「すっ……」
 見上げる。高い空がまるで森の木々の枝葉に遮られるように、高いビル群ですっかり狭められている。空が狭い、というのはまさにこのことだ。
 視点をはるか上方に向けないと頂上が見えないくらいの超高層ビルが、人のごった返した大通りを挟んで、並木のように向こうまで建ち並んでいた。数え切れないほどの人の流れは広い大通りにあふれ返って、みんな忙しそうに、お互いがお互い脇目もふらずに歩いていた。(なぜか車の流れがないなぁと思ったら、どうやら歩行者天国というものらしい。)さらに向こうの太い横断歩道の前には、たくさんの人々が青信号を待って並んでおり、その道路を横切って、びゅんびゅんと車が行きかっていた。
 都会。
 都会だよ都会。
「げぇ―――……!」
 大きく息を吸い込んで、隣のネスが感嘆のごとく呻いた。ぼくとポーラもただ唖然となり、言葉にうまく言い表せない感動に浸っている。人の多さも道の広さもビルの高さも全て桁違いだ。街の様子にすっかり心を奪われてしまっているぼくらを、黒いアタッシュケースを持ったサラリーマンが、ぶつかりながら邪魔くさそうに向こうに歩いていった。
「すっげぇ、すっげぇ……」
「そ、そんなに言わなくても分かるよ」驚きながらもネスの言葉で我に返り、こんなことにいちいちびっくりしている自分が何だか急に恥ずかしくなって、慌てながらぼくは言った。
「だって、そんなこといってもさぁ。凄いものは凄いんだからしょうがないじゃん」
 ネスが口を尖らせて言う。
「でも、もうここにもギーグの手が伸びてるんでしょ? とてもそうには見えないけどなぁ……」
 その隣でポーラがささやく。
 確かにそうだ、とぼくは思う。ゲップーが言うには、このフォーサイドにギーグは「マニマニの悪魔」とやらが仕掛けられていて、それはスリークのゾンビ騒動よりもさらにひどい事態を引き起こすというのだ。


 とりあえず、ぼくらはフォーサイドのホテルの一室を借りてしまうと、今後の目的を話し合うことになった。時刻はもう夕方を過ぎており、本来ならこんなにのんびりしている暇など無いはずなのだが、なにぶん、今後の見通しやこれからの目標が見当もつかないことには、いくら動いてみたところで仕方がないのだ。
 だがそれにしても、その「マニマニの悪魔」とやらは、そもそも一体何なのだろうか?
 大体、まずそのマニマニの悪魔を“仕掛ける”という所からよく分からない。仕掛ける、って何だ? そのマニマニの悪魔っていうのは、例えばゴキブリホイホイとか地雷とかみたいに、ターゲットがある一定の条件(その場所に立つ、ボタンを押す、引き金を引く、みたいな)を満たすことでその効果を発揮する、というような、ある種“罠”のようなものなのだろうか?
 「悪魔」というからには、その効果も同じく悪魔的、悪魔並ということなのだろうか。その威力や効き目のようなものが。じゃあ、もしそれが発動してしまったとしたら、一体この街はどういうことになるんだ? ゾンビ騒動以上の凄いこと、ということは、つまりもっと酷い化け物や怪獣なんかが現れたりするってことなのか? それともまた別の何か?
 そもそも、そのマニマニの悪魔は本当にもう発動しているのか? まだ発動していなのか? 発動していたとすると、その効果ってのは何なんだ? ぼくたちの目には見えない、人間の肉眼ではひょっとしたら捕らえきれないのか、それとも、ただ見えないところで進行しているだけなのか? ……すべては推測の域を出ない。考えは堂々巡りだ。
 と、そのような事を一通りまとめて、ネスとポーラに話すと、ふたりはふたりとも押し黙り、うーんと考え込んでしまった。
「いや、まぁ別に、そこら辺で考えてたことを延々と述べただけだから、別にどうってこともないんだけど。……でも、その『マニマニの悪魔』ってのが果たしてもう発動してしまったのかどうか、ってのは結構重要な問題だと思うんだ。だから、まずはこの街に何か大きな変化があったのかどうか、ってのが分かればいいんだけど……」
 ぼくの言葉に、ポーラはうーんと頷く。
「そうは言われてもねぇ……。この街に知り合いとか親戚なんかがいればなんとか分かるかもしれないけど、あいにく私はこっちには知り合いは全然いないから……、あ、さっきの、ジョージさんとチュージさんたち、何か知ってないかしら?」
「さぁなぁ」と、ネスは下を向いて、何か考え事をしながら答える。「あの人たち仕事で来てるだけって感じはしたし、聞いてみないと分かんないけどな……、ていうかさ、うーん、実はスリークにいたときから気になってたんだけど、その、『マニマニの悪魔』だっけ? なんか、どうもどっかで聞き覚えがある気がするんだよね……」
「え、どこで?」
「分かんない」ネスは言いながら顔をしかめる。「けど、絶対どっかで聞いた気がするんだよ、それもごく最近。そう、ごく最近なんだよね……うーん、さっきから思い出そうとしてるんだけどなぁ……」
 ともかく、これ以上はもう話し合っても仕方がないだろう、ということになり、今日のところはもう休むことにした。
 夜になり、ふたりが寝静まったあと、ベッドの上でぼくは夜なべをして、ペンシルロケットの他にもう一つ武器を作った。サターンバレーでどせいさんたちから貰ったガラクタの中の、壊れたアイロンを改造した「ねばねばマシン」だ。改造エアガンの銃口にアタッチメントとして取り付け、敵に命中すると、トリモチのような物体が出てきて、相手の動きを止める。……そもそも、どせいさんのガラクタは妙な構造のブラックボックスが多いせいで、仕組みは分からないのだが、取り込むことはできた。銃のほうも、同じくどせいさんたちのスクラップを使ってさらに改造を重ね、そのおかげで反動も少なくなり、弾の威力も増した。どせいさんたちはもしや底知れない天才ではないかと思う。
 ゲップーとの戦いから学んだことを、自分なりに活かしてみたのだ。ぼくに圧倒的に足りないのは、力だ。ネスとポーラの持つあの圧倒的な超能力。だから、凡人のぼくにできるのは、そうした力を他から補うことだけだ。こういった発明を作り続けることで、だ。


