懐中電灯で上のほうを照らしてみると、10mはあるだろうか、天井はさっきよりも桁違いに高く、1つの明かりだけではとても全て照らしきれないほどで、実際かなり広いようだ。壁はヒエログリフの模様でびっしりと埋め尽くされており、ときおり光に反射して、きらりと輝いて見えるものがあった。黄金でできた装飾らしく、そのまま文字飾りとして使われているようだ。
 部屋のちょうど中央には、サマーズの博物館に展示してあったのと似たようなタイプの、あまりにも怪しすぎる黄金の棺が据えられていた。
 隣のネスが、ごくりと息を飲む(音が聞こえた)。
「ここが最深部なのかな?」
「いや、奥にまだ通路が続いてる」
 プーに言われ、その通りに部屋の奥をライトで照らす。本当だった。部屋の向こう側には、こちらの入り口と同じくらいの大きさの入り口が、こっちとちょうど対になるようにしてあった。
 ネスが、部屋の中へと足を踏み込んで、中央の棺に近寄っていく。ぼくらもネスの後に続く。
「しかし、妙だな」
 隣のプーがふと呟いて、ぼくはギクリとする。
「何が」
「どうして、この遺跡はこんなにも、誰にも手が付けられてないんだ?」
 ぼくは、プーの言葉にいまいちぴんと来ず、
「手が付けられてない、って?」
「ふつう、ここら辺のピラミッドっていうのは、むかし起こった戦争のどさくさでたくさんの墓荒らしにあっていて、それで財宝なんかは根こそぎ持っていかれてしまっているはずなんだよ。……だが、ここはどうしたことか、」
 プーとぼくら(後ろにポーラがいる)は、ネスのいる棺のそばへとやってくる。プーはその前に立つと、ネスが棺を調べている横で、黄金のそれにそっと触れる。
「なんにも手が付けられていない。こんなものがどんと残っていたりするなんて、そもそもありえないんだよ。わざわざ棺ごと切り取る、なんて真似だってやらかしかねない連中なんだぞ、墓荒らしなんていうのは」
「それは、そりゃあ、今まで誰からも見つかってなかっただけじゃあ」
「あんなに簡単に、入り口を見つけられたのにか?」プーはぼくに視線を向ける。「まぁ百歩譲って、ヒエログリフが読めなかったから、なんてことを仮定したとしよう。しかしそれでも、あんなスイッチのついた石版なんて、すぐ誰かに発見されてしまいそうなもんじゃないか? それがどうして今の今まで、こんなふうに手が付けられないままでやってこれたんだ?」
 ぼくは黙っている。プーは話し続ける。
「つまりだ。まず、第一に考えられることは――」
 そのとき、頭上でわずかに灯りがともった、かと思うと、急にそれは強い光になって、一瞬にして部屋ぜんたいを包み込んだ。一瞬何が起こったかわからなかった。が、ただ眩しくて、思わず腕で目を覆った。目の裏に痛みが走るようなまばゆい光だった。ちりちりとした目の痛みが、だんだん引いてきて、恐る恐る腕をどけると、部屋の4面の壁についている合計20もの松明の灯りが、すべて点いていた。
 部屋はすっかり明るくなっていた。それどころか、後ろに続く廊下も、さらに先に伸びている通路も、同様に全て明かりが灯され、燃えさかる火の列が壁に一定感覚で続いていた。
 ぼくらが、いきなりの出来事に呆然としていると、ふとポーラが後ろで、「まずいわ」と呟いた。
「え、なに?」
「取り囲まれてる。逃げなくちゃ」
 ……取り囲まれてるだって?「誰に」
「敵よ!」
 そのとき、両側の壁のヒエログリフが、ぐにゃりと歪んだ。それは、そのまま人型に変わって実体化し、その場に姿を現す。ぼくらは目を疑った。ぼくらの身長のおよそ倍はありそうなゴーレムだったのだ。

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