どこからか透んだ綺麗な歌声が聞こえた気がして、小さなぼくは目を覚ました。まだメガネをかけていない時のぼく。まだ幼かったぼく。
 ぼくはぼーっとしながら、ごろごろと寝返りを打った。そうしているうちに、そういえばお腹がひどく減っていることに気付く。ぼくは自分の体に掛けられた毛布からのそのそと這い出ると、体を起こしてベッドの上から静かに周りを見回した。クリーム色の壁、古びた玩具箱、茶色いフローリングの床、静かに動く電気ストーブ、パステルカラーの毛布。どうやら、この部屋にはぼくしかいないようだった。
 部屋の中にひとつだけある窓からは、音が聞こえるほどの強い雨が、暗い闇の中で打ちつけていた。そのまま雨が雪に変わらないかな、とほのかに期待しながら、そっと部屋を出て一階へと続く階段を下りる。
「おかあさーん、おなかすいたー」
 返事は無い。ぼくは一階の廊下を歩き、母親の姿を探す。父は長い出張に出ていて家にはいない。最低クリスマスまでには帰ってくることになっていたが、ぼくは母とふたりで静かに父の帰りを待っているのだ。
 居間へと続くドアを、静かに開ける。
「お母さん?」
 ふと、居間に飾られているクリスマスツリーが倒れているのに気付く。おかしいなと想いながら視線を横へ移動させると、庭へと続く居間の窓が半分くらい開いていた。カーテンが強風によってものすごい勢いではためき、床のグレーのカーペットが降りしきる雨に濡れていた。
「……?」
 違和感に気付く。
 血の香りが、した。
「お母さん?」
「――ジェフっ!?」
 何処からか、母さんの声がする。台所からだ。ぼくの足は、自然にそっちへと向かう。
「ジェフ、こっちに来ちゃだめ!!」
 母さんの悲鳴にも近い声が聞こえた。でも、もう遅かった。
 ぼくは、台所へと視線を移


 ――


 母さんは、血で染まった赤い服を着て、赤い水たまりの中に寝転んでいた。
 そして、母さんの前に、黒い男が、立っていた。
「…クックックックックッ……」
 何が可笑しいのか、そいつは急にその場で笑い出す。
 足が動かない。
 目がそらせない。
 息が、出来ない。
「……やぁ、ジェフ」と、振り向いてそいつは言う。どこかで聞いたような声だ。
 そいつの手には、赤く染められた包丁が握られている。

 お前が。
 お前が?

「どうしたんだい? そーんなところにボーっと突っ立って」
 そいつはにやりと笑い、ギュッと靴を鳴らしながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 お前が。
 お前だったのか?
 お前が、お前が殺したのか?

 そいつの赤い目が、ぼくを妖しく見つめる。
 耳まで裂けるくらいまでに微笑むと、右手に持つ包丁を振りかぶる。

 お前が、
 お前が、
 お前が、お前だったのか!!!!!
***
「……」
 ぼくは、目を開けて天井を見つめていた。
 何故か肩で息をしており、服は汗でびっしょりと濡れている。
「――夢、だったのか……」
 だるい体を起こしながら、ふと横に目をやると、並んだベッドにポーラとネスが静かに寝息を立てていた。そういえばぼくもベッドに寝ていることに気付く。ていうか何でぼくはベッドに寝ているんだっけ? ていうか、ここはどこの部屋のベッドなんだ?
 あ、そうか、と思う。遠くのほうにあった記憶が、ゆっくりと戻ってくる。そうだ、ゾンビたちのアジトを探索していたら変な洞窟があって、そこに入っていったらなんかどせいさんとかいう生き物に出会って、それで、そのままどせいさんの村へと招待されて、彼らはゾンビたちの居場所のありかを知っているらしくて、明日やつらのところに案内してあげよう、ということになっていたのだ。そう、やつらの本拠地には、どうやらどせいさんの仲間も数名捕らえられているらしいのだ。
「うっ、や、ばい、気持ち悪ぃ……」
 ひどく吐き気がした。額にかかる髪をかき分けて、深く深く息をする。何か、変に悪い夢を見た気がする。どす黒くて、歪んでいて、心が掻きむしられるような、悪夢。
 ――たぶん、疲れているのだろう。
 時計を見ると、午前三時。
 ぼくはベッドから這い出ると、ぐっすりと眠っているネスとポーラを横目に、そっと外へと出て行った。




 夏の夜風が肌に心地いい。涼しげで穏やかな流れに、髪がたなびく。
 どせいさんの村の宿屋は、村を囲む崖に生えている(という表現が一番適切な気がする)家々の中のひとつだった。ぼくは静かにそこに腰を下ろし、崖の上から村を一望してみた。いい眺めだ。
 ふと空を見上げると、大きな月と、その周りに輝く星々が見えた。もうすぐ、満月のようだった。
 ぼくは、そっと目を閉じる。そして、スリークであった出来事の事を思い出す。
 炎に包まれる化けテントの姿が、瞼の裏に焼きついていた。耳の奥に残る断末魔の叫び。音を立てて倒れこみ、さらに燃えさかる炎。
 ……このままじゃダメなんだ、と分かっている。
 このままでは、このまま彼らに頼っているだけではダメだ、と思う。このままだと、ぼくの存在意義なんてこれっぽっちもなくなってしまう、ということは目に見えていた。ただスカイウォーカーでやってきて、彼らの捕まっている牢屋の鍵を開けただけ、それだけだ。
 ぼくの周りで、そしてぼくの中で、何かが、動いている気がする。
 何なのかまではよく分からない。ただ漠然とした、つかみ所のないものだ。だけど、だけどぼくの見えないところで確実に何かが動いている、そんな気がした。ぼくはただ翻弄されるままに流れに身を任せているだけで、それに気付かないのだ。そう思う。
 まったく、わけが分からなかった。


「――ジェフ?」
「……わわっ!?」
 急に、後ろから声がした。驚きのあまり、思わず体が跳ね上がった。
 あわてて後ろを振り向くと、


 そこに、ポーラが立っていた。

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