MOTHER'S CHILDREN  2





 ――『あの戦い』が終わって、もう2年経った。


 あの頃11歳だったぼくは13歳になり、もうすぐ14歳になる。中学校にも1年以上入ればもう慣れる。しかも二年生の時期ももう折り返し地点をとっくに過ぎた。
 あの戦いから帰ってきて、僕はあまりいじめられないようになった。何故なのかは僕にも分からない。それはきっと、あの旅で僕のどこかが良い方向に変わったということなのだろう。いや、それともただ単純に、僕が帰ってきたときに皆がそのことを気に留めすらしなくなっただけという酷い理由かもしれないし、ただもう僕を相手にするのも嫌になっただけかもしれない。それは分からない。でも、少なくとも結果的に事態は好転したのだ。
 中学校に上がってから、僕にひとりの友人が出来た。それがケビンだ。僕はわざわざ受験をして皆とは別の中学校に入学したので、はじめの頃は友人も知り合いも誰一人いなくて、これからどうしようと思いながらボーっとしていたときに、僕に話しかけてきたのがケビンだった。
『――お前ってさぁ、いっっつも空見てるよな。何で?』
 自分の友人との出会いなんていうものは、基本的に普通の人は覚えてはいない(少なくとも、あなたの周りにいる友人との最初の出会いがどうだったか、覚えていますか?)。でも、何故だか僕はきっちりと覚えている。それはきっと、彼が実は僕の親友ではない……というわけではなく、僕が実は神に選ばれた不思議な能力を使う人間だ……というわけでもなく、やはり彼が僕にとってもっともっと特別な存在だからなのだろう。親友とかそういう範疇を超えて(だからといって恋愛感情というわけでもないが)、自分にはない何かを持っている、一種、憧れにも似た感情が。


「……おい、大丈夫か?」
「へっ?」
 ふと呼びかけられて辺りを見回すと、足は僕の家の玄関の前で止まっていた。横に自分のと僕の荷物を持ったケビンが、僕の顔を怪訝そうに覗き込んでいる。
「え、あ、なんか話してた?」僕は言う。「ごめん、どっか意識飛んでた」
「は?いや、別に何でもねぇけどさ」とケビンは答える。「ていうかまた空想癖か。授業中とかはいいけど、人が話してるときに他のこと考えんのやめた方がいいぞ?」
「うん、分かってるんだけどね……」
 そう言いつつ、僕は北風の寒さにぶるりと身を震わせた。息が白い。僕は自分のマフラーの中に顔をそっとうずめつつ、空のほうに目を向ける。雪でも降りそうなどんよりとした雲が空全体に広がっていた。もうすっかり冬なのだ。
 僕は時間の流れの速さに嘆息しつつ、玄関のドアを開け……って、なんでケビンが先に入るんだよ。
「こんちゃーす、お邪魔しまぁす」
 ケビンは玄関先で声を上げる。しばらくすると、廊下の先の居間から母さんが顔を出した。
「あらぁ、ケビン君いらっしゃい」と母は言う。「なぁに、今日も何か悪さしたの?」
「……んなロイドと一緒のこと聞かないでくださいよぉ」と笑うケビン。
「ほら、どうぞ上がっちゃって」と母は続ける。「あとで部屋に何か食べるもの持っていくから」
「あ、はい。お世話になりまーす」
 元気よく返事するケビン。調子いい奴。
 ケビンは玄関を上がると、両手に荷物を抱えながら、僕の部屋へと続く2階への階段を登っていく。彼の背は高いので、狭いウチの家の天井に頭が着いてしまうんじゃないかといつもヒヤヒヤする。でもそれもいつもの光景だ。彼はずんずんと階段を上がっていき、のんびりと僕が階段を登り終わる頃にはもう僕の部屋のドアを勝手に開けて中に入ってしまう。僕ものんびりとその後に続く。


