MOTHER'S CHILDREN 9
「ロイド、大丈夫?」「全然大丈夫じゃないかも……」 マジで素直に痛かった。 あのあと、僕たちは赤帽子の命令でまた一番最初の部屋に戻され、監禁されていた(戻る時にグレーに引きずられたときはさすがに死ぬかと思った)。日はもうとっくに落ち、時刻はもうそろそろ夜の10時をまわろうとしていた。 「あぁやばい、情けなさすぎて泣けてくるよ……」 「そんな、そんなことないわよ」と、アナは僕を元気付けるように言った。「ロイドは本当によくやったわ。私だったら、きっとあそこでもう降参しちゃってた。偉いわ、本当に」 「あぁ、ありがとう……」 いやまぁ、本当はあまりの激痛で返事すら出来なかっただけなんだけど。 でも、とりあえず冗談が言えるくらいに感情が戻ったのは何よりだと思った。僕たちはこれから、さらに次にやらなければいけない事について考えなければいけないのだから。 「でも、これからどうするの?」とアナが僕に尋ねた。「このままだと私たち絶対殺されちゃうわ。なんとかしないと……」 「あぁ、そうだね」と、僕も素直に頷く。 しかし、それにしてもケビンの言っていた「誘い」だとか「猶予」っていうのはこのことだったのか、と思う。了解了解。しかしケビン、いくらなんでも「他のものを全部かなぐり捨てても惹かれるような誘い」っていうのはヤバいんじゃないのか。なに惹かれてんだよ。っていうか「まわりに多大な犠牲が」って、そもそも犠牲とかそういう問題じゃねぇよ。終わるじゃん世界。あぁ、なんだかんだ言って脳味噌足りてないよ……。 と、そのとき、不意に鉄の扉がゴンゴンとノックされた。 「おい、飯だ。入るぞ」 グレーだった。 彼は部屋の中に入ってくると、後ろ手に扉を閉めつつ持っていたメガドナルド・ハンバーガーのでっかい袋をこっちに放り投げた。ビバ肥満大国アメリカって感じ。 「……あ」 「どうした」 「手が動かなくて食えません隊長」 「俺は隊長じゃねぇし、自分で何とかしろ」グレーは冷たく言い放って、ドアの前に座り込む。「ほら、そこにいる女にでも手伝ってもらえばいいだろ。手はなくても口はあるんだから」 『女』発言にアナは一瞬ムッとしたが、今はそんな事でをいちいちカッカしている場合ではないと思ったのか、紙袋の中から適当にフライドポテトを取り出して、「食べられる?」と僕に食べさせてくれた。 「はい、あーん」 「あーん……もぐもぐ」 うむ、なかなかに美味。 「……あぁ、打倒ギーグの旅をしてるときは、一生に一度こういうことしてくれればいいなぁって思ったものだったけど、まさかこんな形で達成されるとは……」 「ちょ、ロイド、泣いてるの?」 「泣いてませんっ!」 だめだ、情けなさすぎて何気にテンション高すぎる。 あぁ、でもお腹は本当に満たされてくよ。生きてた中でこんなにハンバーガーが美味いと思ったこともそうそうない。 「……なぁ」 と。 今まで黙っていたグレーが、ふと口を開いた。 「何?」 「怒ったか? あいつの言ったこと」 「そりゃ、あれでキレない奴はそうそういないと思うよ」 「……そうか」 グレーは腕を組み、静かに目を瞑った。 ん、なんか思わせぶり。 「……正直、あれはさすがにやり過ぎたなとは思ってる」と、グレーはトーンを落とした声で言った。「そりゃ謝って済む問題なんかじゃねぇが……まぁ、ひとまず仕方ないと思ってやってくれ」 「どういうこと?」 「あいつは、社会から捨てられた子供なんだよ」 グレーはため息をつき、扉にもたれてふと天井を見上げた。 生まれて1ヶ月で普通の子供と同じくらいの会話能力を身に付けた、とグレーは語り始める。しかもそれと同じ時期に例のあの能力の兆候が現れはじめていて、遠くのものを引き寄せたりスプーンを曲げたりなんかを普通にやってのけた。そのせいで、赤帽子を電車の駅の公衆トイレで生んでしまった19歳の女子大生の母親は、恐怖のあまり彼女を押入れに閉じ込めて封をして、そのうえ3日間食事を与えなかった。夫は酒を飲んだ成り行きでやってしまったどこかの知らないオヤジで、そいつはとっくのとうにトンズラしていたせいでその母親は一人暮らしだったから、育児能力は無いと判断され、その育てられていた赤ん坊は施設送りになった。 俺が赤帽子と知り合ったのはその時だ、グレーは言う。そう、ふたりは、施設の中で偶然めぐり会った『似たもの同士』だったのだ。 “特殊な能力を持っている”ということで知り合ったふたりは、それからすっかり意気投合し、いつもふたりで行動するようになったのだという。施設内で二人があからさまに浮いていたのも原因のひとつかもしれない。ともかく、そんな得体の知れない能力を持っているのを回りのやつらが知った時、それを黙って放っておくわけはなかったのだ。それは僕自身も身に沁みて分かっていることだった。 「彼女の能力がまだ不完全なのをいいことに、やつらは彼女を散々にいたぶった。肉体的にも、精神的にも、性的にもだ」 「……」 「そして、それがずっと続いたある日、ふいに彼女のリミッターが外れた。本当に“ふいに”だった。――俺が朝起きると、俺を除いた施設内の全員が、全身複雑骨折を起こして死んでいた。鴉の濡れ羽のように黒かった彼女の髪は白く変色して、酷く衰弱していた彼女を連れて俺はふたりで施設を脱走した」 「……」 僕たちは、何も言わなかった。 「だからって、それが彼女の免罪符になるとは思ってない。だけど、彼女はもう“止まらなくなってしまった”んだ。ストッパーはもうなくなってしまった。それはもうしょうがないことなんだ。逆らったらきっと俺だって殺されるし、もう誰も彼女を止められない。だから、だからせめて……彼女を、受け入れてやってくれ」 そう告げると、グレーはまるですべての言葉をもはや語りつくしてしまったかのように口を閉ざし、沈黙した。ポテトもハンバーガーもみんな冷めてしまっていた。 外には、今にも中になだれこんできそうな闇だけがある。月も、星さえも出ていない夜だった。 「……でもさ、グレー」 僕の言葉が沈黙を破った。 「僕の答えはもう決まってるんだ」 グレーもアナも、びっくりして僕の方を見た。僕は二人の反応を確認し、それから言う。 「ケビンにさ、言っちゃったんだよね。“その誘いがどんなものだったとしても、それが自分以外の人たちに迷惑をかけてしまうような結果になるとしたら、それは僕自身だけの問題じゃない”んだって。群れ合って馴れ合って、平気で誰かを傷つけるんだったら、僕は死ぬ事を選ぶよ。そんなことをするやつにはなりたくないから。決めたんだ」 「ロイド……」 アナが僕の名前を呟く。僕は頷いて、グレーのほうを見やる。 「それに、僕は、自分自身が救ったこの世界が、大好きだから。一度救った世界をもう一回壊されるなんて、いくらなんでも許さないんだからね」 僕は微笑む。 グレーは何も言わない。 「――だから、僕は誘いには乗らない」 「それが、お前の“答え”か」 僕はしっかりと頷く。 グレーは僕たちの方に視線を向けると、ゆっくりと立ち上がり、やがて静かに部屋を出て行った。 |