MOTHER'S CHILDREN  1


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 人生において、最も幸せなこととは一体なんだろうか? いや、そりゃあそんなの所詮は人によりけりだ。でもそんな事を言ってしまったら全てオシマイなわけで、そういうのは自分の答えを否定されたくない奴が、どうとでも取れる意見を出してとりあえずお茶を濁してみるという底辺なやり方だ。なら結局僕が言いたいのは何なのかと言うと、そんな一般論な話はいいから、自分の感じる意見をはっきり言ってみろと言うことだ。つまりいま実際にそこにいるあなたが、人生で一番「うっわー俺超マジ幸せだー生きててよかったー!!」と感じるのは一体どういう瞬間のどういうタイミングなのか、とそういう事を言っているのだ。
 自分がどう感じるか。それはずいぶんと真に迫った難しいことなんじゃないかと僕は思う。なぜなら人間というものは、無意識のうちに自分の持つ本当の答えというものを隠してしまうものだからだ。
 僕はフロイトとかそういう心理学的な(フロイトは哲学者だけど)話についてはよく分からないけど、自分が直感的だと思ってやっていることの大体は無意識の深層心理が影響しているのではないかと思う。たとえばそれは幼少期のあるほんの些細な出来事であったり、あるいは大規模でとても多くの人間に影響を与えたような大災害であったりするものが、ひとつひとつ「経験」といった形で積み重なって、そのひとつひとつがその人間の行動をいちいち決定し左右しているのだろう。無意識のうちに。人間というものはそういうものなんじゃないかと思う。
 ということは、その人の歩んできた人生の細かいところまですべて把握し、しかもそれを体系化してその人と照らし合わせることができたのならば、きっと「その人の行動はこれこれこういう理由でこういう風になったのだ」と説明することが出来たり、これからその人がする行動をぴったり推測することが出来るんじゃないか、と思う。
 でもそんな事は出来やしない。推測する事は可能だろうけど、結局のところ他人には本人の考えていることなんて分からないし、その逆もまたそうだろう。それでもって、しかもその本人でさえ、どうしてそんな行動を起こしたのかということすら分からなくなる時があるのだから、人間の思考というものは完全に理解するなんてのは不可能だし、やはり難しいことなのだろう。


 じゃあ、僕にとって大切なこと、僕にとって本当に幸せなこととは、一体何なんだろう?



***



 僕が机の上でのんびりまったりしていると、教室の扉を勢いよく開けて、頭から血を流した同級生くらいの男子が入ってきた。
 教室には僕のほかにも数人の人間(それしか残っていないのは放課後だからだ)がいたが、その男子のあまりの形相と怒りと焦りと血の流れに誰もが目を丸くしていた。というか僕自身もそうだった。そいつが教室の隅の掃除ロッカーの側の僕の机にずかずかと近づいてくると、僕の予感というか悪寒はいよいよ絶望的なものとなった。
「……ケビンは何処だ」
 一瞬、殺されるかと思った。
「い、いや、見てないですよ?」
「本当か?」
「ほ、ホントホント」
 僕が必死に訴えると、彼は舌打ちをしてから、頭をおさえつつきびすを返してドアの方へと向かっていく。
「あ、あの、保健室とか行かなくて大丈夫ですか?」
「へいき」
 すっごく平気じゃなさそうな返事。
 彼が教室を出てドアが音を立てて閉じられると、誰も喋らなくなった教室の中がやけに静かに感じられた。
「……今ので、よかったの?」
「あぁ。ありがと」
 後ろの掃除ロッカーに隠れていたケビンが頭をかきながらのろのろと出てくる。180cmはあろうかという身長に、長めに伸ばされたブロンドの髪、キリリとした目に端正な顔立ちで女性にはモテる、っていうか、何でこんなのが僕の友人なのかが最大の疑問なのだが、それはまぁともかく。
「今度は何したの?」
「別に何もしてねぇよ。あっちが勝手に突っかかってきたから正当防衛しただけ」
「……むっちゃ何かしてんじゃないですか先生」
 思わず突っ込み。
「ほら、前にお前のこと呼び捨てにして、俺がリンチにした中1いただろ。あれの兄貴だったらしくてさ」とケビンは僕のツッコミを無視して言う。「俺に会うなり突っかかってきて、ってかあっちそもそも凶器持ってたんだぜ?」
 それで、あなたが傷ひとつ負ってないのは何でですか。
「まずこう、あっちが鉄パイプ持って殴りかかってきたわけよ。だから俺がまずそれを華麗に避けるだろ、んでもってそれと同時に懐に滑り込んでワンツー決めるだろ。っていうかマジ弱かったし。そしたら鉄パイプそこら辺に落として腹抱えて呻きだしたからさらに顔に遊びでカンフー映画みたいなキックかましたら普通にヒットして3メーター先くらい吹っ飛ばして、そんで捨ててあった鉄パイプでそのまま頭2,3回殴ったらそいつが叫んで仲間呼ぶからウザくてそっちもボコしてやった」
 説明は要領を得ませんが、とりあえず惨状が酷いことは分かりました。
「……じゃああれは何、仲間の一人ですか」
「うん、たぶん手ェ抜いた奴。あのときロッカーから飛び出して頭カチ割ったら面白かっただろうなー」
 全然面白くありません。
「で、よりによってなんで僕のところに逃げてくるかなぁ……」
「どうせ暇だろ?」
「そんな、あなたみたいにいっつもトラブルを求めているわけじゃないですって」
 ケビンはうーんと力いっぱい伸びをし終わると、僕の机にどっしりと乗っかって、僕の顔を覗き込む。
「なぁー、一緒に帰ろうぜロイド」
「えっ嫌だよ」とぼくはたじろいで反論する。「ほら、例の人たちがまたやってくるかもしれないし」
「大丈夫だよやっつけるから」
 それが嫌なの。
 僕の答えを聞かずに、ケビンは僕のカバンに机の上の僕の荷物を押し込むと、ひょいと片手に抱える。
「あ、そうか、てか家に待ち伏せしてるかもしんないから、そっち泊めさせてくんない?」
「はぁっ!?」
「大丈夫大丈夫、ロイドのおばさん寛容だから」
「いや、さすがに無理……」
「無理じゃないって」
「何が『無理じゃないって』だよ」
 そんな事を言っている間に、正気じゃないケビンは僕のカバンを持って歩き出す……ってか、こいつに僕の家の場所とか教えるんじゃなかった。まるで自分の家のように普通に入り浸りやがる。
「おい、ちょっと待って、怒るよ!?」
「じゃあ俺殴るよ?」
「……」
 なんでシャドウボクシングの素振りで「ビッ」「ビッ」って音が出るんですか。漫画じゃあるまいし。
 ……いや、別にどうでもいいんですけどね?
「はいレツゴー」


 なんていうかため息。はぁ。




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