MOTHER'S CHILDREN 8
重い鉄製の扉を開くと、そこはけっこう広いホールのようなところだった。さっき僕らが閉じ込められていた部屋のおよそ2,3倍の大きさの、広間。入った瞬間にまず目に入ってきたのは、コンクリートの床に赤いペンキで乱暴に描き殴られた「模様」だった。目のようなマークを囲むように、ぐるぐると渦が巻かれている。まるで魔方陣だった。四方の壁も天井も赤のペンキでめちゃくちゃに塗られ、血か何かが飛び散ったかのようだ。そして、その部屋の真ん中にポツンと椅子が置かれ、そこに誰かがうつむくようにして座っていた。 「――あれが、『赤い帽子』」 「あぁ」とグレーは頷く。 ダボダボとした赤いダッフルコートを着込み、見た目から判断するに、歳はやはりだいたい僕らと同じくらいだろう。そして、その『赤い帽子』の通り名通り、彼は赤い帽子をかぶっていた。しかし、それは厳密に言えば僕らが想像していたものとは別のものだった。 赤い、「ハンチング帽」だった。 「あれ?」 ハンチング帽? つばの付いたキャップではなく? そうか、そもそも『赤い帽子』と言われたところで、「じゃあその帽子はどんな帽子か」という一番大切なことを調べるのを失念していた。いくら「帽子」だからといってそれが「キャップ」でなはく「ハット」かもしれないという可能性を考えていなかったのだ。 彼じゃ、なかったのだ。 「……な、なんか、拍子抜け……」 「まぁ、当てが外れて良かったじゃない」 アナが後ろで静かに言った。まぁ安堵したのは少しはあったけど、でもこちらとしては彼に会ったら言ってやりたいことが山ほどあったのだ。何かどことなく裏切られた気分だった。いや物騒だとは思うけど。 しかし、僕がそうやって思っていた間も、赤帽子は微動だにしなかった。 「(なんだ? 本当に生きてるのか、こいつ)」 「おい、変なこと考えるもんじゃねぇ」と前にいたグレーが言った。「下手なこと言ったらぶち殺すからな、分かってんだろうな」 「――だいじょぶだよ、グレー」 急に、声がした。女の子のようなよく通る声だった。 赤帽子が、はじめて口を開いたのだ。 座っていた椅子からゆらりと立ち上がり、僕らの方に顔を向ける。 「おはようだよ、ロイド、それにアナ」 僕らの名前を呼び、静かに微笑んだ。 帽子の中から、また僕と同じ灰、いや銀色の髪が見える。 女の子だった。 「え、あ、おはよう」 「ちょっとロイド、何のんきに挨拶してるのよっ」 「あ、いや、だってさ」 そう言ったところで、ふと気が付く。 「……あれ、ちょっと待って。君いま、確かに僕らの名前呼んだよね。何で知ってるんだ?」 「ふふ、そんなの簡単さっ」赤帽子は無邪気に答える。「そんなに自覚はないかも知れないけど、キミたちってけっこう有名なんだよ。世界を救った英雄さん。その噂はちゃんとボクの耳にも届いてるよ」 「は、はぁ……」 「まったく――」 そして、そう言ってから、赤帽子は急に声のトーンを下げた。 「本当にいらない事をしてくれたもんだ」 ものすごい形相で、睨まれた。 「……!」 「ちょ、ちょっと!」と、そこでアナが口を挟んだ。「じゃあ、あなたたちは私たちがその世界を救った子供だと知ってて、それでわざとこんなとこまで連れてきたってことなの?」 「うん、そういうこと」と赤帽子は頷く。「それにそれだけじゃない。そこのロイド君が、あのケビンの親友だっていうこともひとつある」 「……なんだって?」 今なんか言ったぞ、コイツ。 「ちょっと待て、ケビンって、じゃあ君、」 「そうだよ」 シニカルに、笑う。 「君の親友のケビン君を傷つけて、骨を折って、ボロボロにして、“壊した”のはボクだ」 さらりと、告げる。 まるで、何気なく挨拶を交わすように。何の悪気も見せず、無邪気に。 こんな、こんなヤツに、ケビンは。 心の中に、むくむくと怒りがこみあげてくる。 「……壊した、だって?」 「うん、壊した」赤帽子は淡々と告げる。「……ケビンは身勝手がすぎたんだよね。僕の言う通りに従わなかった、だから壊した。言うことを聞かなかったから。あんな力だけのバカは、黙ってボクの命令だけ聞いてりゃいいのにね」 「――お前っ!!」 腕を縛られたまま、目の前の赤帽子に突進していく。 と、 「ぐあっ!?」 ズドン、と自分の足にものすごい重さがのしかかる。 思わず地面に這いつくばった。 「がっ、ぐぁ……っ!」 すごい力で上から押さえつけられているような感触。体がまったく動かせない。 「なんだ、金縛りっ……?」 