Chapter 8  海と太陽と君と

 漁船はゆったりとした速度で、朝焼けの海を横断している。朝日はすでに地平線から完全に顔を出し、低い空を薄っすらとした紅に染め上げていた。空は、重く沈んだ深い青とうす紅色のふたつの層が重なり合い、美しく輝いている。その光景に、ぼくは甲板の上に座りながら、しばらく見惚れていた。
「それで、どうなった?」
 隣の声に、ぼくは振り向く。
 彼は、ぼくの隣に座っていた。頭を剃り上げて弁髪にし、薄い生地でできた白い胴着を着ている。海風がさわやかに彼の服をなびかせ、彼は目を細めながらぼくと同じく朝日を眺め見ていた。
 ぼくは彼の言葉を上手く理解できず、聞き返す。
「どうなった、って何が?」
「その話の続きさ」と彼は答える。「研究所でスカイ・ウォーカーを修理して、サマーズに飛んで……、その後は? 一体どうなったんだ」
「まだ話すの? ……もう疲れたよ。ほら、夜だってすっかり明けちゃってるじゃないか。もうそろそろネスたちも起きてくるしさ」
「気になるんだ。そこからが知りたい」
 そう言って、彼は微笑む。切れ長の不思議な魅力をたたえた双眸が、ぼくを捉える。ぼくはしばらく考えこみ、それからため息をつく。ネスたちはまだ船の奥で寝ている。しかし、もうしばらくだけなら話を続けることが出来そうだ。確かにぼくも、すべて語り終えて満足したかと聞かれれば嘘になるし、それに、太陽が高く昇るまではまだ時間があるのだ。
 ぼくは船の後ろを振り返る。今まで船が辿ってきた、海上の道のりに目を向ける。港町の姿はもう遥か彼方にある。ぼくは、出発した港町トトのことを想像する。石畳の敷かれた道々を、白い壁をした家の町並みを想像する。そして、それらが朝日に包まれていくのを想像する。人々は活動を開始し、ベッドから目覚め、朝の支度を始める。家の屋根で眠っていた猫が大きくあくびをする。あらゆるものが静かに動き出す。
 新しい一日が始まる。そしてぼくは、再び話を始める。
***
 どこから話し始めていいのか、正直、ぼくにも見当が付かない。今までの流れから言えば、時間の経過どおりに説明していくのが筋なのだろうけども、サマーズでの出来事といえばだいたいは買い物か観光だったし、そんなのは本当に「説明」になってしまうだろうと思うから、ぼくには気が引けるのだ。そんなのはきっと他のところでやってしまったほうがいいと思うし、ぶっちゃけて言えば、あまり面白いものでもなかったのだ。
 サマーズの話で一番に記憶に残っているのは、雨の記憶だ。
 雨は、ぼくらがサマーズにやってきたその次の日に降った。1日目が買い物やら観光やらで、その日の夜から2日目の昼にかけて、スコールがずっと降り続いたのだ。こういう雨はサマーズ地方ではあまり珍しくないことなんだ、と、博物館のチャップスティックさんが言っていた。
 チャップスティックさんは、サマーズにある「スカラビ文化博物館」の館長さんだった。
 スカラビとはサマーズから南の海を渡ったところにある砂漠地方で、昔、世界大戦の際に、植民地となったスカラビの遺跡から、多くの財宝や財物がこの国に送られてきて、その扱いに困ったサマーズが、その発掘物たちをまとめて博物館にしてしまおう、ということで作ったのが、この博物館らしいのだった。チャップスティックさんはぼくにスカラビの歴史を話しながら、そんな風なことを、ぼくに自嘲的に語った。
「――こんな風にきれいに飾ってあるけどね、ジェフ君。そんなのはまやかしだ。人間の歴史ってのはよく見れば、どこも醜く汚れてるんだよ。きらびやかな文明の影には、必ず戦争と死の歴史がある。それを絶対に忘れちゃいけない。考古学ってのはね、そういう歴史の流れを限りなく客観的な目で見つめて、そこに確かにあった事実を、穢れのない目で読み解いていかなきゃいけないんだ」


