Chapter 4  生きていない人間

 昔の事を、思い出していた。
 赤い帽子の少年や金髪の少女に出会う、もっともっと昔の話。
「ねぇ、ジェフ」
「ん?」
 隣の机で頬杖をついていたトニーが、不意にぼくに訊ねた。
「なんだい?」
「ジェフはさぁ、どうしてここに入ったの?」
 時計の針は11時をまわっている。ぼくは、ひとり自分の机で、明日の授業の予習にいそしんでいた。夜の闇が広がる窓の外に、ちらちらと吹雪く雪が映っていた。
 これは、一体いつの記憶だっただろう。
「どうして、って?」
「え、いや、だからぁ……」とトニーは言う。「どうしてジェフは、こんな学校に苦労して入学して、つまんない寄宿舎なんかに閉じ込められて、それでもせっせと勉強しよう、っていう気になるのさ?」
「……」
 少し、考える。
「じゃあ、トニーこそ、どうしてここに入学したんだい?」
「えっ? えぇっと、いや、それは……」と、トニーは一瞬口ごもる。「……パパが、そう言ったから」
「あれ、自分の意思で入学したんじゃないんだ?」
「え、うん。ていうか、当たり前じゃないか」とトニーは答える。「そんな小さい頃なんて『勉強したい!』っていう気なんて起こるわけないし、だから気が付いたら塾に入れられてたし、それでなんとなく頑張って勉強して、それで……」
「ふぅん……」とぼくは相槌を打つ。「そうだね、多分、それが原因なんじゃないかな。君がそう思うのは」
「へ?」
「なんとなく回りに流されて、なんとなく時を過ごしているうちに、突然新しい環境に放り込まれて、どこを見渡しても戸惑うことばかりで、それで、そのうちに疑問に思ってしまうんだろうね。『ぼくは、なんでこんな所にいるんだろう?』、『ぼくには、もっと他に本当に進むべき道があったんじゃないのか?』、『周りにいつも流されていて、こんなにちっぽけなぼくが、ここに存在している意味って一体、何なんだろう?』、っとかね」
「……そうなのかなぁ」
「なんてったって、そう、思春期だからね」とぼくは苦笑する。「そういう風に思ったりするのは君が悪いわけじゃないよ。一種の通過儀礼、生理現象と考えていいと思うよ。こういう時期には、結構よくあることさ」
「うぅん、でもなぁ……」と、トニーは机に自分のあごを乗っけて、うぅーんと唸る。
「そういうときは、やっぱり他に熱中することを見つけるのが一番だと思うよ」と、ぼくはトニーにアドバイスする。「まぁ現実逃避って言っちゃえばそれまでだけど、そういう問いってのは答えなんて出ないものだからね。まずはあせらずに、のんびりと構えるのが重要なんじゃないかな」
「うーん、そっかぁ……」とトニーはため息をつく。「なぁんかカッコいいなぁ、ジェフ」
「……なんだよいきなり」
「なーんかさ。達観してるっていうか、悟ってるっていうか」とトニーはぼくに向かって呟く。「そういうのがすらすら出て来るのって、なんか憧れちゃうよ」
「そんな大層なもんでもないさ」とぼくは笑う。「さぁて、そろそろ疲れたし、今日はもう寝るかな」
「うん、そだね」
 机の上の教科書類を整理したあと、スタンドのライトを消して、ぼくは自分のベッドにもぐりこんだ。トニーも部屋の電気を消したあと、反対側のもうひとつのベッドにもぐる。部屋の中の沈黙と闇とが妙な具合に混ざり合い、軽い耳鳴りがした。窓の外では、吹雪の音がますます強くなったような気がした。
「……ねぇ、ジェフ」
 ふと、トニーの声がした。
「なんだい?」
「結局さっき流されちゃったけど、どうして、ジェフはここに入学したの?」
「ぼくか」
 トニーは頷いた、ように、感じた。
 ぼくは、ひとまずそっとため息をつく。
「……なんだったかなぁ」とぼくは言う。「まぁ少なくとも、ぼくの場合は親とかに勝手に進められて入学したわけではなかったよ。両親は案外そういうのには無頓着だったし、むしろ逆に、のびのびと元気に育ってほしいとか言ってた気がするし」
「あれ、じゃあ、自分の意思で入ったんだ?」
「そうなるねぇ」とぼくは頷く。「そう。そうなんだ。そうなんだけど……」
「けど?」
「さっきから思い出そうとしてるんだけど、『何で入りたいと思ったのか』ってのがイマイチ思い出せないんだよね」と、ぼくは呟くようにそう言う。「何でだろう、記憶喪失かな?」
「き、記憶喪失って……」とトニーは苦笑した。


 ぼくの頭の中は、きっとどこかぽっかりと穴が開いているんじゃないかと思う。思い出すことのできる記憶は鮮明なのに、その肝心な部分はさっぱりと抜け落ちていて、その部分はまったくと言っていいほどに思い出すことができない。無理に思い出そうとすると頭痛と吐き気がやってくるし、だからぼくは、そういった昔の事はあまり思い出さないようにしている。


 ぼくは、いつからこんなに、おかしくなってしまったのだろう?

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