ロッカールームで細かい身支度を整えると、ぼくとトニーは、寄宿舎の固く閉ざされた門の前で、二人で並んで立っていた。冷たい風が吹きつけて、ぼくらは思わず首をすくませた。門は2m強はありそうな鉄製の格子扉で、長い鎖で二つの扉がぐるぐる巻きされ、番号合わせ制の大きな錠前で、硬く固定されていた。
「カギマシンは使わないの?」とトニーが訊ねた。
「ダメなんだよ、トニー」とぼくは、その大きな錠前を観察しながら答えた。「これは、番号を合わせると開くようになっている仕組みの錠前だから、鍵穴がなくてカギマシンが入れられないんだ」
 『ちょっとカギマシン』は、ちょっとしたカギしか開けられないのだ。ぼくは試しに、鉄格子をガシャガシャとゆさぶってみた。しかし扉はビクともしなかった。
「うーん」とぼくは唸る。「開かないとなると、飛び越えるしかないんだけど、それにしても身長の問題がなぁ」
「ねぇ、ジェフ」
 トニーがポツリと言う。
「なんだい、トニー」
「……」
 また黙り込む。
「どうしたんだよ、トニー」とぼくは言った。トニーの口から出てくる言葉を、半ば予想しながら。「さっきからずっと何か言いたげじゃないか」
「……もう、やめようぜ」
 トニーは呟いた。
 あぁ、とぼくは思う。
「何言ってるんだよ、トニー」とぼくは答える。「今更そんなこと言ってもしょうがないだろ。君は、ぼくを黙って見送るってさっき言ったじゃないか。それに、感じ的にはちょっとそこまで確かめてくる程度だし、必ず帰ってくるから大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ!」
 トニーが泣きそうな声で呟いた。
「真夜中に、いきなり何を言ったかと思ったら、なんでこんなことになるんだよ。南って言ったってぜんぜん見当もなにもついてないし……そうだよ、外にはタッシーとかビッグフットだってうようよしてるかもしれないんだよ、無茶だよ、危険だよ」
「タッシーって……」ぼくは少し困ってしまう。「そんなのいるわけないじゃないか、トニー」
「違う。僕の言いたいことは、僕の言いたいことはそんなことじゃないんだ」
 トニーは声を張り上げる。
「今日のジェフ、なんか変だよ! 外に出るなんて、今までにそんなこと一度だって言わなかったじゃない。ジェフだけじゃないよ、なんでガウス先輩も、仲間がどこかに行こうとしても平気な顔してるんだよ?」
 トニーは必死になってぼくに訴える。目にはうっすらと涙さえ浮かび始めている。
「……トニー、あのさ」
「ジェフ、僕は、君と別れたくないんだよ」と、トニーはぼくの言葉をさえぎって言う。それからぼくの手を、両手でしっかりと握る。「今ここで君の手を放してしまったら、君にもう二度と会えないような、そんな気がするんだよ」
 不意に、ぼくは気が付く。トニーはぼくと同じように、“ぼくがもうここへはそう簡単に帰ってこられない”ということをどこかで感じ取っている。決してみんなが変なんじゃなく、これはきっと運命なんだということを、ずっと昔からあらかじめ決まっていたことなんだということを気付いている。
「そんな、そんなことないさ」
「――じゃあ! じゃあジェフは、僕と別れるのが悲しくないのかい?!」
 怒鳴られる。
 ぼくは答えない。
「……ときどき、僕は怖くなるときがあるんだ」と、トニーは呟いて言った。「ジェフは僕に、いや、今まで出会ってきたひとびとに、本当に心を開いたことがあるかい? 自分のありのままの気持ちを話せる人間っているのかい?」
 ぼくは、
 ぼくは、
 ぼくは答えない。

 そう、君は答えられない。君には答える資格なんてない。

「……分かってるよ。答えてくれないってことは」
 トニーは首を振ってそう言った。ぼくたちが黙ると、あたりは急に静かになった。
 やがて、トニーは扉の前にしゃがみこむ。
「さぁ、僕を踏み台にして、このフェンスをよじ登るんだ」とトニーは言う。「とりあえず……さよなら。君がどこへ行くのか、何をしに行くのかしらないけど、僕らずっと親友だぜ」
 ぼくは黙って、トニーの言うとおりに靴で彼の背中に乗って、そのまま扉の一番上に手を掛ける。そのまま、足のジャンプと腕の力を使って体を持ち上げる。扉の鉄格子の上に足が届き、そのまま門の上に馬乗りになる。ひとまずため息をついて、それから一気に飛び降りる。
 着地。
 地面の感触を味わってから、やがて振り返る。
 鉄格子の向こうに、トニーがいた。顔をまっかに火照らせて、下を向きながら前髪をボリボリと掻く。赤い前髪が風に揺れている。トニーはまっすぐに向き直ると、ぼくの目をしっかりと見、ぎこちなさそうに微笑む。
 だからぼくも、そっと微笑み返した。
――第2部へ続く

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