MOTHER'S CHILDREN  3





 机の上の両腕を枕にして、僕は今日の出来事を思い返していた。
『……その誘いってのはすごく惹かれる内容で、自分の今の状況とか、未来の夢とかそういうものを全部ぜーんぶかなぐり捨てたとしても惹かれるような、そんな内容で、だけどそれはものすごく危険なことでもあって、もしかしたら周りの人間にひどい迷惑をかけてしまうようなことで……』
 誘い。
 心惹かれるが、それには多大な犠牲がつきものである、誘い。
 彼は、一体何を言いたかったんだろう?
 彼自身、何かに誘われていたということなのか?
 だとしたら、一体何に?
『……そしたら、お前はどうする?お前だったら、その誘いに乗るか?』
 分からない。
 口ではああ言ってみたけれど、いざそんな状況に立たされてみると、ぼくは一体どういう行動を取るんだろう。もしその『誘い』の主が実力行使という強行手段に出たのなら、僕は多分間違いなく、怖ろしさのあまりしぶしぶその誘いに乗ってしまうだろう。僕がそういう弱い人間である事は、『あの戦い』で充分身に沁みてわかったことだった。
 いや、それは前から分かりきっていたことだったのだ。少なくとも僕が目を向けようともしなかっただけで。
「……」
 あいつは一体、どうするつもりなのだろう?その『誘い』とやらを、拒むのだろうか。それとも、受け入れるのだろうか。
 それは、本人に聞いてみないと分からないけれども。
「――……イド、ロイド?」
 不意にドアをノックする音が聞こえた。部屋の外から、母さんの呼びかける声がする。
「何?」
「今、ケビン君の家から電話があったんだけど、どこに行ったか知らないかって」
 ……何だって?
「いや、さっき『気が変わった』とか言って帰ってったじゃないか。母さんも知ってるだろ」
「そうよねぇ……。でも、おうちの人の話だと、朝学校に出かけてからまだ一度も帰ってないんですってよ」
「帰ってない?」
 耳を疑う。
「そうらしいの、だから心当たり無いかって……ってきゃっ!?ちょっとロイド!!」
 母さんの言葉を背中で聞きながら、コートの袖に片手を突っ込んで、急いで着込みつつ階段を下る。玄関でマフラーを巻くと、そのまま靴を履いて玄関の外へと飛び出した。
「うわ、寒っ……!」
 顔に勢いよく吹きつける風に、思わず身を縮こませる。でもそんなことも言っていられない。昼間のあいつの様子は普通じゃなかった。何か思いつめているというか、何かを決心しかかっているような。僕の勘がもし正しいのだとしたら、もしかしたら、あいつの身に何かあったのかも知れない。
「くそっ、まずは学校か!」
 急いで体の向きを変え、学校へと力いっぱい走り出す。頬が寒さで凍ってひりひりと痛い。でも歯を食いしばって走り出す。泣き言なんて言っていられる状況ではないのだ。



「いない……」
 校舎に入る扉や窓には、すべて鍵がかかっていた。灯かりも点いていないし、中庭や校庭を見回しても誰の姿もない。そりゃそもそもこんな寒い夜に、好き好んでこんなところに来る奴なんていない。
「くそっ!」僕は悪態をつく。「どこだ、あと、あいつの行きそうな場所……僕の家じゃないし、えぇっと……」
 そう言って、頭の中で必死に考えをめぐらせながら、僕はもう一度あたりを見回した。

 そして、それに気付いた。
 僕はなぜ最初の時にそれに気付かなかったんだろう。それは多分、『それ』が『僕が探しているもの』と根本的に異なっていたからだと思う。だから、目を凝らさないと僕の目の中に入ってこなかったのだ。そう、僕が探しているのはケビンという僕の友人であって、180cmの長身で髪は長めに伸ばされたブロンドで、キリリとした目に端正な顔立ちをした無鉄砲だけど優しくて芯の強い奴で、決して校庭の真ん中の地べたにごろりと転がって身動きひとつしていない何かでは無いはずなのだ。
「……ケビン?」
 返事は無い。
 ただの、しかばねのようだ。
「ケビン!!」
 僕は有り余っている全ての力を振り絞って、校庭の真ん中へと突っ走っていく。たどり着くと、そこには確かにケビンが、寒さにわずかに体を震わせながらそこに寝転がっていた。
「ケビン、おいケビン!しっかりしろ!」
「……ん、ぅあっ、痛っ!!」
 僕がケビンの肩を揺り動かすと、やがてケビンは目を覚ました。そして、とたんに顔を苦痛に歪ませる。
 そして、見る。
 両腕が、ありえない方向に曲がっていた。
「う、うわっ!? ど、どうしたんだよこれ!!」
「あ、う……、ろ、ロイドか」
「そうだよ、わかる?僕だよ。ロイドだよ!」
 僕が必死に答えると、ケビンはかすかに震えながら、今にもかすれそうな声で僕に話しかける。
「……ダメだ、ロイド、俺に、これ以上近づいちゃ、いけない」
「え、何だって? 待ってろ、今救急車を……!」
「落ち着け、ロイド!!」
 ケビンが急に怒鳴る。僕は反射的にビクッと体を震わせた。
「いいか、俺の言うことを落ち着いてよく聞くんだ。救急車はその後でいい。俺は大丈夫だから」
「で、でも……」
「よく聞け。お前はこの件に関して、絶対に首を突っ込むんじゃない」
 ケビンは冷静な口調で、僕に語りかけている。
「むやみに首を突っ込むと、やがて俺みたいなことになる。いや、俺だからまだ良かったが、お前みたいに関係ない奴が関わりだすと、もっと厄介なことになる。俺はやつらに『猶予』を与えられただけだ」
「やつら? 猶予ってどういうこと?」
「質問は、するな」
 ケビンは僕の言葉をさえぎる。
「俺はお前を巻き込ませたくないだけだ。じゃないと、下手するとお前、殺されるかもしれない。だから俺のことは心配するんじゃない。自分のことだけを考えるんだ。じゃないと、いつかお前のところにもやつらがやって来る。そう、やつら――


 ――マザーズ・チルドレンが」


 僕の知らないところで、得体の知れない何かが動いているんだ、と僕は思った。とてつもなく大きな何かが、見えないところでざわざわと蠢いているのだ。
 そう、その時、そんな気がしたのだ。




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