「あのさぁ」
「何だ」
「……最初のときからずっと気になってたんだけど、『時間がない』ってどういう意味なの?」
「言葉どおりだ。俺ももう少しのんびり話を進めたいところなんだが、なにぶん事情が変わってな」
 プーは振り向きもせずに、ぼくらの先頭に立って、薄暗い下水道の通路を早足で進んで行く。横にはどろどろとしたヘドロの川が緩慢な早さで流れていた。時折、足元をドブネズミが通り過ぎたりして、そのたびに少しギョッとする。本物のネズミを見るのは久しぶりだ。
「事情って?」
「ギーグの力が、思った以上に早く活性化しつつあるんだ。このまま行けば間違いなく、近いうちに世界は終わる」
 世界が終わる、という言葉に、ドキリとする。
「プーは、ギーグの正体が分かってるの?」と、後ろのポーラが声を上げる。
「『正体』がハッキリしているわけじゃない」とプーが言う。「だが、分かっていることはある。そしてその話の鍵となるのが、『知恵のリンゴ』という予言マシーンと、それからマニマニの悪魔だ」
 マニマニの悪魔
「なんだって?」とネスが聞き返す。
「『知恵のリンゴ』と『マニマニの悪魔』。それが今、ギーグの持っている武器のすべてだ。その2つがあるからこそギーグの力は成り立っていると言ってもいい。事実、今までお前たちの行く手を阻んできた奴らのほとんどは、その『マニマニの悪魔』の力によって生み出されたモノばかりだった。凶暴化した動物たち然り、ツーソンはハッピーハッピー村のカーペインター然り、スリークのゾンビやゲップー然り、フォーサイドのモノトリー然り……」
 プーは、今までにギーグによって引き起こされたと思われる事件を一つ一つ列挙していく。まさか、それらもすべて『マニマニの悪魔』の力で引き起こされた、とでも言うのだろうか。
「ギーグは、ギーグ自身の望んだ夢まぼろしの世界と、俺たちのこの世界とを“同化”させてしまうことで、この世界を自分の思い通りの狂った世界に作り変えようとしている。そしてそれと同時に、さらに新たな『マニマニの悪魔』のレプリカを作り出して、俺たちの世界に送り込むことで、この世界に更なる混乱をもたらそうとしているんだ。お前たちも身に覚えがあるだろう、まるで夢の中で起こっているような不条理な出来事。もしくはそれに似た意識・感覚」


 どこかあべこべなはずが、そういうものだと思わず納得してしまうような? 何かおかしいはずが、そうなのかと心の中で自己完結するような? そういう意識・感覚?
 確かに、それらのすべてがギーグの持っている本物の『マニマニの悪魔』による力のせいだと考えれば、すべてが納得できるような気もする。……というより、このぼくたちの『打倒ギーグ』という旅そのものが、そもそも夢物語的だ。
 だが、もしそう考えるとすると、そのギーグの力というのは一体どれほどの物なのだろうか?
 いつかの誰かの言葉をぼくは思い出す。マニマニの悪魔とは、自分の願望・自分が望んだ心の中の世界を、歪んだ形でこの世に再現する機械だ、と。もしそれが本当なのだとしたら、ギーグは文字通り「この世界を終わらせたい」という願いを望み、その思いをマニマニの悪魔に託したのだろう。それならば、この世界全体にすら影響を及ぼすことの出来る、ギーグの想念の力、ギーグの思いの強さとは、一体どのくらいのものなのだろうか? ぼくには想像できない。


「そしてきっと、もしこのまま放っておけば、ギーグは確実にこの世界を滅ぼしてしまうのだろう。だからこそ、『未来からの使者』――お前たちの所に行ったのはブンブーンという者だったか――は、ギーグの力を食い止めるために、ギーグがまだ強大化していない過去……つまり俺たちの生きている現代世界に飛んで来て、俺たち『選ばれし戦士』たちにすべてを託した。しかしギーグも、『知恵のリンゴ』によって俺たちの存在を知り、自分の計画が破られることを恐れて、スリークやフォーサイドに刺客を送り込むと共に、自分は誰にも邪魔されないように時空の彼方へと身を隠した、と」
「……よくそこまで分かるもんだね」
「お前たちが知らな過ぎるだけだ」とプーはネスに言う。「まったく、お前たちも超能力使いなら、『千里眼』くらい持っていても不思議ではないのに……まぁ、それはいい、問題なのはそれからだ。ここにきて、今度は急にギーグの精神が不安定になりだしたらしい。初めはギーグも、マニマニの悪魔の力に関しては上手く制御していたようだったが、今では逆にその力に翻弄されつつあるようだ」
「どうして」
「理由は分からない。だが、ギーグの力が不安定になっている、というのは事実だ。おそらく俺たちでもギーグでもない、第三者の存在が居るのではないか、というのが俺の考えだが」
「……」
 ぼくは黙る。本当のところは一体どうなのだろう?
「む、ここだ」
 先頭のプーが言い、立ち止まる。壁からは足場となる梯子が伸び、その先の天井の向こうには、またちょうどマンホールの形をした、光の射す丸い穴が見えた。出口だ。



 ギーグは、どうしてこの世界を滅ぼそうとしているのだろう?
 プーと出会い、今のぼくらの置かれている状況がだいぶ分かってきた辺りから、そんな問いがぼくの心にずっと引っかかって離れないでいる。ブンブーンによれば、はるか未来の状況はもう惨澹たる有様であって、なんでもギーグという悪の親玉が未来の世界を恐怖のどん底に叩き落しているという。初めにスリークでネスたちと出会ったときも、ぼくはそう説明された。しかし、それならば、ギーグの目的とは一体なんなんだ? ギーグは、この世界を滅ぼして、それで一体どうしようというのだ? いやそもそも、ギーグは何故そんなことをしようと思いついたんだ? いったい何が、ギーグにそうさせるのだろうか?
 もしかしたらギーグも、ぼくやぼくの母さんなどと同じように、何らかの理由で「この世界を抜け出さざるを得ない状況」に陥ったのかもしれない。そして、その先の新しい世界に若干の希望を抱きながら、マニマニの悪魔に手を出したのかもしれない。この世界から、抜け出そうと思ったのかもしれない。本当かどうかはよく分からないけれど。
 ……というか、まず一番最初にぼくらがそういった元々の原因(なぜギーグはこの世界を滅ぼそうと思っているのか? ギーグの本当の目的とは?)という所へ話を持っていかなかったということさえも、なんだか夢物語然としている気がする。


 夢――。そう、この世界はもう、既にギーグのマニマニの悪魔の力が及び始めているのだ。ギーグの心の中の『マジカント』と、この世界が既に同化を始めているはずなのだ。ということは、もしぼくらがギーグを倒すことに成功したとしたら、この世界は元に戻るのだろう。しかし、その「元」とは一体どのあたりからどのあたりまでなのだろうか? どこまでがぼくらの元々の世界で、どこからがギーグの理想の世界と同化した部分なのだろうか? その「元」に戻った世界では、ぼくはネスやポーラやプーや、他のさまざまな人たちと再び出会うことは出来るのだろうか? 分からない。

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