 次の日、ぼくらはまた人の溢れる大通りを彷徨い歩くことにする。とにかく人が多い。見るものすべてが初めてのものばかりで、ついつい色々な風景(ビルの上の巨大広告とか、ビッグ・ディスプレイとか、道路を走る広告バスとか)に、キョロキョロと目を向けてしまう。それだけではない、大通りは人々が行き交う曖昧な「流れ」みたいなのがあり、ぼやぼやしていると、自分がどこから来たかさえすぐに分からなくなりそうだった。
 やばいな、これ本格的なマップみたいなのが必要だぞ、と思う。どこかで買わないと。
「あっ、ちょっ、見てあれ!」
 不意にネスが、道の向こうを指差して言う。「え?」とぼくとポーラが振り向くと、通りに面したショーウィンドウのガラスに、ずらりと同じ内容のポスターがずっと向こうまで貼られて並んでいた。ぼくらは3人横に並び、そのポスターの一枚をしげしげと眺める。きれいなブロンドの髪の美しい女性が、その髪を風になびかせながら、艶っぽい表情でこちらを向いている。


 VENUS LiveTour1999「飛べない蝶は夢を見る」in フォーサイド

  ◆場所:FOURSIDEアポロシアター п磨磨|****−****
  ◆開場18:00・開演19:00(前座:トンズラ・ブラザーズバンド)
  ◆全席指定$50/チケット一般発売:*月*日(*)
  ◆総合問い合わせ:ファンクラブ「Clove-R-Sky」 п磨磨|****−****


「……誰? この人」
「誰って……ヴィーナスよ。え、ジェフ知らないの!?」横のポーラがびっくりした様子で言う。「かなり世界的な女性シンガーだと思うんだけど……、ファースト・アルバムは世界で2000万枚売ったのよ、『7.2オクターブの歌姫』って知らない? ジェフ」
「さぁ、知らないなぁ」
 どうやら、ぼくは本当に筋金入りの世間浮きボーイらしい。失敬な、ぼくだって新聞とかテレビくらいは目を通すさ!……なんて。というか、これが一体どうしたんだろう、と思っていると、ネスが横から、
「違う違う! ここだよここ」
 ネスはそう言って、ポスターの『開場・開演』のところを指差す。

  (前座:トンズラ・ブラザーズバンド)

「トンズラ……」
「あっ、トンズラブラザーズ!」
 横でポーラが声を上げる。
「今度は誰?」
「誰っていうか、友達だよ、友達」とネスが言う。
 友達!?
「そう、ツーソンでいろいろあって」と今度はポーラが言う。「前のときは、劇場にだまされて借金を作って、それでこの人たちイヤイヤ働かされてたんだけど……、今度も借金なんて作ってなきゃいいけど」
「い、行ってみようぜ!」とネスが叫ぶ。落ち着けって。「もしトン・ブラのみんなが最近ずっとこのあたりにいたとしたら、何か情報が聞けるかもしれないじゃん! そうでなくても、ちょっと冷やかしに顔だけでも出しに行こうぜ」
「おいおい、ホテルとるんじゃなかったのかい」
「そんなのアトアト!」そう言いつつ、ネスはもう走り出している。「ほら、ポスターがあっちの道のほうまでずっと続いてる!」
 ネスが走り出してしまったので、ぼくとポーラはあわてて後を追う。

BACK MENU NEXT