スリークに戻ってくると、あのどんよりとした雲はいつの間にか消え去って、空はもう夕暮れに近くなり、夕日のオレンジ色のまぶしい光がぼくたちを照らしていた。日も暮れてきたので、今日のところはもう街からは出ずに、とりあえずどこかのホテルに泊まろうか、ということになったのだが、ポーラが「ホテルは絶対イヤ!」と断固拒否し(ポーラとネスは、スリークのホテルでゾンビたちに拉致されて、墓場の地下の牢屋に閉じ込められたのだ)、しかたなく町役場の方に赴いて、どこかいい所はないかと訊ねると、町長さんや他の従業員の方たちがえらくぼく達を大歓迎してくれて、おかげで町長さんが家の一室をぼく達のために用意してくれることになり、しかも町長さんの立派な邸宅で盛大なパーティーが催されることになった。

「スリークの町を明るく平和にしてくれてありがとう。サンキュー!ラブ!ピース!」
「ヒーローだよ、君たちは。すんばらしい!」
「私たち、あなたのこと忘れません。またきっとスリークの町に来てくれますよね」
「こんな少年たちに町を救ってもらえるとは……。誰が想像したろうか。」
「カッコイイぜ!」
「またきっとスリークの町に遊びにきてね」
「知恵と勇気と団結の勝利だったね! 気持ちいいよ!」
「暗かったこの町も、あんたのおかげで明るくなったよ」
「ゾンビをやっつけてもらって、ほんとにうれしいわ。チューしてあげよう。キャッ! 恥ずかしい」
「君のおかげで安心して暮らせるようになったよ。君って『安心ホイホイ』かもしれないなぁ。ハハハハハ!」
「やっぱりゲップーっていう悪の親玉がいたのね。そんな汚らしいやつをよく倒してくれたわ」
「ゲーップ。あらいやだ。これじゃ私…、ゲップーなんてあだ名がついちゃうじゃないの。キャハハハ」


 中には、細かいところまで親身になって心配してくれる人もいたし、
「メガネのぼうやが乗ってた、あの丸い乗り物…、墓場の地下で安からかに眠ってるそうじゃないか。もうどうしようもないのかい? ……うーん、もったいないけど仕方ないのかな…」
 何か、どこかで見覚えのあるようなヤツもいた。
「おれの大切な情報を聞いといたおかげで、化け物の大親分を倒したらしいね。ヒッヒッヒ。感謝したり、肩もんだり、お礼を言ってくれてもいいんじゃないのかい。……あ、おれの事けいべつしてるまなざし!ってやんでぇ!ペッ!」
 まぁ何はともあれ、色々あった。時間は過ぎ、日も暮れ、夜もふけ、その間に様々な人々がぼくらの間を行き交い、面白いことやたくさんのことが起こったけれども、ぼくらにとってはただ全てが目まぐるしく、そしてすべてに、とても興奮した。
 ことまでは、憶えている。


 ぼくは薄暗い部屋のベッドで目覚める。寝ぼけた頭をむっくりと起こし、部屋の中を見渡す。部屋の広さはホテルの一室くらいで、4つある大きな窓にはカーテンがかかっている。天井と壁に取り付けられたライトは全て消えていて、隣に並んでいるベッドを見ると、やはりネスとポーラが同じようにベッドの上で静かに眠っていた。みんなちゃんとパジャマにまで着替えさせられている。ふむ、とぼくはポリポリと指で頬を掻き、やがて手探りで手元のメガネを探して着けると、そっとベッドの中から這い出した。
 音をさせないように静かに窓を開けて、広いベランダに出る。急に涼しげな夏の夜風が顔面にさわやかに吹きつけてきて、ぼくは思わず目を瞑った。外はもう真夜中で当たりは暗闇だ。高く広い夜空は晴れていて、大きな満月が他のチカチカとした一等星の輝きを覆い隠すほどに輝いている。
 村長さんの家は、スリークの街の中の少し高い丘の頂上に立てられていて、そこからスリークを囲む森、建物群、墓場、それから、ひときわ目立つサーカス・テントなんかを一望することができた。街の灯りはぽつぽつと点いていたが、ほとんどの人間が町長さんの家で騒いで呑んで食べて寝てしまっているせいで、その人の灯火もわずかだ。山を越えた暗い地平線の向こうには、遠くの大都会・フォーサイドのキラキラしたネオンも見える。


