温泉から上がってプレハブから外に出ると、扉の前にどせいさんが立っていた。
「あれ、どうしたの?」とポーラが聞く。
 どせいさんは「ぷー」とだけ鳴くと、やがてくるりと向きを変え、ぴっこぴっことプレハブの裏の方へと歩き出した。僕らは訳が分からず顔を見合わせる。
「――どうしたんだろう」と僕が言う。
「さぁ、ついてこいって言ってんのかなぁ」
「かもしれないけど……」
 プレハブはちょうど(登ってきたのと同じような)高い岩壁に面していて、裏を覗くと、プレハブと岩壁の間に人が一人入れる位の狭い隙間があいていた。どせいさんはその間をぽてぽてと歩いていき、ふと壁にあいていた穴へとサッと入っていった。僕らはそれを目で追っていたが、とりあえずネスの言うとおり、どせいさんの後を追って後ろについて行くことにした。
 横穴に入ると、その先は薄暗い一本道の洞窟が続いており、どせいさんはその道を迷いもなくテクテクと進んで行くところだった。僕らも慌ててその後を追い、どせいさんと並んで狭い通路を進んでいった。
 やがて、通路の向こうに出口と思われるかすかな灯が見えてきた。そうするとどせいさんは急に立ち止まり、こちらの方を振り返った。
ここからさきは、みるきーうぇる
「……ミルキー、ウェル?」とポーラが聞きかえす。「どせいさん、なぁにそれ?」
なんだろう???
 聞き返されてしまった。
ここからさきは、ぼくは、はいれません」とどせいさんは言う。「だから、さよなら。またあいましょう。おげんきで
「どせいさんは、入れないの?」
 ぼくがそう返すと、どせいさんはこっくりと頷く。そう聞いてから、ぼくはハッとある考えに至ってネスと目を合わせる。ネスの方も同じ考えに至ったようで、こちらの方に向かって頷いた。
「そっか、わざわざ教えてくれたんだ。ありがとうどせいさん」とネスは言う。どせいさんは「いえいえ」とばかりに首を振って、それから「ぽえーん」と鳴いた。ぼくらはうなづき合い、その光の向こうへ向かって走り出した。


 薄暗い洞窟から抜けたとたん、目のくらむほどの光に思わず目を細めた。しばらくして目が慣れてきたのでうっすらと目を開けると、そこは僕らの膝下くらいまである丈の高い草の生えた、一面の草原だった。はるかな向こうに地平線が広がり、そして僕らの目の前には、透き通った乳白色をした水がこんこんと湧き出る泉があった。その光景に呆然としながらも、僕らはその泉の岸に近づいて、静かに揺れる水面を眺めた。
「……そうか、だから、『ミルキー・ウェル』なんだね」
 ぼくは呟いて、それからネスの方を見る。ネスは未だ泉の底をじっと眺めていたが、やがてぼくの視線に気付いたのか、ハッと我に返って、それから背負っていたリュックを下ろし、中から見覚えのあるこぶし大の石を取り出した。
「そうだよな、これが俺たちの旅の目的だったんだからな」
「うん」とぼくも頷く。
 ネスは、その石を乳白の泉に向かって掲げる。と、その音の石が急にパアッと光りだし、その光はやがて広がっていって、ぼくら全体を包み込んだ。それは暖かく、やもすると不意に眠ってしまいそうな、そんな光だった。ぼくは目を瞑り、その「光の流れ」みたいなものに、自らの身を任せた。

 ふと耳の奥で、オルゴールのようなかすかな音色が、聞こえたような気がした。
***
「ジェフー、ダメじゃない、そんな遠くに行っちゃ」
 また、いつかの記憶が蘇ってくる。ぼくはだんだん混乱してきていた。今まで思い出しもしなかったようなことがどんどん浮かび上がってきて、ぼくの頭に次々とのしかかってくる。頭がみしみしと痛む。そういえば、最近はずっとそうだ。ウィンターズの寄宿舎でポーラに呼びかけられたときから、ずっと。もしかしたら、この旅とはぼくの失われた記憶を捜し求める旅なのかも知れない。いつからかぽっかりと空いてしまった、ぼくのこの記憶を捜し求める旅。
「もう本当に、お母さん心配したんだから」
 声がする。ここはどこなのだろうと想像する。そうだ、どこかの原っぱだ。ウィンターズからちょっと遠出して、ピクニックにやってきたのだ。そばには一本の大樹があって、その木陰にピクニック・シートを敷いて、ぼくたちはそこにいる。葉のわずかなすきまから差し込む木漏れ日が揺れ、どこかで鳥が美しく鳴く声がする。
「ハハハハ、大丈夫だよ。なんたって、ジェフは男の子だもんな?」
 そう言われ、誰かに抱きかかえられる。そうだ、これはぼくの小さい頃の記憶だ。そして、ぼくを抱き上げた、この背の高い、メガネをかけた男性は、父さんだ。
「もう、あなたったら、そんなことばっかり」
「いいじゃないか」と父さんは振り向いて笑う。「元来、子供っていうのは、もっと好奇心の赴くままに冒険すべきだ。興味あることは、何だってチャレンジしていけばいい」
「まったくもう……」
 呆れたような、それでいてどこか楽しそうに、母さんはため息をつく。父さんはぼくを地面に下ろすと、自分もしゃがみこんで、「ようしジェフ、じゃああの森の方に行ってみるとしようか」と言う。ぼくは力強く、ワクワクした心持ちで頷く。母さんは「まぁ!」と言って、もう知らない!と息をついてシートの方に戻っていってしまった。父さんはそれを見てハハハと楽しそうに笑った。

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