 僕の部屋は、クリーム色の壁をした何の変哲も無い部屋で、多きめのベッドがあり、その横にこざっぱりとした特徴のない勉強机があり、さらにその横には色々な本が詰まった本棚があって、その傍にはカーテンのかかった窓がある。上には蛍光灯と一緒にスペースシャトルやロケットの模型が吊るされており、見上げると宇宙の壁紙が天井いっぱいに貼られている。ケビンは抱えていた両方の荷物を僕のベッドに投げこむと、それからぶらぶらと部屋の中を歩き回ったのちに、窓のそばまでやってきてカーテンと窓を開け、適当に空気の入れ替えをした。彼はしばらく窓の外を眺めていたが、やがてそれに満足したのか、窓を閉めるとそこから離れて、ベッドの近くのテーブルのそばに腰を下ろした。
「……何か落ち着き無いけど、どうしたの?」と僕は聞いた。
「あー、いや、あいつらが見張ってないかなって」
「いた?」
「いんや、いない」とケビンは答えた。
 しばらくすると、下の階から母さんが適当な飲み物とお菓子をお盆に載せて持ってきてくれた。僕たちはしばらくそれらを飲み食いしながら、適当に実のない話題に花を咲かせていた。
「ていうか喧嘩っぱやすぎるんだよ、ケビンは」
「そうかぁ?」
「そうだよ。っていうか自覚しろよ」と僕は言う。「それで毎回僕のところに転がり込んできて、僕ばっかり迷惑かかるんだから。少しは人の気持ちも考えてよ。最近は何かと物騒だし……」
「あぁー、そう言えば、どっかの不良グループとかがまたここら辺にのさばり始めたんだってな」
「目とか付けられてないの?」
「そりゃあ付けられてるさ。でもそんなのに興味ないし。ショボい奴らと群れてるより、俺はこういう風に、気の合う仲間と楽しくおしゃべりするのが好きなの」
「……。いや、別にいいんだけどね……」
 『群れない』というのは、小さい頃からの彼なりのモットーらしい。彼曰く、『群れてる奴らは他人に甘えてるんだ。他人の側にいて、依存して、自分たち以外の他人の評価ばかりしてる。誰かの側にいて群れてれば、少なくとも自分はその「標的」の対象にならない。だから安心する。だから、平気で他人を傷つける』だという。
 じゃあ自分の場合はどうなのかと聞くと、『そりゃ俺だって人間だし、完璧超人なんかじゃないから完全には独立なんてできない。寂しい時は寂しいし、人と一緒に何かを楽しみたい時は誰かと一緒にいたい。だけど、そうやって誰かを傷つけたりとかはしたくない。そういう努力はしてるつもりだ』と言っていた。そういうことらしい。
 僕にはモットーだとか、生きるための指針とか、座右の銘みたいなものは特に持っていない。だから、そういうしっかりとした考え方を持っているケビンは心底凄いと思う。いや、まぁ性格に多少の問題はあるけど、それでもコイツは他の奴らよりかはよっぽど常識人だし、良識もある。ただそれが無鉄砲すぎるというだけで。
 だから僕は、こいつが自分の友人であるのを、ときどき、誇りに思う。
「……おい、おーい。ロイド?」
「えっ?」
「まーた聞いてなかっただろ」
 僕の隣に座っていたケビンは、やれやれと呆れた顔をした。それではじめて僕は何か話しかけられていたことに気付き、あわてた。
「えっ、何何!? ごめん普通に聞いてなかった!」
「……いや、別にもういいんだけどさ……」
 ん?
 何だか、ケビンの様子がいつもと違っていた。
「なんだよ、どうしたんだよ」
「だからいいって」
「良くないよ」
「良くなくないし」
「意味わかんないよ、いいから話せって」
 僕が詰問すると、ケビンは困った顔をして頭を掻き、それから天井を向いて、観念したようにため息をついた。
「……あのさぁ、もし、もしだぞ」
 ケビンは手を伸ばし、天井から吊り下げられたスペースシャトルの模型を手でもてあそんだ。
「……もし、ある日自分のところに変な『誘い』が来たとする」
「誘い?」
「……その『誘い』ってのはすごく惹かれる内容で、自分の今の状況とか、未来の夢とかそういうものを全部ぜーんぶかなぐり捨てたとしても惹かれるような、そんな内容だとする。だけどそれはものすごく危険なことでもあって、もしかしたら周りの人間にひどい迷惑をかけてしまうようなことかもしれなくて……。そしたら、お前はどうする?お前だったら、その誘いに乗るか?」
「……」
 何言ってるんだろう、コイツ。
 『誘い』だって?
 ケビンが一体何を言いたいのか、よく分からなかった。
 だけど、彼は彼なりに悩んでいるようだった。彼は自分の身の回りのことで何か悩んでいて、その答えをどう出せばいいのかが分からなくて、それで僕にそんな話をして相談を持ちかけてくれたのだろう。だったら、僕はそんな相談を持ちかけられるほど頼られているということなのだろう。僕に相談を持ちかけたと言うことは、僕の僕なりの答えを、あいつは望んでいるんだろう。だったら僕は、それに答えてあげるべきなのだろうと思う。
「そうだなぁ、よく分からないけど……」
 僕の言葉に、ケビンはじっと耳を傾けて、僕の答えを待っていた。
「……その、その『誘い』っていうものがいくら惹かれるものだったとしても、それが自分以外のひとたちに迷惑をかけてしまうようなものだったら、それはもう自分個人の問題では無いだろうし、だったら、『自分が心惹かれるから』とか安直な理由で軽々と乗ったらいけないんだと思う。――だから、だからもし僕だったら、その誘いには乗らない。ほら、ケビンだって言ってたじゃないか。平気で誰かを傷つけるような人間にはなりたくないって。そんな人間にならないように、努力はしてるつもりだって」
「……」
 ケビンは、僕の言葉をひとつひとつ噛みしめるように、僕のその答えを頭の中で反芻していた。そして、やがてその答えに安堵したようにため息をついた。
「……そっか、そうだよな、やっぱり。お前ならそう言ってくれると思った」
 ケビンは、まるで急に元気が沸いてきたかのように、勢いよくその場で立ち上がる。
「そうだよ、自分で言ってたことなのに、すっかりさっぱり忘れてた。何でだろ本当に、やっぱアホだな俺」
「……ケビン?」
「そうだよな、ありがとロイド。やっぱり、お前は俺の一番の親友だよ」
「なんだよ、いきなり……」
 面と向かってそう言われて、なんだかんだで僕は思わず照れてしまう。こういうことをケビンは平気で言ってしまうからいけない。
 僕が決して真似することのできない、友人。
 僕の、一番の誇り。
「……よっしゃ、じゃあもうそろそろ帰るわ俺。邪魔したな」
「えっ? なんか泊まってくとか言ってなかった?」
「気が変わったんだよ」
 ケビンはにかっと笑い、ベッドの上の自分の荷物をひょいと抱える。
「じゃあまたな」
「え、あ、うん、また明日」
 ケビンが手を振って部屋から出て行く様子を、僕は呆然と見守っていた。それからしばらくして見送るのを忘れていたのにはっと気がついて、部屋を出て階段を下りて玄関に走ったが、そこにはもうケビンの姿はなかった。


 一体なんだったんだろう、あいつ。




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