MOTHER'S CHILDREN  10





 朝起きたら、雪が降っていた。最近天気も曇りがちだったし、もしかしたら降るかも知れないなぁ、と思っていた矢先の出来事だった。窓の外でちらちらと舞う雪が、窓際の地面に少しだけ降り積もっていたのだ。その表面をそっと指で弄びながら、一体僕はこんなところで何をしているんだろうと思った。
「――で、考えの方は、まとまったのかな?」
 この寒い中、赤帽子はダッフルコートを脱いで、赤いパーカーと半ズボンの姿になっていた。テディが言っていた通りの格好だ。赤いハンチング帽はそのままに、赤帽子は例の赤ペンキでめちゃくちゃに塗られた部屋の椅子に腰掛けて、暇そうに足をぶらぶらとさせていた。彼女から少し離れた正面の場所に、僕とアナと、それを監視しているグレーがいる。
 僕は、答えなかった。
「んー、質問に答えてくれないと困るんだけどなっ?」赤帽子は、僕にそう言いながら首をかしげた。「ほらほら、いつまでもだんまりじゃロイド君もアレでしょ? あ、それともその沈黙はもしかして肯定の印と受け取って良いのかなっ?」
「……」
 僕は赤帽子の目だけを見て、そこに立っていた。
「答えろよ」
 赤帽子の声に一瞬怒気が混じる。が、僕は動じないようにする。少なくとも顔には出さないようにする。
「……」
「じゃあ何なんだい、僕の頼みを聞いてくれないってこと?」
「――いね」
「は?」
「寒いね、今日は」
 何を言ってるんだこいつは、と言う顔をする。
 僕は、部屋にある窓から外の雪を眺めている。赤帽子とは目を合わせないように。目を合わせたら悟られてしまうような気がするから。そうならないように、せめて自分の気だけは保っておかないといけないから。
「君も寒いだろ? ほら、雪も降ってるし」
「僕の質問に答えて欲しいんだけど」
「そういえば、これって今年はじめての雪だよね。ほら雪ってさ、降ったときって心がウキウキしない? 僕は小さい頃から冬は寒くて嫌いだったけど、雪は大好きだったなぁ。やっぱりなんだかんだ言って、雪が降ってるのを見てる時って心が楽しくなって、」
「いいかげんにしろっ!!」
 赤帽子がついに僕に向かって怒鳴る。
「雪なんてどうだっていいんだよ! ボクの誘いに乗るのか、乗らないのか! どっちかさっさと選べば良いんだよこのバカ! いい加減にしないとその胴体が真っ二つになっちまうぞ! さぁ、さぁどっちだ、どっちなんだよっ!」
「……好きだ」
「はぁっ?」
「君のことが好きだ」


