「ん?」
 と、そいつは言って、こちらを振り向いた。
 全体的な面から見れば、その姿は例の嘔吐物スライムの形状とかなり一致していた。ただし、問題はその大きさだ。高さだけでもゆうに2mはあるだろうと思われ、その臭いたるやすさまじきものがあった。
「うっ……」と、後ろのネスは思わずうめき声を上げる。
「グエーップ! ふむ、お前がネスか」とそいつ――ゲップーは言い、やがて笑った。「そうか……ゴゲゴゲゴゲ」
「何が可笑しいっ?」とネスは言う。
「お前が、ギーグ様を倒すと予言があったらしいぞ」とゲップーは言う。「ゲハゲハゲハゲハ、笑わせるなぁ。こんなくそったれを、ギーグ様が少しでも恐れているとしたら……、世の中、鬼も悪魔もないものか……グヒヒヒヒヒ」
「予言、予言だって?」ぼくは耳を疑う。「一体何のことだ? ブンブーンが言ってた、あの『不思議な言い伝え』ってヤツか?」
「ブンブーン? さぁ、そんなのは知らねぇな」と、ゲップーはぼくの問いを跳ね除ける。「おれ様の言っているのは『知恵のリンゴ』のことだ……おっと。ちぃとしゃべりすぎちまったな」
「知恵のリンゴ……」
 おいおい、また聞いたことの無い単語が出てきたぞ。
「まぁいい」ゲップーはそう言うと、ぼくらの方に向き直る。「どの道お前らは生かしておけねぇからな。どうせおれ様を殺しに来たんだろう?」
 ゲップーがぼくらの方ににじり寄ってくる。ネスはリュックの中からバットを取り出して構え、ぼくとポーラはネスを縦にするように後ろへ退がる。
「おれ様が、今から最悪の戦いの中でお前らを始末してやる!」ゲップーは叫ぶ。「……グッグッグッグッ、へどまみれになって苦しめッ!!」
「来るぞっ!」
 ネスが叫ぶ。と、それと同時にゲップーはその巨大な口から大量の吐瀉物の洪水を勢いよく吐き出す。ぼくは思わず目を疑う。
「ち、散るんだみんなっ……!」
 ぼくがそう言って離脱したときにはネスはもう上空5mあたりのところまで超能力で飛び上がっており、一歩逃げ遅れたポーラは無残にもその吐瀉物の塊を頭からかぶった。「きゃああぁーっ!?」という叫び声と共に、ポーラがどろどろとした複雑な色の半個液体の中に沈む。
「ぽ、ポーラっ!?」
「ジェフ、はえみつだ!」ネスが叫ぶ。「はえみつでゲップーの気を引かせるんだ、あれはあいつらの大好物で、弱点だ!」
「く、くそっ!!」
 ぼくは部屋の端っこの方にたどり着くと、背負っていたリュックを下ろして中から黒色のとろりとした液体の入ったビンを取り出す。と、その様子に気付いたのか、ゲップーがこちらの方を振り返って目を丸くする。
「……そ、それは」
「そらっ、はえみつだぞっ!」
 ぼくはビンの蓋を思いっきり開け放つ。と、それと同時に中から生ゴミと肥料をかき混ぜて集積したような異様な臭いが漂ってきて、ぼくは思わず顔をしかめる。そしてゲップーのほうを見ると、その臭いだけでも相当に満足しているようで、思わず目の色を変える。
「……こ、こ、こっちにヨコセェェ!!!!」
「う、うわぁっ!?」
 ゲップーがものすごい勢いでこちらに飛び掛ってくる。ギリギリでその体当たりをなんとか転がりながらかわしたものの、ゲップーはそのままそのビンに飛びついて、その中の液体を恍惚とした表情でむしゃぶりついている。
「な、何なんだ一体……」
「――ジェフ、伏せろッ!!」
「えっ?」
 上空から声がした。
 ぼくが真上を見上げると、ネスが両手を顔の前でクロスさせて、しっかりと目を瞑りながら何事か念じている。よく見ると、そのクロスさせている両手になにやら電撃のようなものが走っているように見えた。
 え、ちょっと、何か放つ気なのか?
