顔を上げると、目線の先は曇り空だった。その周りに生えるように聳え立つ高いビルが、ぼくの周りから圧しつぶそうと迫ってくるように見える。ぼくは子供のように両手をぶらぶらとさせながら、人の流れを掻き分けて歩道を歩いた。ときどき人と肩がぶつかる。それでもぼくは虚ろな目をしながら、のんびりと歩みを進めていた。
 しばらく歩いた後、足が疲れたので、ぼくは近くのビルのきれいな壁によりかかり、腰を下ろした。息をつき、これからどうしようと途方にくれた。よく考えるとこれからのことを何一つ考えていなかったのだ。おいおい何やってんだよジェフ、と心の中で他人事のように思った。
 そのとき、背後で車のクラクションを聞いた。
「おい、そこのボウズ!」
 声に振り向く。見覚えのある黒い大型のバンが、目の前の道路に停まっていた。運転席からは、サングラスをかけた黒ずくめの太った男が、ぼくの方を怪訝そうな顔で見つめていた。
「やっぱしや」その男、トンズラ・ブラザーズのラッキーが言う。「ネスと一緒にいた、メガネの坊主やろ。どないしたん、今日は相方は一緒と違うんか」
 ぼくは何も言うことが出来ず、座ったまま、その黒いバンを眺めている。バンのサイド・ドアががらりと開き、中からもうひとりの痩せたほう、ナイスが姿を見せた。
「……や、」
 ぼくは躊躇した。
「いいから乗れよ。何があったか知らないが、話は車で聞くさ」
 ナイスが笑う。ぼくは何も言えず、断ることもできなかったので、仕方なくその場で立ち上がって、ナイスに連れられ車の中に足を踏み入れた。
 車の真ん中の座席に案内されて、どすんと座らされる。がらり、と扉が閉まり、やがて車が動き出す。ラジオからは小気味いいポップ・ミュージックが聞こえてくる。
「ネスとポーラはどうしたんだ? どうしてあんなとこに1人でいたんだ」
 ナイスがぼくに尋ねる。他のメンバーたちも心配そうな顔で、ぼくの顔を覗き込んでいた。
「――ネスとは、別れたんです」
「別れた? どうして?」
「それは……」
 ぼくは言葉を濁す。
「向こうさんがたは納得したのか」
「……」
 思い出す。あの口調では、まさか納得しているはずもなかった。ぼくは目を伏せる。ナイスは腕を組み、「ふーむ」と唸った。
「じゃあ、今ネスたちは何処にいるんだ?」
「……わかりません」なんだか叱られているみたいだった。「でも、モノトリーのところに行ってるのかもしれません。ポーラを助けに」
「助けに?」と、後ろの座席のオッケーが声を上げる。
「ポーラが、モノトリーの仲間に連れ去られたんです。だから、今までずっとそれを二人で探してて」
「……で、お前は今ここにいる、っちゅうわけじゃな」
 ナイスの隣のグルービーが言う。心なしか、少しイラついているようだった。ぼくは答えられない。こちらをじっと見ていたナイスは、やがて静かにため息をついた。
「――だそうだが、聞いたかラッキー?」
「はいよ」
 ラッキーは軽く返事を返す。車は道をぐるりと引き返して、高くそびえるビル街のほうへと入っていく。
「……あの、どこに向かってるんですか」
「何も言うな」ナイスはずしりと座席に体重をかける。「お前は黙って、素直に俺たちに連れて行かれていりゃあいいんだ」
「まぁ、余計なおせっかいかも分からん」運転席のラッキーがつぶやく。「せやけど、そんな辛気臭い顔せんと、な。ずっとそんなさみしげな顔しとったら、やることなすことみーんな上手くいかなくなくなるさかい」
 ぼくは黙っている。ぼくは、ネスにどんな顔をして会えと言うのだろう。よく分からなかった。



 モノトリー本社ビルの前に車を停めると、トンズラの5人は車から出て、周りをものともせずにズンズンとビル玄関の方に進んでいく。ぼくも5人の後に引き連れられ、一緒に自動ドアをくぐる。なんだか「マトリックス」みたいだ。5人は大理石の床を革靴を鳴らしながら歩き、受付に直進した。受付の女性はこちらを見、それから身体を硬直させた。