 チャップスティックさんとしばらく話をしていて、気が付くと、ぼくはまわりにネスとポーラがいなくなっていることに気が付いた。ぼくは彼らとはぐれてしまったのだ。いそいでチャップスティックさんと別れて、それから博物館の中をぐるぐる見回しつつ出口に向かったのだが、受付の案内員さんはぼくに、彼らがもう外に出て行ったことを伝えた。
「あぁ、あの二人? それなら、『先にホテルで待ってて』って言い残してもう行っちゃったわよ。3時間くらい前かしら、今から行ってもたぶんどこにいるかは分からないと思うけど……。その子達もそう言ってたし、先にそのホテルに戻ってた方がいいんじゃないかしら」
 そうは言っても、ぼくは心底彼らに対して申し訳ないと思っていたし、自分の足で捜さないわけには行かなかった。とりあえず、まずはここよりも前に訪れた場所をまわろうと思い、あわてて博物館を外に飛び出した途端、外のムワッとした暑さと太陽の日差しがぼくを襲い、思わずめまいがした。ドコドコ砂漠でもそうだったが、ぼくは暑いのはてんでだめなのだ。


 空は目も眩むほどに青く、コンクリートからの照り返しに死にそうになる。人の波を横切り、サマーズのメインストリートを横断して、長い長い道を歩いていくと、やがて隣の港町トトにたどり着く。サマーズのレストランは料理の値段が鬼のように高く、それならということで、ぼくたちはわざわざ歩いてトトの有名料理店まで歩いていったのだ。トトなら物価も安かったし、それに味もぼくら好みでまずまずだった。トトで特徴的なのは、細く入り組んだ石畳の道と、白い壁の建物郡だ。民家の一つ一つがまぶしいくらいに真っ白に塗られ、遠くに見えるエメラルド・グリーンの海と、それから深い群青色の空と相俟って、たまらなく美しかったのを覚えている。
 ランチタイムに訪れた店をようやく探し当てて、中を見渡したが、二人の姿は無かった。それから急いできびすを返してサマーズに戻る。日差しはまるで地獄の炎だ。メインストリートを歩きながら、目を皿のようにして歩いている人々の中から二人の姿を探した。もちろん見つかるわけがない。灼熱の中で、ぼくは重いまぶたを必死に開け、苦しげに呼吸をしながら硬い地面を踏みしめていた。
 ホテルに戻っても、二人の姿は無かった。しばらく横になりながら部屋で待つことにしたが、1時間ほど経っても2人はなかなか現れなかった。4つのベッドの向こう、開け放たれた窓から外を眺めると、海に沈みかかる夕日が見えた。ぼくは居ても立ってもいられなくなり、再び外へ出た。


 真っ赤な夕日が、海と空を黄金色に染めながら沈んでいく。ぼくは潮風を横に感じながら、砂浜の傍の道を歩いてそれをただ眺めていた。美しさに思わず目を細める。確かにこのあたりには、目を奪われるような景色や心弾むようなリゾート・スポットが沢山ある。立派に観光地として成り立っているのも納得できた。不思議なことにひとけは全くない。波の音だけが静かに聞こえてくる。
 ふと道の端までたどり着いたとき、遠くの浜辺に人影を見つけた。おや、とぼくは思った。そこには2人の見知った人物が、隣同士に座っている。
 ネスとポーラだ。
 やっと見つけた!と思い、ぼくは手を上げて声をかけようとした。が、ぼくが次に感じたのは、2人のよくわからない不自然さだった。……どこが、と言われても、よく分からない。でも何かがおかしいのだ。あの2人、何か接近しすぎじゃないのか?
 彼らは何か話しているようだったが、やがて、ポーラがネスの方に顔を向けた。それからネスも視線を合わせ、ふたり向かい合うような形になる。
 ネスが、ポーラの肩に手を置く。
 ぼくは目を見張る。
 ふたりが顔を近づけていく。
 ゆっくりと。
 ゆっくりと。
 それは、とても長く感じられる時間で、
 そして、2人は、唇を、

 重 ね合わせて。

 そして、ぼくの心の中に、暗くどす黒い「何か」が、渦を巻いて溜まっていく。

BACK MENU NEXT