また同じ夢だ、と思う。
 ぼくは母さんの腕の中に抱かれている。ぼくは顔を上げる。そこには母さんの顔がある。眼を瞑り、静かに眠っているような表情をしている。でも呼吸の音は聞こえない。母さんの胸に耳を押し付けても、心臓の音は全く聞こえない。ぼくは、深い深い闇の中にいることに気付く。
 ふと、空気の流れが変わる。
「だれか、いるの?」
 まわりを見回す。周りは真っ暗な完全なる闇で、そこには誰の姿も見えない。いつになっても、いつまでたってもそこは暗い闇なのだろうと思う。いや、違う。それは別の場所の話だ。
 雨の音がする。外では雨が降っているのだろうと想像する。どこかの窓が開いているのだ。
 ギュッ、と靴の音がする。ぼくはその音に反応して顔を上げる。

 ――そこには、黒い男が、立っていた。
***
「……!!!!!!!」
 驚いて目を覚ました。
「あれ、ジェフ? 起きたの?」
「え」
 ベッドの横の机で荷物の整理をしていたネスが、飛び起きたぼくの顔を不思議そうに覗き込んでいる。
「なんか悪い夢でも見た?」
「――いや、なんでもないよ」
 ぼくは、汗で濡れた額を袖でぬぐった。最悪だ。


 あれからまた一日経った。例の『ゾンビホイホイ』なるものを大型テントの中に設置し、ぼく達や一般市民の人々は別の施設に避難することになった。
 またテントのほうへ戻ってみると、入り口の方に何やら人だかりが出来ていた。
「どうしたんですか?」
 人ごみの中の1人のおじさんに向かって話しかける。
「やったぞ、あんた、テントの中を見たかい?!」とそのおじさんは言う。「思い知ったか、ゾンビどもめ!」
 その言葉にそそのかされて、テントの中を背伸びをして覗き込む。
 テント室内の一面に、スリークの人口全体を大きく上回るのではないかという数のゾンビたちが、床に所狭しと並んでいた。床のゾンビホイホイが体にくっついて、むやみに身動きが取れないらしかった。中からは、ものすごい異臭がした。
「うわ……」
「中、どうなってるの?」と横のポーラが聞く。
「うん、なんていうか……、ひどいよ」とぼくは答える。
「そうよね、坊やの言う通りよ」と、横の通りすがりの30代くらいの女性が頷く。
「え?」
「こういう言い方は誤解をされそうだけど、なんかゾンビもかわいそうね」
「……」
 ぼくは黙る。
「――だよね、死体たちはただギーグの力で操られていただけで、なにも悪くは無いんだもんね……」
 ポーラが淋しそうに呟いた。


 結局のところ、ぼくは何をしたんだろう?と、ゾンビたちの群れを見ながら思う。超能力も使えないし、勇気も、優しさも、強さもない。最初の威勢のよさだけしかなく、実際に対峙してみると何も出来やしない。
 ぼくは、自分の右腕に目をやる。細く弱々しい腕。今にもぽきりと折れてしまいそうな腕。非力な腕。そうだ、とぼくは思う。あの時感じた複雑な気持ちは、おそらくこれじゃないかと思う。
 『ひょっとしたら、ぼくはこんなところに本当はいちゃいけないんじゃないか』、という不安。
 ぼくがここにいるのは、実は誰かのちょっとした手違いで、本当はもっと強くて勇敢な誰かがぼくの代わりに選ばれていたはずだったんじゃないか、と。そして、その手違いによって、たまたまぼくがその『世界を救う』人間に選ばれてしまっただけなんじゃないか、と。
『……ククク、そうさジェフ』
 どこからか声がした。聞き覚えのある、よく通るボーイソプラノの声。
『君は、こんなところにいてはいけない人間なんだよ』とその声はぼくに語りかける。『そう。それだけ、君が背負っている罪は重すぎる。あまりにも重すぎるんだ』
「(罪? 罪って?)」
『そう――罪、さ』と彼はそう言って、クスクスと笑う。『君がいるべき場所はここじゃない。罪人である君がいるべきは、彼らが暮らす街ではなく、そう――“牢獄”だ』
 牢獄。
 罪人がいるべき本当の居場所。
「(何を言ってる?)」
『分からないのかい? そうか、分からないかもしれないね。だけど、いつかきっと分かる日が来るさ。クク……クククク……』と言って、彼は高らかに、そして嘲るように笑い出す。『クククククク、クククハハハハハハハ……!!』
「(黙れ)」
 そんなの冤罪だ。それ以上、その耳障りな声をぼくに聞かせるな。
 そう思いながら、ぼくは目を閉じる。そして黙って闇の中に身を任せた。


 目を閉じても、その声はまだ止む気配はなかった。
 ぼくは、今すぐにでも夢が始まってしまえばいいのに、と思う。夢が始まって、この胸を真ん中からえぐるような声がぼくの耳に届かなくなってしまえばいい、と思う。でも、いつまでたっても夢は始まらない。高笑いはやがて耳鳴りとなり、ぼくの頭に突き刺さる。
 ぼくは、その高い耳鳴りに必死に耐えながら、終わらない夢が始まるのを、いつまでも、いつまでも、待ち続けていた。
――第4部へ続く

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