ぼくらは目を丸くする。
「な、何よアレ!?」
「クラーケンだぁーっ!! ほ、ほ、ほ、本当に出やがったーっ!!」
「……ちぇっ、もう少しゆっくりできると思ったのにな」
 ネスは軽く舌打ちし、それから驚きのあまり叫ぶことしかできない船長さんを尻目に、一直線に舳先へと駆け出していく。走っていくネスの体は間もなく眩しい光に包まれ、そのままふわりと飛び上がるとクラーケンに向かって激突していった。プーもネスに遅れをとるまいと、クラーケンのほうに手をかざすと「PK・フリーズ!」と叫ぶ。と同時に、クラーケンの顔半分が音を立てて氷付けになった。
「2人とも、援護だ!」プーが振り返って叫ぶ。「いくらネスでも、あんなのに一人で向かったんじゃ勝ち目はない! 俺だってあんな芸当はできないからな、予想以上に大した奴だ、ネスは」
「でしょうでしょう!」
 まるで自分のことのようにポーラが喜んで言う。そんな様子を見てぼくもやれやれとため息をつきながら、クラーケンを狙って持っていた自動小銃を続けて放つ。クラーケンはそれを受けて痛そうに身をよじらせ、しかしそれでもタダではやられないと思ったのか、周りを飛び回っているネスに向かって突如口から火を吐いた。
「うわーっ、火ぃ吹いたぁーっ!?」
 船長さんがまた叫ぶ。ぼくらも一瞬炎の中を見つめたが、しばらくしてその中から光の弾が飛び出し、再びクラーケンに体当たりする。クラーケンは大きく叫び声をあげた。
「……あっ、そうだ!」
 ぼくは叫ぶ。船の中に、この日のために作っておいた必殺撃退兵器を放置したままにしていたのを思い出したからだ。
「ごめんポーラ、プー、すぐ戻るから!」
「えっ!? ちょっと!!」
 ポーラが引き止めるのも構わずに、ぼくは船の後ろへとまわり、暗い階段を下りて狭い廊下を走っていく。突き当たりのトイレを右に曲がってすぐのリビング・ルームへ転がり込み、隅のほうに追いやられている自分のリュックを担ぐと、再び道を引き返していく。廊下を走っている途中で突然船が大きく揺れ、ぼくはよろめきながら両脇の壁に手を突いて、かろうじてバランスを保ってから再び駆け出す。
 階段を駆け上がり、それから甲板へと回り込む。向こうからは船長さんの「ぎゃー!!!」とか「ぎょえー!?」とかいう声が聞こえてきている。ようやく辿りつくと、クラーケンがその巨体で船に思いきり体当たりを仕掛けているところだった。再び船が大きく揺れる。ぼくはその場で尻餅をつき、その衝撃で自分の尾てい骨を打ってしまい、その痛みにのた打ち回りながらもリュックから大き目のロケット発射用機材を取り出すと、それを組み立て始める。
「みんなーっ、大丈夫かーっ!」とぼくは叫ぶ。
「おおっ、戻ってきたのか!」プーはクラーケンに火球を放ちながら、振り返って声を上げた。「何を用意してるんだ?」
「ちょっと待って……よしっ、みんな伏せろーっ!」
 ぼくはプーの言葉を遮ると、組み立て終わった機材の照準をクラーケンに合わせ、思いきり後ろのハンドルを引いた。
「――食らえっ! ペンシル・ロケット5!」
 機材前面の5つの発射口から、ゲップーを倒したのと同じ5本のミサイルが勢いよく飛び出した。ミサイル郡は一直線にクラーケンの頭へとぶつかっていき大爆発を起こした。その振動でまた船が揺れる。クラーケンが空を引き裂くような大声で啼く。
「よしっ、トドメだ!」
 宙を舞っていた光の弾が空中で動きを止め、元のネスへと戻る。ネスはクラーケンにビュン、と飛行して近づき、バットを構えるとまるで野球の球を打ち返すようにしてバットを思いきり振った。
「PKッ、ホ――ムラン!」



