目を開けると、また場所が変わっていた。
薄暗い倉庫のような所だった。上の方の小窓から外の太陽の光が差し込んできて、それが倉庫のわずかな光源となっている。ぼくはちょうど翳っているコンクリートの地面に寝転がっており、ネスは倉庫の真ん中に立って、足元で粉々になった黄金像を見下ろしていた。
場面が元に戻ったことに気付いて、ネスは顔を上げる。
「なんか戻ってきたみたいだな。ジェフ、大丈夫か」
「……うん」
「ジェフ?」
ネスが心配そうにぼくの顔を覗き込んだ。
「大丈夫かジェフ、さっきからなんか変だぞ? さっき一体何を見たんだよ」
ネスはぼくの次の言葉を待っていた。ぼくは黙っていた。しゃべる気力すらなかった。ぼくが床の一点を見つめてぼうっとしていると、ネスは観念したのか、
「……わーかったよ、もうそのことは突っ込まないからさ。行こ。マニマニの悪魔が壊れた今がチャンスだ。この機会を逃したら後がない」
「……」
「ジェフ、気分悪いの?」
「……うん」
ものすごく悪かった。ぼくはぐったりした身体を起こし、どことなしに視線を向ける。
「立てる?」
ネスに手を貸してもらい、何とか立ち上がる。目が虚ろで、頭が重かった。めまいがして思わず2,3歩よろける。
「おいおい、大丈夫か! 顔色悪いぜ、どっかで休もう」
「……」
ぼくは無言で頷き、二人で倉庫を出る。
倉庫の正体はボルヘスの酒場の地下貯蔵庫だったらしく、ドアの向こうは上へ登るコンクリートの細い階段だった。それを昇り終えると、またもうひとつ扉があり、そこを開けるとやっとボルヘスの酒場の店内に出た。どうやらここは壁の隠し扉だったらしい。酒場の客たちと店員はぎょっとした表情でぼくらを見たが、恐ろしくて手も触れられないらしく、ネスとぼくは我が物顔でそこを通り抜け、外に出た。
裏通りに出た。高い建物に囲まれた空の隙間から上を見上げると、やや雲の出てきた空とぼんやりと霞む太陽が目に入った。どうやらボルヘスの酒場に突入したときからそこまで時間は経過してはいないらしい。遠くに聞こえる街の喧騒が懐かしかった。ぼく達が大通りに向かって歩き出そうとすると、そのときネスのポケットの受信電話が電子音を立てて鳴った。
「おっと……」ケータイを開いて、ネスが電話に出る。「はい、ネスですけど。あれ、アップルキッド?」
ネスは片手で電話をとって話し始める。大通りに出ると、行き交う人々の波があふれんばかりに流れていて、思わず戸惑う。
「――へぇ、またなんか出来たんだ。今度は何? ……はぁ。そりゃまた変なもの作ったなぁ。ていうか『ぐるめとうふ』って何? いや、そういう問題じゃなくてさ……」
ネスは話を続けている。このまま人の流れに任せて、どこか遠くに行ってしまいたい、とふと思う。勝手に足が動き出す。ぼくは人ごみの中に紛れ込もうとし、後ろからネスの「ちょちょちょちょ、ちょっと待てよジェフ!?」というネスの叫び声が聞こえる。右手を掴まれる。
「おいおいおい、一体どこ行くんだよ」
「どこでもいいよ」ぼくは吐き捨てるように言う。「放してくれ」
「は?」ネスはまったく訳が分からないようだ。「何だよ突然。放さねえよ」
「いいから放して」
「嫌だって」
ネスの手を無理やり振り切ろうとするが、向こうの力の方が強かった。ぼくはぐいとネスの手を引っ張る。
「いいから落ち着けよ。……どうしたんだよ、ポーラはどうすんの? マニマニの悪魔をぶっ壊しても、ポーラがまだ助け出せてないじゃんか。それが済むまでまだ終わったとは言えないだろ」
「……だめなんだ」
「え?」
「ぼくは、君たちと一緒に旅をする資格なんてないんだよ」
「なんだよそれ……」
事態の不明瞭さに、困惑した声を出すネス。ぼくは、ネスの手を振りほどく。
「だから、どうしたんだよ一体」とネスが言う。
「どうもしないさ」
「んなわけねぇだろ、そんな思わせぶりなこと言って」
「そんなつもりじゃないんだ、ごめん。でも、無理なんだ」
「なにが。何で!」
「言えないよ」ぼくは首を振る。「でも、とにかくもう無理なんだ。これからは、君だけでモノトリーのところまで行ってくれ」
「はぁっ!?」
行こうとしたぼくの肩を、ネスが無理やり掴む。
「意味わかんねえよ。ちゃんと説明しろ!」
「だから、言えないよ」
「何で!」
「それを言ったら、君はぼくを軽蔑するだろうから」
ネスが怪訝な顔でぼくを見る。その表情がすぐ嫌悪に取って変わられるんだろうな、ということは容易に想像できた。嫌悪とは好意の裏返しであり、そのカードはいとも簡単に裏返るのだ。ネスのそんな顔は、決して見たくなかった。
なあネス、もしぼくが『自分の母親を殺した精神異常者』だって言ったら、君はどう思うだろう?
「……だから、さよなら」
もうこれ以上、誰かに拒否されるのはうんざりだった。だからそうならないためには、ぼくの方から離れて行くしかないのだ。それがぼくの選んだ道だ。ぼくはネスの手から逃れ、それからまた歩き出す。足の向くまま、人々の流れゆくままに身を任せる。ネスの姿が次第に見えなくなる。ぼくは、それ以上ネスの方を振り向くのをやめる。
「……なんだよ!? わかったよ、じゃあもう勝手にしろよ! バーカ!」
背中で、ネスがまるきり反対方向に走っていく音を聞いた。