「厳密には、念動力の応用だね」と言って、赤帽子は僕の目の前まで近づいてくる。「念動力っていうのは、平たく言ってしまえば“見えざる手”なんだ。その見えざる手を使って、例えば物を動かしたり、物をへし曲げたり、そうやって上から力をかけて、跪かせることもできる。さらに――」 そう言って赤帽子は僕をじっくりと舐め回すように見下ろすと、やがて僕にゆっくりと手をかざした。そのままゆっくりと手を天井へ向けて行く。と、それと同時に手の動きに重なるように、僕の体がだんだんと中に浮いていく。 「……!!」 「こうやって、宙に浮かせることもできる」 アナが、口に両手を当てて仰天している。 僕の体は、すぐに床から3mくらいの天井のてっぺんにたどり着いてしまった。 「……け、ケビンを侮辱するなっ! 取り消せ!」 「口の減らないヤツだね」 ふわっ、と。 急に、僕にかかっていた力が抜ける。 「うわっ!?」 そのまま、つき落とされた。 頭が、地面に叩きつけられる。 「あぐぁっ!!」 「ロイド!」 「おい、動くなって言ってんだろ」とグレー。 「やだっ、放してぇっ!!」 後ろからアナが叫ぶ声が聞こえる。しかし、PSIの力を封じられている彼女には抗う力はないのだ。 頭がズキズキと痛んだ。目に垂れてきた血で視界が霞んで見える。そうか、だからケビンの体には『どこか高いところから急に落下したような』あとの骨折が見つかったのだ。念動力っていうのは、アナ(そして、もちろんあいつ)なんかの使う“エネルギー放出型”のPSIとはそもそも根本的に違う。そうだ、もっと早く気が付くべきだったのだ。 喉からしぼり出すようにして、やっとこさ声を出す。 「くそっ、何が目的だ、お前……」 「アハハハ、なるほど。いい質問だ」赤帽子はあざ笑うようにして言う。「やっぱり普通に対話ができるってのはいい。じゃあ、さっそく本題のほうに入らせてもらうよ」 「本題?」 「あぁ」と赤帽子は頷く。「実は、ちょっとボクに協力して欲しいことがあるんだ。そのお誘いと考えてくれればいい」 誘い。 すべてをかなぐり捨ててまで、思わず乗ってしまいたくなるような、誘い。 何かが、僕の頭を掠めている。 嫌な予感がした。 嫌な、予感がした。 「――世界を滅亡させたいんだよ」 「……は、はぁ?」 あっけにとられた。 「言ってる意味がよく分かんないんだけど」 「別に、そのまんまの意味だよ」と、赤帽子は言う。「世界を滅ぼすための協力をして欲しいんだよ。この腐りきった世界を作り変えるための手伝いを、君たちにね」 そう言って、赤帽子はにやりと笑う。 狂ってる。 心の底からそう思った。 「意味分かんねぇっ! どうしてそんなこと!?」 「だーから、何度も言ってるでしょ?」やれやれ、という風に赤帽子はため息をつく。「ほとほと愛想が尽きたんだよ、この世界に。この世界は汚れている。腐ってる。腐りきっている。自分がこんな世界に住んでのうのうと暮らしているっていうだけで虫酸が走るね。だから、“壊して”やるんだ。そしてボクが新しく世界を作り直す」 「そんなの出来るわけないだろ!」 「できるさ。いや、やってみせる。ボクがね」赤帽子は鼻で笑って言う。「神様は、そのためにボクに力をくれたんだ。この素晴らしい力をね。神様もこんな世界にもういい加減うんざりしていて、それでボクに作り直すように頼んでるんだよ」 「バカじゃないのか、いかれてる! そんな意味分かんない事――」 ぼきっ。 左腕に激痛。 「ぎゃぁあぁあっ!!」 「あはははは、これで分かったでしょ?」と、赤帽子は僕の痛がり様を見て可笑しそうに笑う。「ボクは君の腕の骨なんか何の苦労もなしに折れるんだ。じゃあ、もしこれを今度は君の“首の骨”にやったらどうなるんだろうね? しかも一度に何千、何万もの人間に同時に行ったとしたら? ほら、考えるだけでもゾクゾクしてこない?」 「……狂ってる……狂ってる……!」 痛みに耐えられず、思わず涙が出た。嗚咽がこぼれる。それでも僕は赤帽子に向かって叫び続けた。そうすることで、いくらか痛みを紛らわすことができた。 「一晩猶予をあげるよ」と赤帽子は僕に囁いた。「明日また同じ質問をする。それでキミたちの最終的意見を聞かせてもらうんだよ。ボクたちの側に素直に協力するか、それともこの世界に住んでいる『その他大勢』と一緒に頭蓋骨をカチ割られてのたれ死ぬか。誰でも簡単に分かる質問だと思うけどねぇ……、ふふふふふっ」 そう言って、赤帽子は本当に楽しそうな笑みを浮かべて笑った。 |