 いい音がして、ネスのバットに吹っ飛ばされたクラーケンは、そのまま飛沫を上げて海の中に落っこち、そのまま二度と上がってくることはなかった。



 日が沈んだ。
 ぼくは甲板の上に一人座って、空にぽっかりと浮かぶ満月と、その周りにちりばめられた星々を眺めていた。後ろの運転席にはぽつりと灯りがついており、たぶん船長さんがずっと寝ずの航海を続けているはずだ。
「よう、眠れないのか」
 後ろから声がした。慌てて振り向くと、そこに微笑みながら立っているプーがいた。
「……あぁ、なんだ、プーか。びっくりした」
「何だ、他の誰かと間違えたのか」
「いや」
 ぼくは口をつぐむ。アイザックが来たのかと思った、とは言えなかった。
「ネスたちは?」
「もう寝た」とプー。「いっつもこんな風に、夜は一人でいるのか?」
「うん。静かな夜に一人でいるのって、好きなんだ」ぼくは答える。「スリークでもフォーサイドでも、サマーズでもこうしてた。何だか楽なんだよね、こうしてると」
「……それであんな風に、一人で路頭を彷徨ってたのか?」
「……」
 ぼくは黙る。あの雨の日のことを言っているのだ、プーは。
「――どうして、プーはあんな所にぼくが居るのが分かったんだよ」
「千里眼、という能力がある」プーはぼくの横に並んで腰掛けると、そう答える。「クレアヴォヤンス、とも言う。遠い場所で起こっている出来事を知覚することのできる能力だ。たぶん皆の中では俺しか持っていない能力なんだろう。まぁ、代わりにネスには必殺PKがあるし、ポーラにはテレパシー能力があるみたいだが」
 そうか、とぼくは頷く。そういえば、そのポーラのテレパシーから、ぼくの旅は幕を開けたのだった。
 懐かしい。もう何もかも遠い昔の出来事のように思える。
「……そういえば、夢を見たんだ」
「夢?」
「うん、もうよく覚えてないけど。……ぼくはいつの間にか子供になってて、何だか見覚えのある原っぱの真ん中に座って、一人で絵を描いてるんだ。そこに、プーが出てきた」
「あぁ、それか」プーはぼんやりと答える。「それ、俺だ。それにしてもよく覚えてるな」
「へ?」
「マニマニに引き込まれそうになった時のだろう?」
 そう、プーはぼくにさらりと告げる。
「それも、千里眼の力だ。一言で言えば……そう、俺は人の頭の中に入り込むことができる。つまり思考が読めるわけだ。その人の額に触れることが条件だが……」
 ぼくの、頭の中。
「……か、勝手に覗いたのか!? ぼくの頭の中を!?」
「すまなかった」プーは、潔くぼくに謝った。「だが仕方なかったんだ。あと一歩のところで、お前はマニマニの悪魔に取り込まれるところだったんだぞ……まぁ、もっとも実際のところは、俺は殆ど何もしなかったが」
「……どういうこと」
「分からないか? つまり、お前は、自分だけの力でマニマニに打ち勝ったんだよ。俺というきっかけはあったにせよ」
 プーはそう言い、それからもう一度、ぼくに謝った。
 それはつまりどういうことなのだろう。よく分からなかった。
「……プーは、どこまで知ってるんだ。ぼくの事」
「まぁ、大体の輪郭くらいは」プーは正直に告白した。「サマーズに来るよりも前の記憶の中に、もうひとつ別のマジカントが既に作られてたんだ。それを見た。……なにやら、家の中ともうひとつ、病院のような」
 ムーンサイドの時のだ、とぼくは思う。あの時の母さんの罵声が、もう一人のぼくの悪魔のような笑いが、頭の中から離れない。
「軽蔑しただろう」
「……どうだろう、自分でもよく分からないな」
「嘘だ。そんなの口だけだよ、心の底ではきっとぼくの事を見下してるはずさ。どうしようもない、救いようのない奴だって」
「そう言われては、立つ瀬がないが……」
「だってそうだろう。ぼくは、ぼくは実際――」
「『取り返しのつかないことをしてしまった』?」
 ぼくは黙り込んだ。プーの、言う通りだったからだ。
「……ぼくは、本当はこんなところに居ちゃいけない人間なんだよ。本当は、ぼくはどうしようもない人間で……だから、そもそもぼくが世界に選ばれた戦士だなんて、そんなことはあっちゃいけないことなんだよ。なのに、ぼくは、ネスやポーラや、父さんや、トニーや……たくさんの、たくさんの人の好意に甘えてしまって、本当は、罪を償わなければいけないのに、罪を償うべきなのに、そこから逃げて、逃げ続けてしまって……」
「逃げるのは、そんなにいけないことか」
 プーがぼくに呟く。
「甘えればいい。逃げていいじゃないか。逃げて、逃げて……ずっと逃げ続けていれば、いつかは必ず何か見つかる。だからそれまで、ずっと甘えればいいじゃないか。他人に、自分に」
「……」
「違うか?」
「分かんないよ……」
 ぼくはうずくまり、泣きそうな声になりながら言う。
「みんな、どうして、ぼくにそんなに優しくできるんだよ。どうしてみんな、そんなにでっかく見えるんだよ。そういうのを見るたびに、ぼくは、自分がちっぽけに見えて、ちっぽけに見えてたまらなくなるんだよ……」
「……」
 プーは、ぼくの事をじっと見つめ、それから「そうか」とだけ言って、それきり何も言わなくなった。ぼくもやがて泣き止むと、プーの隣でただ静かに船の進む音を聞いていた。