「おい、ネエちゃん。ちーっと聞きたいことがあんねんけど、ええかな」
 ラッキーがどすん、と受付に腕で寄りかかり、ヤクザみたいなドスの聞いた声で言う。
「……な、何でしょう?」
「ここに、こーんな」隣のナイスが、頭にジェスチャーをする。「赤ーいキャップをかぶった、小学生くらいの子供が来なかったかな。見てないか?」
「え……、あ、はい、確かに来ましたけど」
「どの階に行った?」
「さ、さぁ、そこまでは……」
「うーん、こっちは丁ぇ寧にお願いしてんねやけど、分かってもらえんかなー」
 ラッキーがにこにこと笑う。ただし目だけがちっとも笑っていない。
「けっ、警察を呼びますよっ!?」
「さっさと呼べや、痛い目見るのは自分やで」
「……」
 女性の顔がさっと青くなる。可哀そうに。女性は口ごもっていたが、やがて、
「え、エツコさんと一緒だったので、たぶん48階だと思うんですけど、どうだか……」
「最上階か。よし、行くぞみんな」
 ナイスの号令で、メンバーはきびすを返してさっさとエレベーターに向かう。扉前で立ち止まり、ドア横のボタンを親指で連打しながらエレベーターを待つ。音と共に扉が開くと、みんなでいっせいにズカズカと乗り込んでいく。とことん容赦がない。エレベーターガールがとっさに悲鳴を上げた。
「48階な、ねえちゃん」
「あの、お客様、最上階は関係者以外は立ち入り……」
「あー? 聞こえんなぁ」
「……」
 扉が閉まり、エレベーターが静かに上にあがっていく。ラッキーがぼくにウィンクし、「実力行使っちゅーのはこないするんや」と笑った。笑えないって。
 48階に着くなり、5人は赤い絨毯の敷かれたまっすぐな廊下を走りだす。廊下の脇には一定間隔で高価そうな調度品や骨董品などが置かれていたが、そんなものにはまるで目もくれない。角を曲がり、しばらく行ったところにある突き当りの扉にたどり着くと、ガチャガチャとドアを開けようとするのだが、まるでビクともしない。仕方ないのでナイスが頷くと、力自慢のラッキーとグルービーがそれを合図にドアに体当たりし始め、4回目くらいでドアは勢いよくぶっ壊れた。
 足を踏み入れると、広間だった。先の方を見据えると、進路の向こうにはさらに大きく豪華な観音開きの扉があり、さらに先に続いているようだった。広間には見覚えのある赤い帽子の少年が、肩で荒く息をしながら、なにやらロボットとにらみ合って対峙していた。
 彼だ。
「……ね、ネスーッ!!」
 叫んだ。
 ネスがこっちを振り返る。
「ジェフっ!?」びっくりして彼も声を上げた。「それに、みんなも……!」
「よう」
 ラッキーが返事をする。ネスは、ぼくたちがどうしてこんなところにいるのかまるで理解できないようだった。彼は一瞬安堵の表情を浮かべたが、それからハッと我に返った顔になり、
「だっダメだ、来るなっ!」
「え?」
 それ言われて、視線を今度は相手のロボットにも向ける。背は低く、頭の部分には子供の描いたような簡単な顔が描かれていて、心なしかチープなロボットだった。腕や足も取ってつけたようで、いかにも弱そうな雰囲気をかもし出していた。
 が、そう思うや否や、そのロボットの腕の部分が音を立てて物理的にありえないような変形をしはじめ、やがて身体にまるで不釣合いな、無骨な6連ロケットランチャーが出現した。
「はぁ!?」
 ぼくらは目を見張った。ロボットが発射用意のエネルギーを溜め始めている。トンズラの5人が突然の出来事に騒ぎ慌てる中、ぼくは咄嗟に、半ば反射的に懐からハンドガンを取り出して、荷物の中のアタッチメントを取り付けた。それから今にもミサイルを放とうとしているロボットに向かって、その銃口を向ける。
「くそっ、イチかバチか、喰らえ! 『ねばねばマシン』!」
 上手くいけ!