 ばきばきっ。


「……!!!!!」
 全身から激痛が襲ってくる。また涙で目の前がにじむ。体中が総毛立つ。
「いい加減にしろって言ったはずだよ」
「ほ……本当だっ!」と、痛みに耐えながら僕は叫ぶ。身動きするたびに更に痛みが増す。「本当に、本当に君のことを真に理解したいと思ったんだっ、できることなら、君の痛みを癒してあげたいって、そう思ったんだっ!」
「理解、だって?」
 反吐が出る、とでも言うかのように答える。
「はっ、理解だって、わかってやりたいだって?」赤帽子は吐き捨てるように言う。「そんなのキミなんかじゃ無理なんだよ。キミはボクじゃないし、ボクはキミじゃない。だから本当に相手の考えてることなんて理解できるはずないし、人と人とが本当に分かり合えるなんてありえないんだよ! 超能力で相手の頭の中が分かる、なんてくらいならともかく、」
「グレーから聞いたんだ。君の昔のこと」
 その瞬間、赤帽子の顔がピクリと動いた。
 グレーは、急に自分の話が出たせいで反応に困っているようだった。
「だから、分かるんだ。僕だって、僕だって同じ痛みを味わった身だから。だから分かる」
「そんなの、そんなのあるわけないだろうがっ!!」赤帽子は僕に叫ぶ。「その言葉に何度騙されたことかっ! みんな口だけだっ、本当はボクのことなんてただの可哀相な子供としか考えちゃいないんだっ! だからっ、ボクは、ボクは……!!」
「確かに、君はグレーの事を信頼してるかも知れない」僕は、間を置かずに続ける。「君の事をグレーは真に分かってくれていると、少なくとも君自身はそう思っているかも知れない。でも、じゃあ君の方はグレーのことを本当に分かってやれてるのかい?」
「――!?」
 赤帽子の顔が、一瞬だけ歪む。
 今、僕は彼女の禁忌に触れているのだと思う。
 グレーにふと目をやるが、彼は何も言ってこないようだった。
「彼、怖いんだって言ってた。君の側にいると確かに安心できるけど、その反面、いつ裏切られるか分からないから怖いって。いつ自分が殺されてしまうのか怖い、積み上げられていく死体の山は、次は自分が乗る番なんじゃないか、って」
「……本当なの?」
 赤帽子は、思わずグレーの方に目を向けた。
「そ、そんなの嘘だよねっ? グレー」赤帽子は、困惑を隠しきれない表情で、いかにも信じられないという風に訊ねる。「……こんなの、こいつがただでっち上げて言ってるだけなんだよね? ねぇ、ねぇ答えてよグレー、ねぇってば!」
 まるで、頼みの綱にすがるように。幼い子どもが母親に助けを求めるように。
 そしてグレーは、目を伏せた。
「……!!!」
 赤帽子は椅子から転げ落ち、地面にへたり込む。
「あ、あぁ、あぁぁ……っ!!」
「悲しいのかい?」
「く、来るなぁッ!」
 思わず近づいていこうとする僕に向かって、赤帽子が大声を張り上げる。頭を抱えて、ぶるぶると震えながら地面に顔を伏せている。
「悲しいん、だよね。ひとりぼっちは、さびしいから」
「やめろぉっ!! 来るなッ!!」
 僕のメガネがものすごい衝撃で吹っ飛ぶ。でも体に変化はない。それは、今彼女は揺れているから。何を信じて、何を信じてはいけないのかが分からないから。だから、僕は歩き出すのをやめない。
「でも、人はひとりじゃ生きていけないよ」
「……」
「誰だって、ひとりになるのは寂しい。それはどうしようもないことだ。頭ではいくら分かっていても、それはどうしようもないことなんだ」
「やめて……やめてよぉ……」
「人はひとりじゃ生きてはいけない生き物なんだ。本当に強い人間なんてどこにもいない。みんな、みんな必ず誰かに依存して生きてるんだ」
「……」
「だから、だから君には、僕がそばにいる」
 そう言って、僕は彼女を優しく抱きしめる。包み込むように。
「あ――」
「君は、悪くない」
「えっ?」
「君は悪くない」
「……何?」
 僕は、彼女にやさしく語りかける。
「君は悪くないんだ」
「ちょっと、やめてよ」
「君は悪くない」
「何だよ、やめてってば……!」
 赤帽子が、だんだん涙声になっていくのが分かる。
「君は悪くない」
「やめてってば……、やめて……」
「君は悪くない」
「やめて、やめてよ、ボクに、ボクに優しくしないで……、お願い……」
「君は悪くない」
「あぁ、あぁっ、あぁぁ……」
 赤帽子から力が抜けていく。僕の胸に、彼女が体重をかけてくる。
「……うぅぅっ、うっ、あうっ、うっ、うぅっ、あぅっ……」
「君は悪くない」
「……うぅっ、あぅ、ひっく、あぅっ、あぅ、ひっく、うぅ、ううぅ……」
「大丈夫だよ」
 そして僕は、再び彼女をしっかりと抱きしめた。
「君は悪くないんだ」