「……プー」
「何だ?」
 どれくらい時間が経ったのか分からない。ほんの5分かそこらだったのかも知れないが、ぼくには分からない。
「ぼくの親友にね、トニーって奴がいたんだ」
「ふむ」
「ぼくさ、フォギーランドのウィンターズっていう、すっごい北の方にある地方の、全寮制の学校に通っててさ。全寮制って、分かるよね、寮があって、そこに住み込んで学校に通ってるんだ。スノーウッド学園っていうんだけど。それで、そこで初めて出来たぼくの友達ってのが、そのトニーって奴だったんだ」
「あぁ」
 どうして話そうと思ったのだろう。ぼくは、プーに自分の秘密を知られてしまって、半ば自暴自棄になっていたのかも知れない。分からない。……とにかく、今は、ぼくは誰かに何もかも話してしまいたい気持ちだったのだ。
「学校じゃ、友達はできなかったわけじゃないけど、たぶん一番の親友って呼べるのは、そのトニーひとりだったよ、後にも先にも。寮の部屋も一緒だったし、いっつも夜遅くまでずっと話してたりしていたんだ」
「ふむ」
「男子寮の中のぼくの部屋はさ、窓に面した東向きの景色のいい場所で、いっつも夜になると、窓の外からぼんやりとした淡い月の光が入り込んでくるんだ。そこから外を眺めるとさ、その辺のウィンターズの景色が一望できるんだ。それで……」
 ぼくは話を始める。長い長い話を。どんなに時間がかかっても構わない。これは、ぼくの全てなのだ。ぼくの体験してきたことの全て、ぼくが今まで生きてきたことの証。だから、ぼくは話をするのかもしれない。自分を少しでも誰かに知ってもらいたいと。ぼくという存在が、こうして確かに生きているのだと、生きてきたのだということを。
 だから、もしかしたら、これは祈りなのかもしれない。誰に対してなのかは分からないけれど、たぶん自分を含めて、今までぼくが関わってきた全ての人々に対する、祈り。どうかもし許されるのなら、このぼくを許して欲しい、こんな願い本当は許されるはずないけれども、どんなことをしたって、たとえ死んだって、許されることはないかも知れないけれども、でも、それでももし許されるんだったら、ぼくは生まれ変わりますと、生まれ変わって、この薄汚れた心をもう一度改めて、また最初から全てやり直しますと、だからお願いです、このぼくを許して欲しい、誰かぼくを心の底から許して欲しい、と、そんなような祈り。まるで幼い子供の願うような、純粋な祈り。

 だからぼくは話を始める。次の朝がやってくるまで、まだ、時間はあるのだから。
――第9部へ続く

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