 引き金を引くと、アタッチメントから勢いよく丸いカプセルのようなものが飛んでいった。そのまま例のロボットに命中したかと思うと、花火のような音がしてそれが弾け、その中からカプセルの容積の何倍にも膨らんだねばねばの白いトリモチが、ロボットの体を包み込んだ。動きが制限され、ロボットがその動作を止める。
「い、今です、みんな!」
「おぉっ、すごいじゃねえか!? よーし!!」
 トンズラのメンバーはそこで意を決して、勢いよくロボットに突進して行った。ミサイルが放たれる前に、力自慢のラッキーがロボットをキックで突き飛ばす。その拍子にミサイルが見当違いな方向に放たれ、壁が爆発で揺れた。
「わぁっ!!」
「おっ、なんだこりゃ?」
 すぐさま後ろに回りこんだナイスが言い、ロボットの背中についていた「何か」をポチリと押す。すると、あんなにせわしなく動いていたロボットが、まるで息絶えるようにガクンと止まり、やがて動かなくなった。
「あ……」
 呆然とネスが声を出す。
「スイッチを切ったら止まったぜ! 」ナイスが愉快そうに笑っている。「ハハハハハ……、解かりやすい奴だ!」
「お前、頭いいなぁ」
 他のメンバーは面白そうに感心し、ロボットに近づいていく。びっくりさせやがって、とメンバーの1人がゲシッとロボットの頭を蹴飛ばす。ロボはピクリともしなくなっていた。
 ネスは目をぱちくりさせながら、ぼくたちの姿を不思議そうに見つめている。
「みんな、一体……」
「なぁに、そいつがな」
 ナイスがニコニコしながら、ぼくのほうを親指で示す。
「ジェフが……?」
「ああ。そうでなくても、オレ達はお前らにお礼がしたいんだ。いくらでも力になるぜ!」
 隣のゴージャスも言う。後ろからも他のメンバーが顔を出した。
「金はなくても、力はあるんや」
「隣の部屋が怪しいんじゃあ」
「女の子の声がしたような気がする」
「さあ、となりの部屋に踏み込もうぜ。……と、その前にオレはちょっとトイレに行ってくる」
 ナイスの言葉に、みんなが「そこでそれかよ!」と大声で笑う。ネスはぼくを見つめ、それからこちらに歩み寄ってくる。やがてぼくの前にしゃんと立つと、彼は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「……」
「――ネス、あのさ、ぼく、」
「ごめんっ!!」
 ぼくが何か言おうとしたとき、ネスの方がいきなり、強く頭を下げた。言いかけた言葉を思わず飲み込む。先に言われてしまった。
 恐る恐る顔を上げ、ネスは照れながら、恥ずかしそうに笑った。
「……悪かったよ。なんかオレ、頭に血が昇ってたっていうかさ、その、なんていうか……。ジェフのこと何にも分かってなかったくせに、あんなこと言っちゃってさ。勝手にしろ、なんて……」
「ネス、」
 違う。ネスはそんなこと言わなくていい。本当に謝るのは、謝らなくちゃいけないのはぼくの方なんだ。
「やっぱさ」と、ネスは言葉を続ける。「いなくなって分かったんだ。やっぱりジェフは、かけがえのない俺たちの仲間だ。もちろんポーラも。2人にいなくなられてみて、ようやく実感したんだ。バカだよな、オレ」
 ネスは、そう言って苦笑いする。
 違う、違うんだ。ぼくが君の仲間だなんて、そんな大それた事はあっちゃいけないんだ、絶対に。
「……頭冷やしてみて、つくづくそう思ったんだ。本当だぜ?――ほら、この『冷静になる』っていうことだって、ジェフに会うまでオレ、今まで一度もやったことなかったんだ。……自慢じゃないけどさ。それを教えてくれたの、ジェフなんだよ」
「ネス、ぼくは、ぼくは……」
 違う。
 ネス、ぼくは、ぼくはそんな大層な人間じゃないんだ。


「――ずるいよ」
 思わず口に出していた。ネスは不思議そうな顔をする。
「えっ、なに?」
「ずるいよ、ネスは」
「なにが……? どうしたんだよ」
「ずるいよ、ずるいよ……」
 ぼくは首を振る。目から涙が溢れ、頬を伝う。ぼくは泣き崩れて、ネスに倒れこむ。
「ずるいよ、ネス、ずるいよ……」
「おいおい、ジェフ! だから、どうしたってんだよ、もう……」
 ネスが困りながらも、ぼくに胸を貸してくれる。ぼくの身体が小刻みに震えている。ぼくは悲しくて、そして嬉しいのだ。ぼくは君を騙しているのに、どうして君はそんなにも優しいんだ? どうして君はそんなにも、ぼくのことを赦してくれるのだ?
 ぼくは泣く。ぼくは心の空洞を埋めるように、そのまま気の済むまでずっとずっと泣いている。これじゃ何だかトニーみたいだな、と心の中で思った。

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