MOTHER'S CHILDREN  6





 病院でテディと会った時に、一緒に入ったあの喫茶店だった。今日は休日だったので、窓の外の大通りには前よりもさらに大勢の人々が行き交っていた。エンジン音をたてて、勢いよく車が通りすぎていく。建物の間から見上げた空は灰色に濁って曇り、何か雨でも降ってきそうな勢いだった。
 アナは、僕の言葉に黙って耳を傾けていた。
「……」
「だから、その例の『赤い帽子の少年』っていうのが、もしかしたらあいつかも知れない」と僕は言った。「その、まだ自分の目で確かめてないからよく分からないけど、でも……」
「……なるほどね、そういうことだったの」
 アナはそう呟いてため息をつき、それから目をつぶって、静かに口を閉ざした。僕もそれにならって沈黙した。喫茶店の中は人もまばらで、ふと耳を澄ましてみると、誰かがコーヒーをすすったり、本のページをめくったりする音さえも聞こえてきそうだった。
「……うん。よし」
 ふとアナが、突然呟いた。
「え、何が?」
「行きましょ」とアナは言いながら、自分の席を立った。「そのケビンっていう友達に傷を負わせた犯人を、見つけ出すんでしょ?」
「えっ、で、でもいいの?」と僕は尋ねた。
「何が?」
「いや、なんていうかその、もしかしたら、あいつを警察に突き出す、とかいうことになるかも知れないし」
「だったらなおのことじゃない」
 アナは僕に向かって、しっかりと頷く。
「もし、その『赤い帽子の少年』が彼だったとしたら、私がぶん殴って目を覚まさせてやるわ。『あなた、こんなところで一体何してるの』って。それに――」とアナは続ける。「……それにロイドは、彼がそんなことする男の子じゃないってこと、一番よく分かってるはずでしょ?」
「……」
 そうか、そういう考え方もあったんだ、と思う
 「だからどうした」「なんとかなるでしょ」という、考え方。
 考えすぎだったのかもな、僕、と思う。
 少しばかり考えた後、ゆっくりと立ち上がる。
「うん、そうだね、行こう」僕も言う。「……どういうことになってしまうか分からないけど、でも、せめてぼく達ができる事をやってみよう」
「そうね」
 アナはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。


 そしてふと、その“彼”のことを思う。
 あいつは、あいつは周りのことなんてまるで気にせずに行動したり、こいつ一体何考えてるんだって思うようなことばっかりするやつだったけど、だけど。
 あいつの正義感とか誠実さは、とても見間違うことなんてないくらい、はっきりとまっすぐに存在していたのだ。そして、本当の本当にもう駄目だって思うときでも、いつだってあいつは笑って、何食わぬ顔をして僕たちを引っぱっていってしまうのだ。
 そう、あの時もそう――。

『なぁロイド、"世界"、救いに行きたくねぇか?』

 もしかして、彼を一番信用していなかったのは、僕だったんじゃないか?
 なんて恥ずかしい事を思っていたんだろうか、と。
 そう思う。
 肝心なところで頭悪いなぁ、つくづく。
「うん、そうだな」と僕は頷く。「……ありがとう、アナ」
「え、えっ?」
「ありがとう、って言ったんだ」
「え、あ、うん、どういたしまして……?」
 アナはなんだか分かっていない様子だった。そりゃそうだろう。

 そして、その次の瞬間――。



 巨大な、爆発音がした。



「…………は?」
 地面が、大きく揺れた。
「う、うわぁぁああぁっ!?!」
 椅子から立ち上がっていた僕たちは、思わず床に転倒した。
 揺れはすぐに収まったが、地響きのような低いうねりのような音はまだ続いていた。
「な、なに、なんなの!?」
「分かんないよ!」
 気を落ち着かせつつ、辺りを見回す。とりあえず喫茶店の中はどこも異常はないらしかったが、中にいた数少ない人たちはみな混乱しているようだった。中にはパニックになっている人もいる。テーブルの上の食器などは、ほとんどがさっきの揺れで床に落ちて割れていた。
「ロイド、見て!」
 アナが叫んで、その通りに窓の方に目を向ける。
「……うわっ、なんだあれ!?」
 通りを挟んだ向こうの建物から、大きな煙と火の手が上がっていた。
 さっきの音の原因は、恐らくこれだったのだろう。
 僕たちは、急いで喫茶店から飛び出した。
 通りにいた人々は、みんな叫び声を上げながら走って逃げ惑っていた。中には血を流して地面に倒れている人もいた。どこかで小さな子どもが、母親を求めて泣き声を上げていた。
 地獄絵図だ。
「もしかして、マザーズ・チルドレンかしら?」とアナが呟いた。
「まさか。そんな都合のいい話が……」と僕は答えた。「と、とりあえず行ってみよう」
「――ちょっと待って!」
 アナが、走り出そうとしていた僕を引き止めた。こめかみの辺りに手を当てて、何か念ずるようにして目を瞑っている。
 ――テレパシーを、使ってるのか?
「……アナ?」
「うん、こっちよ!」
 そう言って、アナは火の手とはまったく見当違いの方向に向かっていく。
「ちょ、アナ何処行くんだよ!?」
「いいからついてきて!!」
 ちっとも良くなかった。
「何なんだよ、一体……」
 そう言いつつも、アナの後を追って走り出す。
 アナは人ごみを掻き分け、細い脇道の方に向かおうとしているようだった。するすると人ごみの中を抜けて行くアナは目で追うのが精一杯で、気を抜いたらすぐに見失ってしまいそうだった。
 そういえば、さっきテレパシーをしていた相手は誰だったんだろう。よく分からないが、そのテレパシーとアナの向かっている先は果たして関係があるのだろうか。
 ということは、
 この先に、その相手がいるのか。
「誰なんだ……?」
 まさか、と思う。
 あいつが、あいつがいるのか?
「きゃああっ!!」
 声にはっとする。
 見ると、アナが手を引かれて、建物の隙間の裏路地の方に連れて行かれるところだった。
「あ、アナっ!」
 僕は叫んで、そちらのほうへ走りながら手を伸ばした。
 そして、その直後。


 どすん。


「――うぐっ!?」
 みぞおちに、鈍器で殴られたような衝撃がきた。
 腹の中に入っていたものをぶちまけてしまいそうな、衝撃。
 走っていた勢いで、その場に滑ってずっこけた。
 地面に転がり、這いつくばった。
 息ができない。
 吐き気がした。
 いそいで立ち上がろうとしたが、体にまるで力が入らなかった。
 ふと地面に影が落ちて、僕は真上を見上げた。
 誰かが、僕の顔を覗き込んでいた。
「(誰だ……?)」
 そう言おうとしたが、喉から言葉を吐き出すことが出来なかった。


 そして、そこで僕の意識は途切れた。





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