 そう、そして、こんな夜はアイツが出てくるのだ。


「お呼びかい? ジェフ」
 声のした背後を振り向くと、思ったとおり、そこにアイザックが立っていた。前に会ったときと同じ黒ずくめの服に、銀の髪が月明かりに映えて風になびいている。眼は血のように赤い。ぼくはそちらに歩み寄る。
「君から僕を欲するなんて、珍しいね。どういう風の吹き回しだい?」
 アイザックはクスクスと笑いながらぼくに言う。ぼくはあくまで平静を装って、
「気が変わったのさ」
「へぇ……、気が変わった、か。なるほどね」
 アイザックは、ぼくの答えに指して興味もなさそうに頷く。
「それで、用は何なんだい親友。君が僕を待ってたってことは、何か言いたいことでもあるんだろう」
「親友?」
 親友、親友か。
 ふざけるな
 ぼくは言いたい事を口にする。
「お前だろう、母さんを殺したのは」
「ん?」
 アイザックは、よく聞こえなかったのか、キョトンとした表情でぼくの顔を覗き込む。ぼくはもう一度口にする。そう、ぼくは思い出したのだ。
 あの夢は、ぼくの記憶の断片だ。
 そう、ぼくは思い出したのだ。小さい頃の記憶を。自分の心の中の箱に鍵をかけて封じ込めていた、トラウマとなって凍り付いていた、過去の記憶を、思い出したのだ。
「母さんを殺したのは、お前だ」
 アイザック、黒ずくめの男。あのクリスマス前の雨の日、父さんのいないぼくの家に忍び込んで、母さんを殺したのは。
「お前だ」
 ぼくはアイザックを睨む。アイザックはぼくを見つめ返し、それからしばらくして「……プッ」と噴き出す。
「は?」
「……クックックックックッ……」
 何が可笑しいのか、アイザックは急にその場で笑い出す。ぼくは怪訝に思う。それからすぐにアイザックの異変を察知する。
「くっくっくっくっくっくくくくくくくくく……クハハハハ……ははははははははは、っはっはははははっははははははははははははは!!ははははははは!!!あっははははははははははははははははははははは!!!!ははははははははははははは!!!」
 おかしい。
 気持ち悪い。
 聞いてはいけない事を、口に出してはいけない事を言ってしまったような悪寒がする。
 嫌な汗が全身から噴出す。イヤに心臓が高鳴る。何だこの感覚は。いけないことをしてしまったような、やってはいけない事をついにやってしまったという感覚がある。
「……はははははは、そう、そうだよ。ジェフ、君は本当に頭がいい。そうさ、僕がやったのさ僕が君の母さんを殺したんだよ。そう、言葉によっては、ね」
「……何?」
 怒りが沸いてくるはずなのに、なぜかぼくの感情はどこからかの『罪の意識』へと代わって行く。何が何だかさっぱり分からない。でも、「やってしまった、ついに言ってしまった」という意識がふつふつと沸きあがってくる。
「さっぱり分からない、何が言いたいんだ」
「言葉通りの意味さ」
 そう言ってアイザックはくるりと向きを変え、手すりの上にひょいと乗る。そうしてぼくの方を振り返って、怪しげに微笑む。
「ま、待てよ! 意味わかんねぇよ!?」
「あぁ、そうそう。最後にひとつだけ」
 アイザックは笑いながら、何か寸前で思うところがあったのか、そう言う。
「何だよ、待てよ。ぼくと会話をしろ!」
 アイザックは、ぼくの言葉を聞いていない。
「……死体であるにもかかわらず、魔力によってむりやり動かされる『生きている死体』と、もうひとつ……、生きてはいるが、その生は単なる惰性と逃避の果てで、“ただ死んでいないだけ”の『生きていない人間』と、君はどっちの方がマシだと思う? その2つに、何か大きな違いはあると思うか?」
 いつか、誰かに言われた言葉を思い出している。お前は人の皮をかぶった化け物だと。人間の味方なんてとっくにやめてしまっているようだと。俺と同じ同類だと。
 生きていない人間とは誰の事なのだろうか。
 ぼくは何も言わない。
「フォーサイドだ」
 アイザックが言って、また微笑む。いつかのゲップーと同じ事を口にしている。
「フォーサイドで、待ってるよ。そこに全ての答えがある」
 ぼくは答えない。そしてぼくは何も考えずに、アイザックがその場から立ち去って消えて行くのをただ見ているだけだ。ぼくはそれしかできないのだ。してはいけないのだ。
 ぼくはただ、夢の中の登場人物のように、その大きな「うねり」のような流れに、身を任せる他ないのだ。
――第5部へ続く

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