……あぁ、あぁっ、いやあああぁぁあああああ!!!!!
 ――と。
 急に彼女に突き飛ばされたと思いきや、突如部屋中に突風のようなものが吹き荒れ、僕の体は凄い勢いで背面の壁に向かって吹っ飛ばされた。
「うわぁぁああっ!?」
 浮いた体が壁に激突する。体全体が悲鳴を上げる。
「きゃあああ!!」
「うおぉっ!?」
 アナもグレーも、信じられないという様子でその様子を見守っていた。
 突風の吹き荒れる中、赤帽子がその場でゆっくりと立ち上がった。
 彼女は、泣いていた。
「……こないで、入ってこないで、入ってこないで……!!!」
 彼女の銀の髪が、風に揺れてはためいている。
 ヤバいと思う。
 潮時だった。
 殺、される。
「やめて、やめて、入って、はいって、はいってこないでぇぇええええええ!!!!!」




 そのとき、閃光のような眩しい光が部屋中を包みこんだ。
「うわぁぁっ?!」
 衝撃音。
 殺されたのか、と一瞬思ったが、彼女はこんな力は使えないはずだと次の瞬間思い至る。見ると、部屋中は何故かもうもうとした煙に包まれており、赤帽子はその場で倒れこんでいる。赤帽子のすぐ近くの地面はなぜかクレーターのようなえぐられた傷跡があり、そして、
 僕の目の前に、誰かが立っていた。
「(誰だ?)」
「――ロイド、大丈夫か?」
 そいつは、僕に背中を向けたままでそう言った。そいつは青と黄色の横縞のシャツを着ており、下はただのデニムの半ズボンを履いて、首のところに無造作に赤いバンダナが巻かれている。手には何故かバットが握られており、短く切った黒い髪の頭に赤いベースボール・キャップをかぶっていた。
「……お、お前は!!」
「ちょっと手間取っちゃってさ。遅れてごめん」
 そいつは僕のほうを振り向き、はにかむようにして笑う。
 そうだ、いつだってそうだったのだ。
 彼はいつだって自分勝手で、周りのことなんてまるで気にせずに行動したり、こいつ一体何考えてるんだって思うようなことばっかりするやつだったけど、だけど、僕たちが本当にもう駄目だって思うときはいつだって、彼は笑いながら何食わぬ顔をして、
「――ただいま。」
 彼はそう言って。
 そして僕は、そいつの名前を呼んだ。


***



 人生において、最も幸せなこととは一体なんだろうか? その答えは僕には分からない。いや、それどころかどんな人だって「人生において一番幸せなこと」なんてのは分かるはずがないのだ。というかそもそもこんな問いに答えなんて存在しないし、たとえあったところで生きることに一生懸命な僕たちには分かるはずはないのだ。
 けれど。
 けれど、あいつの衝撃波に吹っ飛ばされた赤帽子のその表情は、今までで一番晴れやかだったように見えた。
 きっとそれは、彼女がその結末をどこかで望んでいたからではないだろうか?
 彼女が望んでいたのは、世界を一回破壊しつくし、もう一度新たなる世界を構築することだった。彼女が全身全霊のすべての憎悪でもって嫌っていたこの腐った世界に、自分自身が生きていることがそもそも彼女は心の底から憎かったのだ。しかし、その世界とやらから一番簡単に抜け出す方法は、世界を変えるのではなく逆に自分が「別の場所」へと移ることによって、その世界からいなくなってしまうことだったのだ。自分がこの世からいなくなってしまうこと、もしかしたらそれこそが、彼女の本当に望んでいた「幸せ」だったのかも知れない。
 でもそんな事は分からない。他人には本人の考えていることなんて分からないし、その逆もまたそうだろう。その人の感じた事はその人にしか分からないのだ。こんな考えは推測の中の推測、ただのたわ言に過ぎない。しかし、どちらにせよそれによって彼女が少しでも救われたのならば、僕はそれで充分だと思う。僕に出来る事はそれだけだったのだから。


 ――じゃあ、僕にとって大切なこと、僕にとって本当に幸せなこととは、一体何なんだろう?