「P・Kぇっ……、キアイィッ!!!


 え、「キアイ」って何語? などと思った瞬間、ネスがクロスさせていた両手を振り上げ、ゲップーに向かって力いっぱい振り下ろした。と、ネスの手から空間が歪むほどの強力な重力波が発せられ、辺り一体を地面が揺らぐほどの衝撃が襲った。
「うわぁぁっ!?」
 ひどい地面の揺れの中で、ぼくはその場に伏せて思わずぎゅっと目を瞑った。胃の中に直接響いてくるような断末魔の声が聞こえ、ちらりとゲップーの方へと目をやると、ゲップーの体の粘液の部分がバリバリバリバリと物凄い勢いで削られているのが見えた。
 これがネスの本領発揮。とっておきの必殺技、PKキアイ。
「グブブブブ、フ、フ、フザケルナァッ!!!」
「うわわわっ!?」
 ネスがその得体の知れない声に驚く。と、なんとゲップーにのしかかっていた重力の渦を、ゲップーが自分の力で押しかえして、ネスの方に向けて跳ね返した。
「え、ちょっ、待ッ――、うわぁぁああぁぁ!?」
 バチバチン! と、電撃のようなものが走ったような音がしたかと思うと、しばらくして地響きが止み、ぼくのすぐ近くに何かが頭上からドサッと音を立てて落ちてきた。重力波のはね返しを受けてボロボロになってしまったネスだった。
「ネス!?」
「痛……ッ」ネスは呻きながら起き上がろうとして、痛みに襲われてまたドサリと倒れこむ。ぼくが立ち上がって駆け寄ると、ネスはぼくの顔を見て言った。
「ジェフ、まずい。ダメだ逃げろ」
「無理だよ!! そんなこと言ったって、2人を置いたままじゃ……」
 あれ、2人。
 そうだあともう1人、ポーラはどうしたんだ? と思ってぼくは周りを見渡す。と、一番最初にかけられた大量の吐瀉物の中からポコポコと小さく泡が立っているのが見えた。うわっ、ヤバい、このまま放っておくとどうなるか分かったもんじゃない。
「ゼェッ、ゼェッ、くそ、思ったよりやりやがるな……」ゲップーは、こちら同じくズタボロになった体を引きずって、ニヤリと笑いながらこちらの方に近づいてくる。「……グブブブブ、さぁ、あとはお前1人だな、非力な人間のガキよ。さっきから見たところによると、お前は超能力が使えないんだろう? ハッ、いい気味じゃねえか。もし恨むんとしたら、俺様ではなくこのゲップー様に逆らった自分のほうを恨むんだな、ボウズ」
「……恨む? 恨むだって?」ぼくは精一杯の勇気を振りしぼってそう答える。「ぼくはそんなことはしないさ。まだ負けると決まったわけじゃないのに、それで死んだ後のことを考えるなんて馬鹿げてるだろ? そうじゃないか」
「何が言いたい」
 ゲップーはこちらの方をじっと睨む。ぼくはニヤリと笑いながら、ポケットからそっとライターを取り出し、リュックからあらかじめ出ていた「紐状のもの」に、つまり、導火線に、火をつけた。
「なっ……!?」
 ゲップーが叫ぶ。ぼくは思いっきり頭を下げて床に伏せ、リュックの口の部分をしっかりとゲップーを狙って、向かわせた。
 そして、これがぼくの本領発揮。
 とっておきの必殺兵器、どせいさんの村のガラクタ置き場のスクラップと火薬で作った、急ごしらえだけど威力は天下一品の、ぼくの自信作。
 ――ガウス先輩、ぼく、ようやく「積極的」になれたような気がします。
「行けッ、ペンシル・ロケットッ!!!」
 耳を塞ぐ。
 頭上スレスレを弾よりも早い速度で、ミサイルがリュックから飛び出した。

BACK MENU NEXT